宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

文明としての銃

1.銃による軍事革命



そもそも、火薬や火砲の発明は中国だといわれます。1241年には、モンゴル軍がヨーロッパに遠征し、ワールシュタットの戦いで火砲が使用されたという記録があります。そして、歴史的にはっきりしているのが、1274年、文永の役、弘安の役で、モンゴル軍が日本軍に対し鉄法(てつはう)を使用しました。その様子は「蒙古襲来絵巻」に示されています。





しかし、本格的に銃を使用し始めたのは、やはりヨーロッパでした。銃が盛んに使われ始めると、剣から、武器の主役の座を奪い、戦闘の帰趨は、銃の性能と数が決するようになりました。そして、近世ヨーロッパにおいて、銃の使用により「軍事革命」が成されました。銃を用いた効果的な戦術が編み出され、常時、射撃兵を確保、訓練するため、常備軍が形成されました。その維持に必要な多額の国家予算・人員・物資を備える必要が、ヨーロッパの近代国家建設を後押ししたのです。銃を活用できる強力な軍事・経済国家の誕生。これが、ヨーロッパによる世界支配を担保した最大の理由です。





2.川勝平太氏「鉄砲が動かした世界秩序」



このヨーロッパにおける銃の発達と展開、日本への伝来と社会に与えた影響は、『地球日本史1-日本とヨーロッパの同時勃興-』において、川勝平太氏が優れた説明をされています。その部分を抜粋、引用します。




《10章「鉄砲が動かした世界秩序」》

ヨーロッパの世界制覇はいかにして可能であったのか。ヨーロッパは16世紀に軍事革命を経験した。軍事革命とは鉄砲の発達、要塞の強化、軍隊の膨張の3つを柱とする。1500-1800年の300年間は、ヨーロッパ史上、近世といわれる。それは、1500年前後に始まる軍事革命から、1800年前後のフランスの政治革命(フランス革命)、イギリスの経済革命(産業革命)、ドイツの文化革命(ゲーテ、ベートーベン、ヘーゲルなどが輩出)に至るまでの3世紀である。





この時期にヨーロッパで戦争のなかったのはわずか30年のみだった。近世ヨーロッパがいかに軍事行使・軍備拡張に熱心であったのか。それは、たとえば、1650年代のイングランドの歳出の90%、フランスのルイ14世は75%、ピュートル大帝は85%を軍備にあてていたことによって想像されよう。





― 戦いはヨーロッパ域内からあふれ出て、制海権の争いに発展した。海上戦は地中海、大西洋、カリブ海、インド洋に拡大し、ヨーロッパ諸国はその都度、他地域を有無をいわせず自国領土に組み込んだ。近代が幕を開ける1800年には地球の陸地の35%、第一次大戦までには84%を支配下においた。





― そもそも鉄砲を発明したのは中国である。  ― その鉄砲がヨーロッパに伝わって火縄銃となり、めぐりめぐって日本に1543年に伝来した。いわゆる種子島銃である。そして、16世紀後半の日本は、世界最大の鉄砲の生産・使用国になった。





― 鉄砲の製造と使用は戦国の世に急速に広まった。1570年に織田信長と戦った石山本願寺の軍は何と8000挺の銃を撃ったという。1575年の長篠合戦で織田・徳川軍の3000人の鉄砲隊が1000挺ずつ3隊に分かれて、いっせい射撃を行って、武田方の騎馬兵をせん滅したが、それをテーマにした黒澤明監督の映画「影武者」によって世界中に知られるようになった。





また、秀吉の文禄の役で、釜山に上陸した日本軍の快進撃は「無人の境を行くがごとく」に急速に朝鮮半島を制圧した。それは朝鮮軍が種子島銃の前に無力であったからである。戦国時代の日本は海外に名の知られた軍事強国であった。





― 鉄砲が急速に普及するにともなって、山城が姿を消して平城になり、堀を大きく、石垣を高く、塀の壁を厚くし、城塁の曲折を増やし、天守閣は展望所、指令所、兵器糧食などの貯蔵所・城主の居所、一国一城の精神的統一の中核とするとともに発砲の便をもっていた。





また戦争の規模が大きくなって歩兵戦術が重視され、軍人を分離して軍人集団を住まわせる兵農分離が行われた。それは、いかに日本の社会が鉄砲本位に再構成されたかを説明しているのである。





16世紀後半の日本は、鉄砲の大量生産に成功し、ヨーロッパのどの国にもまさるとも劣らない軍事大国となり、近隣に出没したヨーロッパ諸国も一目を置いていた。





3.文明の利器としての、剣と銃



以上、川勝平太氏の指摘のように、鉄砲=銃は、近世以降の世界秩序を変革させ、近代国家の制度のあり方にも影響を与えました。それほど「銃」とは、画期的な力をもつ文明の利器なのです。「石器時代」から「青銅器時代」へ、そして「鉄器時代」、現在も「鉄器時代」のただ中にあります。「鉄製の剣」は、千年以上、世界における覇権戦争の帰趨を左右し、ながく武器の主役は「剣」や「槍」でした。そして近世に至り、銃が剣にとってかわりました。「銃」の後は、使われない兵器である「核」です。使われないのですから、実質的には、銃の進化系である、大砲、ミサイルなどが兵器体系の中心を占めます。ですから、今後も引き続き、世界の軍事は「銃の時代」なのです。





ここで、鉄器時代の代表的武器である「剣」と「銃」の性格を比較してみましょう。剣は、人の力を動力とします。人の力の強弱で、剣の力が決します。そして、剣を効果的に使用するには剣をあつかう技量が必要です。剣においては、人の力と技のレベルではっきり破壊力の差がでます。力が弱く技量の不足した人が剣を用いても、剣はその力を発揮できません。力をもち、剣術を鍛錬した者のみが剣の力を引き出すことができるのです。女性など弱く、また、剣の鍛錬をしていない者が、鍛錬した者に勝つことはできません。ですから剣は、弱者が護身用に用いることはできません。





それに対し銃は、火薬を動力とします。人は引き金さえ引けば、火薬の爆発によって、弾丸が発射され、強い力を発揮します。弱者であっても、少し銃のあつかいを心得ていれば、強力な力を獲得できます。たとえば、プロレスラーのように頑強な男性が、脆弱な老婦人を襲ったとしても、老婦人が銃さえ持っていれば、その男性を制圧でき、自身を守ることができます。銃ほど護身に役立つ文明の利器はありません。





剣は、強くなるために、まず、体力と剣術を磨かなければなりません。訓練された剣士は恐るべき力を持ちます。ですから、剣士には、力を正しく治める精神が求められました。そのため日本においては武士道、西洋においては騎士道が発達しました。





一方、銃は、銃自体が凄まじい破壊力をもちます。この強力な力を、正しく管理し、使用するために、銃所有の確かな精神が必要なのです。国防も、銃を原型とし、機関銃から大砲、ミサイルに至るまで、おなじ体系をもちます。ですから、銃の正しい管理思想、精神とは、個人から、民間防衛、国家の防衛まで、必ず必要とされる、自己防衛の心構えのあり方を示すものになります。





銃を間違った思想で、自己本位に使用すれば、どのような悲劇がもたらされるか、それは歴史的に、数多くの犯罪、共産主義やナチズム、イスラム国などの蛮行で明らかです。未だ、人間の社会と国際情勢は安全ではありません。21世紀の世界は、銃を正しく所有する「鉄のつえの思想」を必要としているのです。