宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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〈編Ⅴ〉『鉄のつえの王国』・ダイジェスト (5)

今回は、『鉄のつえの王国』・ダイジェストの最終回になります。今回のテーマである多文化主義とは、ある国に移民してきた人々や、少数民族の、それぞれの文化や言語を尊重し、彼らが、その国に代々居住してきた多数の人々と「異質な文化をもつ人々」として生きることを推進する思想です。





日本では、アイヌ人、在日中国人、在日韓国人、そして、多数の日本人、それぞれの人々の文化は異なるということを、ことさら意識する思想です。この考えでは、当然ながら、彼らが日本文化に、自然な形で同化する道は閉ざされます。




昨年の入管法改正で、外国人労働者の日本入国が緩和され、今後5年間で35万人もの外国人を受け入れることになりました。彼らは低賃金で労働します。その余波は、日本人の低所得者の競争者が大量に増加することを意味し、日本人低所得者の賃金が抑え込まれる、あるいは失業するという問題が起こり、日本における深刻な賃金格差問題の解決は遠のきます。




日本に一定の外国人が居住することはいいことです。しかし、許容範囲を超えて外国人が増加することは、職業だけでなく、政治、文化、精神に大きな問題を生じます。例えば、4、50年前には、「日本民族」という言葉が使われていましたが、外国人が増えるにしたがって、「日本民族」は「死語」になりました。すなわち、私たちが「日本民族」としての一体性の自覚は困難になったのです。









衣・食・住文化も、外国人の増加に伴い確実に多国籍化します。それが、緩やかに、自然に行われるのでしたら、好ましい事でしょう。しかし急速に変化することは、多くの人は望まないことです。外国人の急激な増加は、あらゆる面に深いひずみを及ぼします。しかも、外国人労働者を受け入れる理由は、日本国民のためではありません。企業が安い労働力を得て利益を増大するためなのです。






一方、中国は、人権を抑圧する共産主義国家です。今、韓国の文在寅政権は、急速に共産主義の国家を目指し、遠からず自由・民主主義国家でなくなる可能性があります。そもそも、多文化主義を積極的に推進しているのは共産主義者です。北東アジアにおいて、中国と、更には韓国が共産化されれば、日本を共産化しようとする両国の共産主義者にとって、多文化主義は格好の隠れ蓑になります。「多文化主義」は、日本人にとって耳慣れない言葉ですが、私たちの将来に深刻な問題を引き起こすものです。アメリカ、ヨーロッパにおける「多文化主義」の問題については、本文でお読みください。




また、この『鉄のつえの王国』の締めくくりは、本書の重要テーマである自己防衛の意義について、文亨進師の見解を伝えています。






1.アメリカと多文化主義



アメリカへの移民者は、アメリカ文化に順応することを望みながらも、母国の文化と言語を守り、それを、尊重、称賛してきました。私の家庭の場合、両親はおもに韓国語を話しましたが、父ができる限り英語を学ぼうと夜遅くまで起きていたことを覚えています。父は、私と兄弟たちが英語を流ちょうに話すのを誇らしく思っていましたが、アメリカで支配的な、リベラルの「進歩的」影響を喜んでいませんでした。






多文化主義の強化により、政府機関が、少数派の独自性を認めるように積極的に活動することが要求されるようになりました。それに従い、アメリカにやって来た移民はアメリカ文化に同化するものという考えは、1970年代から1980年代に変わり始めました。このアプローチは「多文化主義」と呼ばれ、「社会のなかでいくつかの特徴的な文化や民族のグループの存在を支持すること」として定義されます。







理論上は好ましく見えても、多文化主義は、実際には、全ての市民が法の下で平等という、憲法に基づく共和国の理想に挑戦する立場をとっています。ヨーロッパの多くの国が行った多文化主義の実践は、優勢な文化から疎外されていると感じている、同化されない移民の大集団が集合する結果を引き起こしました。そのため、「言論」と「信教の自由」の価値観が当てはまらない地帯が発生してしまいました。







2.移民に反対すれば、ヘイト・人種差別主義者?



このアプローチの結果、何と、そうした政策から生じる問題について、話し合ったり報告することを、政府が犯罪として扱うようになったのです。同化しない移民の危険性について懸念を表明する人は、「ヘイトに満ちた人」、「人種差別主義者」、「イスラム嫌悪者」などと非難されました。







もう1つの例をあげると、トランプ大統領の登場を受けて、「圧政の解体」と「自己決定、尊厳、そして尊敬による包括的構造の建設」の旗印の下で、「女性たちの行進(Women`s March)」が企画されました。ところが、彼らは「Backpage(裏ページ)」のウエブサイトの閉鎖を非難したとき、彼らの、女性に対する「尊厳と敬意」に対する約束が、おかしな方向だということが判明しました。「Backpage」は、女性と少女の売春と人身売買を促進しているのです。また、「女たちの行進」の主催者は「セックス労働者の権利は女性の権利だ」というのです。







左翼はすぐに、自分達こそ真に女性の権利を大切にしていると主張します。そうであるなら、なぜ彼らは性的人身売買と売春を促進するウエブサイトを支持するのでしょうか? なぜ彼らは、ヨーロッパの多くの国で、近所を自由に歩きたいと願う女性に、嫌がらせをし、レイプし、暴行するイスラム教徒の男性に沈黙しているのでしょうか。







パリのシャルリーエブド風刺新聞社のジャーナリスト虐殺事件は、これから起きようとする事の一端を垣間見たものに過ぎません。多文化主義政策の影響で、国民がイスラム過激思想に異議を申し立てられず、彼らの活動が拡大する環境をつくっています。西洋のユダヤ・キリスト教の基盤を破壊するという彼らの目標が、女性が自由な服装で、嫌がらせを受けたりレイプされたりせずに、街を安全に歩ける社会を守りたいという願望より強いなどということがあり得るでしょうか?








私が父から学んだように、左翼は常に、力による平和に反対してきました。1980年代に、レーガン大統領の政策ではなく、左翼の政策に従っていたら、ソ連は今も世界中に共産主義を輸出しているかもしれません。また、私の父は、聖書に基づく道徳的価値観の基盤なしには、西洋の自由な民主主義は、その崩壊を狙う内外の勢力に対抗できない、と常に主張していました。






 3.自己防衛という大きな愛



本書で繰り返し述べたように、私たちは、自身の自己防衛に責任があります。政府が私たちを常に守る能力を持っていると考えるのは幻想です。そうしようとする場合、とかく警察国家をつくり上げる政策を採用する場合が多いのです。







自由を守りながら安全をもたらすアプローチがもう1つあります。それは、全ての安全要求を「専門家」に丸投げする代わりに、自身が責任を負うことです。各家庭が武装していれば、犯罪者や暴君になりそうな人物は、付け込んだり、虐げたりしようとする前に躊躇するのです。






スイス人男性が全員武装していた事実が、ヒトラーがスイスを侵略しなかった理由でした。歴史的に、悪魔のような王は武力を独占した者たちでした。他者を虐げたいという望みを持たない、神様の息子、娘たちは、今こそ、自分自身の家族、地域社会、そして「王国」を守るべきです。







キリストに従う者として、私たちは神を愛し、自分のように隣人を愛するように求められています。イエスはその意味を次のように語っています。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネの福音書15章13節)







フロリダの高校乱射事件のとき、フットボールコーチだったアーロン・フェイスは、自分の体で生徒をかばい、このような愛を実際に示しました。私はこう問います。このような人物になら2人の生徒をかばうだけでなく、もっと多くの命を救う手段を安心して持たせますか? わたしならそうします。フェイスが武装していたなら、多くの命を救うことが可能でした。







フロリダの高校で、政府が任命した「プロ」の保安官代理は、武器を持ち、防弾チョッキを着用していましたが、危険が去るまで学校に入らないと決めました。イエスは「最も大きな愛は911に電話して誰かが何とかしてくれるのを待つことだ」とは言っていません。善良な人々が自分を守る能力を持つとき、悪意を持つ者たちは自分たちの欲望と生き方を変えなければなりません。






4.鉄杖道はキリストの精神



悪は弱さを餌食にします。私たちは他人を虐げるためではなく、むしろ他人を守るために、「鉄のつえの道《鉄杖道》」を極めるよう努力すべきです。鉄のつえは、様々な悪と独裁政治に対して、力を養い、増強させる最大のものです。唯物論者にとっては、銃は、単に暴力的な武器でしかないため、これを理解するのは難しいかもしれません。しかし、霊的、精神的な見方をすると、「銃」ではなく「人」が問題なのです。鉄のつえを手にするその人が、信頼でき、尊敬に値し、騎士道精神を持ち、キリストのように献身的でしょうか? その人物が、進んで友人のために体を張り、神を愛し隣人を愛するでしょうか? 鉄のつえで統治される王国が、神が子供たちに与えた自主と自由を尊重し守るでしょうか? それが問われるのです。







政府が、人々の生活を中央集権化させ支配する時代は終わりました。全ての家庭は、自分たちの健康、教育、そして生存に対する管理を、神聖な価値観と一致せず、それを容認しない意図を持つ官僚に任せるべきではありません。キリストの共同の王と王妃として、私たちは、悪魔のような指導者のように、他人を虐げるためではなく、人類すべてを力づけ、守るために、神が与えた主権を主張しなければなりません。



神の恵みと幸運がともにあり、そして、神の王国が到来しますように!