宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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『鉄のつえの王国』・ダイジェスト〈1〉

“ROD OF IRON KINGDOM”  Hyung Jin Sean Moon 2018



先にとり上げた、文亨進師の著作『鉄のつえの王国』の内容を数回にわたり要約して紹介します。これは銃の所持が認められているアメリカで書かれた本であり、銃に対する認識において日本とは異なります。また、歴史、宗教、思想に対する言及は、西洋・キリスト教を背景としています。




推薦文



ラリー・プラット GOA(米国銃所有者協会)設立者、名誉会長


これは修正第2条についての優れた弁証だ。人々が修正第2条、自己防衛、政府権力の制限について語る時に往々にして陥る誤りに対する格好の手引書である。一冊手に入れることを是非お勧めする。



トム・バーク アメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレー)創設メンバー

ヒョンジン・ムーン牧師は本物だ!






1.無名の教会の行事が世界に報道


2018年2月、ペンシルバニアの田舎町ニューファンドランドの小さな教会で、世界のメンバーを招いて、AR15ライフルを携帯し、聖なる祝福式を行いました。式典の計画は半年以上も前に始めました。衝撃的なフロリダ州パークランドの高校での銃乱射事件の影響に対する懸念はありましたが、神様が6か月前に与えた計画が一人の狂人のために変わる訳がない、というのが私たちの信念でした。その後起きるであろう、式典に対する嵐のようなマスコミの報道と世間の注目は予想もつかないものでした。





式典当日、20以上の報道機関から、40名を超えるジャーナリストが2月28日の「生命の書」祝福行事を撮影するために集まってきました。新聞とテレビの放送によって、世界の各大陸に住む10億以上のメディアの視聴者と読者に、「AR15の祝福」という見出しで大々的に伝えられたのです。





しかし、私たちは「銃」、すなわち、われわれのいう「鉄のつえ」を崇拝などしていません。われわれが崇拝するのは私たちをご自身の似姿として造ってくださった神様であり、神様がわれわれ一人一人と個人的関係を持ってくださることを切望しているのです。また、私たちの結婚に神様の祝福を求めるのは、夫婦の愛のなか、親子の愛のなかにこそ、神様が深く住まわれることを信じるからです。このような祝福結婚は、力強い社会と地上天国の基礎になります。






2.神の愛による人類の保護と守り



聖書の黙示録では、キリストは繰り返し「鉄のつえの支配」(黙2:27)について述べています。しかし、「支配」という言葉は本来、「導く、世話をする」あるいは「保護する」という意味のギリシャ語の「ポイマイノ」が語源です。ですから、この聖書の言葉は、神様が鉄のつえで人類を保護するということであり、それは世界の独裁者のようでなく、神様が子供である人間を愛する父として、私たちを護ってくださるということを語っているのです。





式典の14日前に発生したフロリダ州パークランドの銃撃事件の場合、ほとんどの警官は到着が遅すぎて、被害の拡大を防ぐことができませんでした。彼らにできた事といえば、せいぜい負傷者を手当てし、遺体を運び出し、事件の報告書を書くことだけでした。 — 射撃魔から生徒を守るために、体一つで校舎に飛び込んだフットボールコーチのアーロンさんが銃を持つことが許されていたならば、彼の命を含む多くの命を救うことができたでしょう。





真の神の信仰は、妄想の世界のおとぎ話ではありません。神を愛し隣人を愛することの責任を男も女も引き受けるということです。他の人を守るためには、よろこんで自分の命さえ危険にさらす。これは、私の父である文鮮明師が教えてくれたことです。だから私も自分の子供とサンクチュアリのコミュニティにこれを教え、訓練しているのです。





私の父は、自分を拷問し、親族を殺した男たちを許しました。父を迫害した金日成に会いに行き、北朝鮮の近代化のためにと援助の手まで差し伸べました。ー 神様はわれわれに地上天国における、父の共同相続者、共同後継者になることを願っておられるのです。(ロマ書8.詩編2) これが、私が2月28日の祝福式に参加するカップルに、自分の「鉄のつえ」を持参しなさいといった理由です。鉄のつえの目的は人を傷つけることではなく、無垢な命を守ることです。私の父はこう言いました。「保護圏がなければ、命が脅かされます。そして命が脅かされるとき、愛は現れることができません」





3.キリスト教世界の内乱



ニーチェは、信仰という義務から逃れたことを喜びましたが、脱キリスト教化したヨーロッパの未来は困難で、むしろ悲劇的であると予知しました。「キリスト教信仰を捨てるとき、その者はまさに自分の足の下からキリスト教的道徳を引っこ抜く。道徳は決して自明ではない。… キリスト教は一つのシステムだ。一つの全体として捉えられるものだ。その中の、神への信仰という、一つの主要な概念を壊すなら、全体を破壊することになる」。




人々が神への信仰と世俗のイデオロギーを置き換えた場合、何が起きるかについては、20世紀は充分すぎるほどの証言を提供してくれます。民族のアイデンティティーを掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は1930年代に政権を取り、1300万から2100万人の命を奪いました。共産主義イデオロギーは20世紀だけで、推定1億5000万人の命を奪ったといわれます。20世紀の、政府による大量殺人、「ジェノサイド(民衆殺戮)」は国外、国内の戦争で死んだ人の6倍以上の2億6200万人に上ります。





4.全体主義国家は弾圧される人々からまず銃を奪う



政府が好ましくない国民を抹殺したいと思う場合、国民が武装していると厄介であることは言うまでもありません。全体主義の政府は、大量殺戮、ジェノサイドに先立ち、銃器の押収と登録を行うというゾッとするようなパターンを見ることができます。その例は次のようなものです。



・1915年、アルメニア人の大量殺害に先立ち、トルコ政府は銃規制を強めた。



・ドイツは1938年、ユダヤ人に対する銃の販売を禁止した。1939年から1945年まで、総計1300万人の丸腰の武装解除されたユダヤ人と多くの民族が強制収容所に送られ、処刑された。



・1929年、ソビエト連邦は銃規制を開始し、それまで武装していたソビエト市民から武器を押収した。1929年から1953年まで、もはや自衛手段を持たない約2000万人の反体制派が、集められ虐殺された。



・中国の銃規制政策は中華民国によって1938年に開始された。1048年から1952年にかけて、2000万人の反体制政治家が自衛手段も何もない中、共産党政府によって皆殺しにされた。また加えて、5300万人が、大量の餓死者を発生させることになった政府の政策で殺される。



・カンボジアは1956年に銃規制を開始。1975年から1977年に100万を超える国民が西側の価値観と文化、教育に触れることで、それに汚染されたとみなされ、殺された。



・グアテマラは銃規制を1954年に導入し、その後、10万人のマヤ人を殺害した。



・ウガンダでは銃規制政策を1970年に導入。8年間の恐怖政治が終わるまでに数千人のキリスト教徒が殺された。




5.国家の非道



以上のような悲劇は、脱キリスト教イデオロギーとその政治運動に根深い原因があります。この政治運動は、異なる民族、宗教、階層の人々を人間とはみなさないのです。彼らのイデオロギーは、国家とは、異なる思想をもつ者達を排除する正当な機関だ、とみなします。マスコミは政府の計画した大量殺戮に加担しました。国のイデオロギーや大義に賛同しているジャーナリストたちは、国の行為を、どんな手段を用いても良いものとして描き出すのです。






ファシストは気に入らない民族集団の人間性を奪います。共産主義者は、「アンチ・ファシスト」を自認しながら、自分たちの政策に協力しない者たちを「労働者階級の敵」と非難します。この二つのイデオロギーが共に見落としていることは、どんな民族や階級にも、善人も悪人も存在し、それを許容するという事実です。自分たちのグループ、階級、民族を完璧なものとして自己崇拝することは、神を畏れぬ考えであり、その結末は、道義的な人なら誰も望まない血塗られた歴史の跡を残してきたのです。




6.現代キリスト教が受けている迫害



2018年の初めに発表された報告は、「キリスト教徒はいまだかつてない迫害に直面している」と警告しています。「迫害と忘却(Prosecuted and Forgotten)」(訳注:世界各国のキリスト教徒の迫害を調査報告している団体ACNの報告書)では、今のままキリスト教徒に対する暴力が続くなら、多くの国のキリスト教徒は生存できないと警告しています。この報告書は北朝鮮を含む世界各国での「言語に絶する残虐」ぶりを浮き彫りにしています。北朝鮮ではキリスト教信者は強制的な飢餓、中絶、また、報告書によると信仰篤き者は十字架にかけられ火あぶりにされ、工事用のローラーでひき殺される者もいる」といいます。





他のどの宗派よりもキリスト教徒が迫害を受けているだけでなく、非常にむごい迫害を受ける信徒が増加しています。中東での迫害はもっぱらイスラム過激派によるものですが、ナイジェリアでも、イスラム国とも提携するボコ・ハラムによって200万人に近いキリスト教徒が追放されたという報告があります。





一方で、アメリカ人の多くは現在行われている、キリスト教徒や宗教的少数者への残虐行為の事実を全く知らないか、ほとんど知らないのです。大学のキャンパスでは、キリスト教徒や宗教的少数者に対する凄まじい差別よりも、多くの学生は、社会にあるささいな「自覚されない差別」などのために闘っているのです。





人が現実の大きな善と悪が見えなくなるとき、戦う大義として「自覚されない差別」のような「ミクロ」の幻想を思いつくでしょう。これは大規模な差別を行う全体主義者にとっては喜ばしい知らせです。なぜなら彼らの飽くなき野望は、世界中のユダヤ人とキリスト教徒を追放し、ユダヤ・キリスト教的思想を排除することだからです。