宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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アメリカ・キリスト教・市民の銃〈銃と平和4〉

1.アメリカ独立と、世界に響いた銃声


アメリカの独立は困難なものでした。当時のアメリカには、独立派、中立、王党派(イギリス支持)の住民の割合が同じくらいで、独立派の勢力は充分でなく、王党派の力は根強いものがありました。要するに、独立戦争は、独立派に対し、王党派+大英帝国という構図で、独立派は圧倒的に劣勢でした。なにしろ、当時のイギリス軍は世界最強の軍隊で、それに勝利しなければ独立はあり得ません。住民にはイギリス王家に忠誠を誓う精神的伝統もあり、そもそも、建国の父、ワシントンの母親も王党派で、独立に反対でした。






しかも、独立派にはまともな軍隊がなく、寄せ集めの民兵で、訓練、装備、弾薬も不充分でした。しかし、独立派の指導者の決意は強固でした。展望は悲観的でしたが、レキシントンなどの初戦で独立派が勝利し、むしろ、イギリスのプライドが傷つき、後戻りできなくなりました。独立派は、イギリス軍を相手に厳しい戦いをしましたが、それを支えたのが、自分の銃をもって戦った制服もない民兵たちでした。また、広大な国土が味方しました。独立派が、ある場所で戦闘で敗れ不利になっても、拠点を遠く移し、体制をととのえることができたのです。





何とか、イギリス軍の攻勢を持ちこたえましたが、長期的に見たら、到底、独立派に勝ち目はありませんでした。独立派が最後の勝利を勝ち得たのは、外国の支援でした。フランスとスペインが独立派を支援したからです。特にフランスの支援は大きく、軍隊を派遣し、米仏共同作戦を展開しました。そのため、アメリカ人はフランスとその王家に深く感謝しました。アメリカを代表するウイスキーである「バーボン」は、フランス語読みは「ブルボン」で、ジェファーソン大統領がフランスの支援にいたく感激し、ケンタッキー州のある場所を、フランス王家を示す「バーボン郡」と命名したことから由来します。






建国当時のアメリカは、世界の後進地帯、すなわち、片田舎でした。この田舎から、大変なものが出てきました。それが、自由・民主主義です。この辺鄙な場所から出てきた自由・民主主義がヨーロッパから全世界に影響を与えてゆきます。初戦のレキシントンでの銃声を、詩人エマーソンは「世界中に響き渡る銃声」と譬えました。フランス革命、ラテンアメリカ独立の指標となり、もっと言えば、戦後日本の民主主義、今の香港の自由・民主主義を求める戦いも、このレキシントンで響いた銃声の余波ともいえます。歴史的にみれば、民主主義は、専制君主の圧政から、市民が銃をもって立ち上がり、勇敢に戦い勝ち取ったものといえるのです。






このように、独立達成に重要な役割を果たしたのが、個人が所有していた銃でした。そのためアメリカは、国民の銃所持を積極的に肯定し、その権利を憲法に明記しました。それが、1791年に制定された、合衆国憲法修正第2条で「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」というものです。






2.ペイル・ライダー - 銃で悪を亡ぼす牧師 -


また、アメリカは、銃とキリスト教が強く結びついています。アメリカとキリスト教、そして銃の関係を知るよい映画があります。1985年に、クリント・イーストウッドが監督し、自身が主人公を演じた、「ペイル・ライダー」という映画で、以下のようなストーリーです。






西部開拓時代、カーボンキャニオンというところに、金を採取する人々の村がありました。ところが、大規模金採取をおこなうラフード家が彼らを追い出しにかかり、卑劣な嫌がらせを繰り返します。村の少女メイガンが、「このままではみんな死んでしまう、神様、奇跡を起こしてお救い下さい」と祈ります。そんな危機の村に、クリント・イーストウッド演じるガブリエル牧師が流れ者の姿でやってきます。メイガンは父がなく、母と、母の婚約者と三人で暮らしていました。その婚約者が、町でラフード家の部下の暴力から自分を救ってくれたガブリエル牧師を家に泊まらせ、ラフード家と戦う助っ人を頼もうとします。少女の母は反対しますが、食事の時、ガブリエル牧師がツメエリの牧師服に着替えたので、牧師であることが分かり、承諾します。結局、ガブリエル牧師は、ラフード家の者どもと凄腕の銃の腕前を発揮し戦い、善良な人々を救います。





この映画は、盛んにあらわれる聖書の言葉、そして、銃、正義、勇気など、銃とアメリカ人の精神を知るうえで、おおくの示唆を与えてくれます。ちなみに、クリント・イーストウッドは、銃所持の支持者で、大のトランプ支持者でもあります。トランプ大統領当選を、いい時代が来たと賛辞をおくりました。






このペイル・ライダーは荒唐無稽な話しなどではありません。実際、西部開拓時代には、ガブリエル牧師のように、銃の使い手であり、聖書を携え、人々にキリスト教を伝えた牧師がたくさんいたのです。注意しなければならないことは、西部開拓時代は、今より犯罪が少ない時代だったということです。開拓時代は無秩序で治安が悪かったというのは虚構です。ちょうど、平和な江戸時代に、水戸黄門が諸国をめぐりスケさんとカクさんが、剣で悪人を成敗したのはつくり話だということと同じです。





ですから、ペイル・ライダーでは、牧師が銃の使い手であったというのは真実で、銃をブッ放し悪人を退治した部分はフィクションです。すなわち、この映画が教えていることは、善行をなすことを教えるキリスト教信仰と、正しく管理された銃があったことで、善良な市民が自己防衛の力をもち、悪は力を発揮することなく、西部開拓地の治安が維持できたということなのです。





アメリカは、市民が、独立と自由を獲得するため、自分の銃でイギリス軍と戦い、国を建てました。その後も、銃を大切にし、平和を維持してきたのです。アメリカには、そのような200年におよぶ、正しい銃管理と自己防衛の歴史がありました。そして今日に至り、キリスト教徒の多くが銃所持支持者で、彼らは、銃所持とは、神が与えた権利であると主張するのです。 (永田)