宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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「儒学者将軍」・徳川綱吉の奇跡的登場

 1.なぜ、綱吉は儒教を徹底して学んだのか? 



3代将軍家光の3男として育った綱吉は、幼少の時から、特別に、儒教の「英才教育」を受けたと伝えられます。それは、極めて稀なことでした。当時、武家の子弟教育で、儒教はほとんど重視されていなかったからです。そのような中で、なぜ、綱吉が例外的に儒教重視教育を受けたのでしょうか? その事情は、『徳川実紀』に詳しく書かれています。




父君の膝の上におられるほどのとき。若君のなかでもとくに聡明に見うけられ。家光様が子守役に仰せられるには、この子は人並みはずれて賢そうだ。悪くすれば才名のために生涯の禍を招くかもしれない。ともすれば過ぎたる振る舞いをして、兄達に礼を失い、憎まれかねない。何事も謙遜をむねとする教育をせよと常々語られた。またある時は、母である桂昌院殿にむかい、私は幼年より武芸を好み、また少壮より大任をうけて、読書のいとまもなく、文芸に力を入れず今になって悔いている。この子は賢く、将来が楽しみである。善き師をえらび、今より書籍を学ばせ、聖賢の道に心を致せば、ゆくゆく役立つであろう。


ここで家光は、幼い綱吉を聡明だとしながらも、それが却って禍となり、兄たち(家綱と綱重)と不和を生じる恐れがあると案じ、生母桂昌院に綱吉を謙遜な性格に育てることと、賢いので早くから儒教を学ばせよと命じています。この心配の背景には、家光自身が弟を死に追いやった苦い経験があります。





綱吉の儒教教育は、6歳の時に家光が死去しているので、なんと、それ以前から始まったことになります。兄である4代将軍家綱は、明暦2年(1656)、ようやく15才で林羅山から儒教の講義を受けました。保科正之は「幼主が聖人の道に志を立てましたことは、実に国家長久の基」と喜んだ、と伝えられます。「聖人の道に志を立てた」と言っており、これ以前の家綱の教育は、綱吉のような儒教学習に力を入れたものでなかったことは明白です。家綱は、将軍在職中も、儒教に関する言及はほとんどありません。





 2.ふたりの兄の死と綱吉の将軍宣下



重要なことは、家光が将軍職を継ぐ家綱には、儒教学習を特に命じなかったという事実です。家光には、儒教が個人の思想形成や経世の学として、必ず修めなければならない学問だという認識はなかったのです。家光にそのような認識があれば、家綱にも儒教学習を命じたはずです。むしろ「文」重視の儒教は、武家の棟梁となる者には相応しくないと考えたのではないでしょうか。





綱吉に対する儒教教育は、聡明な綱吉が思い上がって兄たちと不和になることを案ずる家光が、兄に仕える「悌」の教えがある儒教思想によって、ふたりの兄に従順であることを期待したからです。このように綱吉の儒教重視教育は、将軍の「弟」であり、且つ「聡明」であるという条件のもとで成立した、例外的なことだったのです。





この将軍家での儒教教育のあり方は、当時の武家の価値観を象徴するものです。将軍となる家綱には儒教に力を入れず、3男である綱吉には儒教を重視するという構図は、武家の価値観の核心が「武」であり「文」の思想である儒教は下位に置かれるというものです。





ともあれ特殊な事情から、綱吉は当時の日本社会で珍しく儒教をよく知る人物となりました。更には、この「儒教をよく知る人物」が「儒教をよく知る将軍」になったのは、、家綱と綱重、ふたりの兄の死という稀な事態が起きたからです。





儒教を幕府統治理念とした将軍の登場が、日本社会の儒教認識が高まり自然なかたちで現われたというよりも、「運命の妙」が介在した出来事でした。家光もこの三男坊が五代将軍となり武士の意識を根本的に変える思想改革を断行するとは、夢にも思わなかったことでしょう。「儒学者将軍・綱吉」の誕生は、歴史というものの不思議さをつくづく感じさせるものです。





 3.急転直下の将軍継承



綱吉が推進した、儒教主義による武家諸法度の改正、儒学者の処遇改革などは、家康の政策をくつがえし、幕府の思想的変革を迫る政策でした。それを実行するには、強い権力が必要です。しかし、徳川幕府は重臣の力が強く、剛健な家光ですら、重臣の意見を尊重しました。兄の家綱は「そうせい将軍」などと言われるほど、重臣が政策決定の多くを担いました。ところが綱吉代は、将軍に絶大な権力が集中したのです。この権力は、まず彼の将軍就任の過程、また就任5年目の有力家臣の死によってつくられました。その流れを辿ってみましょう。





家光の重臣たちは家綱に引き継がれ、酒井忠勝や保科正之、松平信綱など、徳川時代屈指の実力と重みのある人物達が家綱を補佐しました。彼らの死後、大老酒井忠清が幕閣のなかで抜きん出た力を持つようになったのです。





『徳川実紀』には「世に伝ふる所」と前置きし、綱吉の将軍継承の過程を記述しています。酒井忠清は家綱病状悪化のなか、次期将軍には霊元天皇の甥にあたる有栖川宮幸仁親王を迎えようとしました。京から将軍を迎えることは鎌倉時代に前例があり、後宮の中に妊娠の側室があったので、男子誕生を期待したつなぎの措置としてこの案が考えられたとしています。





これは権勢並ぶ者のない酒井の提案であり、決定されかけていましたが、老中の堀田正俊がひとり反対し、綱吉を推しました。堀田は夜中、病床の家綱に召され、綱吉を跡継ぎにする意向を伝えられ、綱吉も呼ばれて大任を譲る旨の仰せを受けた、とあります。





 4.ふたりの実力者の排除と綱吉の権力



綱吉後継は、堀田の幕閣会議における抵抗と、家綱の決断によって決定したのです。延宝8年(1680)8月23日、綱吉は将軍に就任し、同年12月に酒井は免職されました。綱吉政権は、酒井忠清という実力者を排除する中で出発したのです。





新政権で力を得たのは綱吉擁立に功のあった堀田正俊です。堀田は儒教を尊重する人物だったので、綱吉政権初期の儒教政策には堀田の参与もあったと思われます。ところが貞享1年(1684)、堀田が若年寄の稲葉正休によって刺殺されてしまいます。この堀田殺害事件を契機に、幕府中枢が大老、老中の既存体制から、人材登庸による側用人体制に移行したのです。堀田死後25年間、綱吉は側用人を重用し、自らが信ずる政策を大胆に実行することになります。





 5.最強の将軍



綱吉はおそらく、歴代徳川将軍のなかで最強の権力を持っていたと思います。4代の将軍を経てすでに幕府の基盤は磐石なものになり、譜代の家臣に気を使う必要もなく、有能な側用人が彼の手足のようになって働きました。元禄時代は政治も社会も新時代の勢いに乗り、経済は急成長期を迎え、政策実行に欠かせない財源を豊かに確保できました。権力者が大事業を行なえる条件が整っていたのです。





綱吉がまず成さなければならなかったことは、武士の儒教に対する認識を変えることです。それを実行するための制度的、人的条件は不十分で、儒教政策遂行の過程で、「制度」を整え「人」を登用し、教育を通じ、人々の意識改革をしなければなりませんでした。明や朝鮮王朝の儒教国教化には儒学者階層である「士大夫」たちが多くの役割を担いました。士大夫のいない日本では、儒教をよく知る将軍の役割が大きなものになったのです。     (永田)




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戦国「神の国」と、徳川「修身斉家治国平天下」 ー激変した日本人の思想ー


中国歴代王朝、朝鮮王朝における孔子の権威は凄まじい

(中国歴代王朝、朝鮮王朝での孔子は計り知れない至高の存在であった)



1.戦国末期・徳川初期は、思想の大改革期



『聖書』「まず、神の国と神の義を求めよ」




『大学』 ー修身斉家治国平天下ー


(我が身を正しく修めれば家庭は和し、家庭が和せば国は良く治まる、そして国が良く治まれば天下は安定するものである) 



                 * * *


 


信長の許可を得、京都にキリスト教会である南蛮寺が建てられたのが1576年、綱吉が江戸に孔子を祀る湯島聖堂を建てたのが1690年です。日本は、近世初期の100年ほどのあいだに、西洋の支配的宗教であるキリスト教を導入し、東アジアの伝統的宗教である儒教を本格的に奨励しました。この時期は、日本史における、思想、宗教の大変革期だったのです。





戦国末期、日本はヨーロッパ文明受容により権力者のアジア観に変化をもたらし、脱亜を選択しましたが、徳川幕府が開かれると国家戦略を旋回させ、入亜へと舵を切りました。家康は、対外拡張の道を放棄し、明と朝鮮王朝との修好を目指します。明はその呼びかけを無視し、明から清に王朝が替わっても国交は開かれず、「元禄入亜」は儒教の宗主国である中華帝国と断絶状態のなかで行われました。日本は朝鮮王朝との外交関係を重視し、アジアとの結び付きを持ったのです。





 2.問題は人々の意識



問題は人々の意識であり価値観でした。当時の東アジアの思想は儒教が主流で、明や清、朝鮮王朝では、国家体制、政治の在り方、教育、人々の価値観や生活習慣まで儒教の及ぼす影響は絶大でした。五代将軍、徳川綱吉は、この東アジアで尊重されていた儒教を強力に奨励したのです。彼の奨励政策は徹底し、最高権力者である綱吉自身が、儒教を頻繁に講義するという世界でも類を見ない宗教奨励策を展開したのです。多彩な文化の開花期であった元禄は、同時に「儒教の時代」でもありました。元禄入亜とは、価値観におけるアジア回帰を成した変革だったのです。





元禄入亜には難題が立ちはだかっていました。儒教思想と、サムライの価値観や武家支配の幕藩体制は矛盾するものだったのです。儒教の理想は君主が仁政を行ない国民に徳を施す政治の実現で、儒者は君主に、仁の道を教え政治を補佐する使命をもちます。そのため国家の指導階層は「儒者」でなければならず、その統治理想を制度化したものが科挙制度です。





サムライとは、軍権を放棄した「文」の王権である天皇の下で、国内の覇権を獲得し維持するために、「武」に特化された日本の実質的統治者でした。ながくこの国を武力で統治したサムライは、「武」を神聖視する独特の価値意識を形成しました。それが平和な時代にも戦いを忘れない、「弓馬の道」に励む伝統です。






 3.文と武の葛藤



この「武」を優先する価値観と「文」優位の儒教の価値観は葛藤せざるを得ません。儒教国家では「文」の思想である儒教は絶対的権威をもち、文臣は武臣に対して絶対上位に位置し、往々にして武人は蔑視されました。中国には「よい鉄は釘にしない、よい人間は軍人にならない」という諺があるほど「武」というものは忌避されたのです。この儒教の価値観から見ると、武人の政権である徳川幕府などは到底許容できないものでした。この矛盾のため家康は、儒教を全面的には受容しなかったのだと推測されます。家康が儒教を大いに奨励したと考えられてきましたが、事実は、儒教と儒学者を狭い枠にはめ、曖昧な状態に留め、積極的な奨励はしませんでした。





綱吉はこれらの難題を乗り越えます。彼の徹底した儒教奨励策は、家康以来の政策を転換させ、儒教思想と武家政権の思想上の矛盾を乗り越え、儒教を徳川幕府の「統治理念」としました。これは日本における思想の大改革であり、家康から始まった入亜の完成を意味し、戦国脱亜によって変貌した島嶼平和国家の本来の在り方を取り戻すものでした。





6世紀の仏教受容が神道の圧迫につながらなかったように、綱吉も仏教を圧迫せず、仏教も儒教に劣らず奨励しました。綱吉の宗教政策は儒・仏奨励と言えるもので、中国発祥の儒教とインド発祥の仏教、すなわちアジアの世界宗教を分け隔てず奨励したのです。しかも30年という長期にわたって一貫して奨励し、儒・仏の感化力によって戦国期から漂流を続けた人々の価値観を安定へと導いたのです。





 4.日本人が明確にしなければならない歴史的事実



現代に目を向ければ、私達が考えなければならないことがあります。中国人に儒教の発展を尋ねたら、漢の武帝代に国教となったと即座に答えるでしょう。韓国人は朝鮮王朝の初代王である李成桂によって儒教が立国の理念となったと明確な答えが返ってきます。しかし日本では、いつの時代に、どんな権力者によって儒教が大きな発展を遂げたのか明確な認識がありません。




日本の儒教は、江戸・元禄時代、徳川綱吉の奨励政策の結果、近世日本の統治理念になったのです。綱吉がどんなに嫌われていてもこれが答えです。日本史上、儒教を最も強力に奨励した人物とその政策について考えることは、私達の精神遍歴の重要な部分を知ることであり、日本の在り方を外に発信する時に必要な歴史認識であると思います。 (永田)



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21世紀、宗教の地殻変動は、福音派、ヒンズー教、儒教から  -プロビデンスによる宗教融和-

宗教のプロビデンス



神は、相互に依存し調和をなす世界を創造しました。しかしなぜか、人間社会は苦しみや悲しみ、恨みが渦まく、不調和な世界になってしまいました。歴史は、そのような人類を救済する過程でした。神の救済プロビデンス(providence: 摂理)は、人類の苦しみをなくし、世界に調和をもたらすことです。このプロビデンスは、すべての宗教の目的に反映し、仏教は、「衆生済度(すべての人を救う)」、キリスト教は、「この福音を全世界に述べ伝えよ」という目的を持ちます。「神・仏-宗教-世界救済」は不可分のものとしてつながっているのです。まず、4つの教団に反映したプロビデンスを見てみましょう。




 真言宗


仏と法界が衆生に加えている不可思議な力を前提と
する修法を基本とし、それによって仏の智慧をさと
り、自分に功徳を積み、衆生を救済し幸せにする。




 浄土真宗


阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏
を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に
生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。




 霊友会


在家の叫びで世界平和に貢献する。世界平和に貢献
するには人間が幸せでなければならない。(久保角太
郎師の教え)




 崇教真光


善想念の人類を一人でも多く育て、輝かしい天国文
明づくりに邁進。宗門宗派にとらわれない、宗教を
越えた「崇教」として、すべての人々、すべての国々
が連帯し協力することが可能と信じる。





このように、宗教の究極的目的は、人の心の救いと世界の救済です。あるひとつの宗教が圧倒的な力をもち、その宗教の教えで人類を救えば、世界救済は単純な展開で成就します。しかし神は、ひとつの宗教に支配的勢力をもたせるのではなく、性格の異なる複数の宗教に勢力を分散しました。





そのため世界の宗教勢力図は、宗教が融和し、協力しなければ人類を救済できない構造になっているのです。これこそ、神の歴史的プロビデンスと考えるべきです。宗教が一致するためには、このようなプロビデンスの意味を探らなければなりません。





 地球を受け継ぐのは無宗教の勢力?



そもそも、宗教協力を行っても行わなくても、世界の宗教は運命共同体です。古い殻を破り、新しく生まれ変わらなければ、21世紀の宗教は、世界救済どころか、衰退の道をたどる可能性が高いのです。





前エコノミスト誌編集長アンソニー・ゴットリーブ氏は、『2050年の世界』(英エコノミスト誌発行)で、「宗教はゆっくり後退する」と題し、「2050年には、世界の信仰者の数自体は増えているが、原理主義的勢力は後退し、最終的に地球を受け継ぐのは無宗教の勢力」と断じました。今の宗教は、とうてい21世紀の地球をリードできるような力量をもたないという認識に立った厳しい予想です。





残念ながら、わたし達はゴッドリーブ氏の予想を、一笑に付すことができません。宗教が決して良い状況ではないからです。現代の宗教は明確なビジョンを持たず、大衆と結びつきが弱く、社会に秩序や平安をもたらす確かな役割を果たしていません。そのうえ多くの教団は、連帯し助け合う教団もなく孤立し、発展にも限りが見られます。





すなわち、現代の宗教は、国家、世界のなかで、どんな位置にあり、どのように影響力を発揮できるか皆目分からないのです。分かっている教団がはたしてあるでしょうか。また、各教団は自己完結的に強い信仰があっても、宗教全体はバラバラで、未来の展望も見えない、アノミー状態に陥っていると言っても過言ではありません。これが宗教の実情ではないでしょうか。





宗教は、多くの信者を有し決して弱くありません。それどころか、世界最大最強の社会集団であることは間違いありません。すべては、分裂、孤立していることが問題なのです。宗教は団結し、共同で、人類の難題を解決できる地球大のビジョンを示さなければ、無宗教の勢力に道を譲るしかないのです。宗教協力こそ、21世紀宗教の運命を左右するものです。





宗教はつながっている



ゴッドリーブ氏はまた、「世界における宗教の勢力図が大きく変わるようなことは、現在から2050年までのあいだに、救世主が本当に現われでもしないかぎりない」と、興味深い指摘をしています。これは冒頭部分に現れる言葉ですが、これがポイントです。すなわち、無宗教の勢力が地球を受け継ぐには、「今の宗教勢力図が変わらない」ということが前提になっているのです。





確かに、長い歴史のなかでつくられた宗教勢力図は、容易のことでは変動しないでしょう。しかし世界の宗教者が、超越者の意図を中心とし、「宗教はつながっている」と実感すれば宗教勢力図は変化します。





宗教は、神から個別の使命を負っているのです。そのため、神、人間、家族、自然など、それぞれ強調するものがちがいます。すべての宗教が、固有の要素と長所をもつこと自体に、超越者の深遠な計画を感じざるを得ません。これはまさに、神の歴史的、地域的プロビデンスが現象化したものです。





重要なことは、この個別な性格は、宗教が別々の道を行くためではないということです。宗教が個別の良きものを維持しつつ、大きく統合、協力し、ともに人類を救済することに真の目的があるのです。ですから。「異宗教の交流」は、宗教の存在理由である神のプロビデンスを知ることにつながります。各宗教に秘められた神の全体計画を悟り、宗教が融和すれば、分裂した宗教勢力図は崩れ、世界の宗教は、大きく融和する道に向かうのです。これは各教団の自由な意思による融和であり、各教団を縛る、統合、統一ではありません。





 21世紀の3大宗教群



21世紀、世界の宗教は、「3つの宗教群」に分けられ、それぞれに注目しなければなりません。第1群は、現在、世界に強い影響力を持つ伝統宗教です。まず、アブラハムの流れをくむユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そして、仏教です。これらは世界で大きな影響力をもつ宗教です。世界194か国のなかで、121か国はキリスト教が優勢、52か国はイスラム教優勢で、両宗教あわせて173か国にのぼります。ユダヤ教の信者は1300万人程ですが、キリスト教、イスラム教の源であり、ユダヤ人は優秀で、世界の知識、政治、経済などで大きな影響力をもちます。





仏教も、日本をはじめ、東アジアで大きな勢力をもち、着実に世界に広がっており、この趨勢は止まることはないでしょう。第1群は、近代以後、世界の運命を左右した宗教群であり、人類の未来を予測するにも特に注視しなければなりません。





第2群は、伝統宗教のなかで、21世紀に影響力を拡大すると予想される宗教です。プロテスタントの福音派とインドのヒンズー教、そして中国の儒教です。





まず、福音派から見て行きましょう。福音派は、トランプ福音主義大統領の登場で、福音派の人々は活力と使命感を得、今日、世界で最も元気な宗教といわれます。「福音派」は、ひとつの定まった教団ではなく、プロテスタントから興った、熱烈な信仰的情熱をもつ福音主義運動と言った方がいいものです。広義に捉えると世界に数億人の信者を有すると考えられます。特に、福音派に属するペンテコステ派は急成長を続けており、2025年には、信者数が7億8000万人に達すると予想されます。(「世界宣教活動統計」ゴードン・コンウェル・セミナー)





彼らは、トランプ大統領を熱烈に支持し、ペンス副大統領、ポンペイオ国務長官なども福音派です。今や福音派は、アメリカを動かし、世界に大きな影響力を持ちます。また、福音派は、世界で急速に勢いを増す、反グローバリズム運動の先頭に立ち、21世紀の世界を変える中心勢力になろうとしています。





また、2群に属する宗教は、インド発祥のヒンズー教と中国の儒教です。両国は人口超大国で、合計すれば約25億人にのぼり、これは第1群宗教の信者数に匹敵します。歴史的にインドのヒンズー教、中国の儒教は、両国における支配的宗教で、21世紀の宗教の行方を知るには、この二か国の動向と、その宗教に注目しなければなりません。





インドのヒンズー教は10億人が帰依する宗教で、インドは、「神々と信仰の国」といわれる、多神教を熱心に信じる国です。今日、インドは急速に発展しています。インドの発展とともに世界でヒンズー教への関心が高まり、ヒンズー的多神教は21世紀の文明、文化に大きな影響を及ぼすでしょう。





一方、現在、アメリカと中国は激しい貿易戦争を繰り広げています。アメリカの目的は中国共産党を倒し、同国を民主化させることです。共産党が倒れたら、中国人が儒教を中華民族の中心理念に据えるのは時間の問題です。すでに、胡錦涛時代から儒教を復興させましたが、共産主義と矛盾するため、儒教奨励政策を後退させたのです。共産主義の足枷さえ無くなれば、中国は一気に儒教国家に向かうでしょう。そうなれば、儒教は10億人以上の信者を有する大宗教に変貌するのです。






第3群は、19世紀以降に勃興した、数多くの「新宗教」です。全体規模は、1群、2群の宗教と比べると、すべてを合わせても比較にならないほど小さなものです。しかし新宗教は、1群、2群から分かれた教団や、新しい発想をもつ多くの教団をふくみ、多様で、活力をもち、短時間に発展しました。150年ほどで急速に発展した事実は、神のプロビデンス抜きに説明できません。そして現在、確固とした基盤をつくり社会に定着しました。





新宗教は、新しい教義と平和メッセージを提示し、宗教の復興と改革を目指します。さまざまな文明的背景を有し、融和的宗教も多く、世界宗教化した教団も少なくないのです。





何よりも、伝統宗教間でおこなわれた抗争や戦争に関わらなかった新宗教は、宗教対立の解消に積極的貢献ができる立ち位置にある宗教群といえます。神が新宗教に与えた使命は「宗教融和の媒体」、「宗教対立のショック・アブソーバー」機能で、1群、2群を中心に構成される世界宗教文明圏の融和、協力には、第3群である「新宗教」の役割が期待されるのです。





1群の、世界に影響力を持つ宗教、2群の21世紀に発展する宗教、3群のユニークな新宗教が、持てる力を発揮し、共に世界の恒久平和を実現することが、21世紀、神が宗教に課した人類救済プロビデンスなのです。





「為に生きるこころ」で宗教の大交流時代を!



特定の教団が人類を救うのではありません。また、分裂した宗教がそれぞれの救いを人類に与えるのでもありません。宗教が一致し、本質において同一の救いが人類にもたらされるのが神のプロビデンスにちがいないのです。





宗教は、教義のちがいを超越し、共同で正しい価値観と未来ビジョンを示し、苦しむ人々を助け、平和を実現し、地球環境保全をめざすべきです。これは誰も反対しない、人類にとって共通利益をもたらすものです。





たとえば、宗教がひとつになり、人々を感化し、殺人や強姦、誘拐などの凶悪犯罪が根絶できれば、理想世界の実現は時間の問題です。全ての宗教がもつ「愛のこころ」、「殺してはならない」という教えで、人々の心が善化されれば実現は可能です。それは個々の宗教の教義を越えた、「人類の教え」といえるものです。





夢のような話ですが、「自由」や「平等」も人類にとって途方もない夢でした。しかし今日実現できました。世界の平和と、人の善化、貧困の克服、地球環境保護は並行して推進しなければなりません。これらの問題を解決できる、宗教の平和主義、正しい善悪観、施しの心が、宗派の壁を超えた「人類の教え」です。これこそが宗教が共有する本質で、宗教のもっとも重要な共通要素なのです。






宗教には規模の違い、歴史的背景や現実問題に対するスタンスの違いなどがあり、なかには鋭く対立する教団もあります。それらを乗り越えるものが、すべての宗教がもつ「為に生きるこころ」、すなわち共存の思想です。





家族に対するような心で相手の為を思い、異宗教に対する偏見や遺恨を克服し、まず自分から与えるのです。「為に生きるこころ」と同義語である「博愛」、「共生」、「人助け」など、すべての宗教がもつ利他のパワーを発揮すれば、宗教融和、協力は実現できます。





また、異宗教交流は、つよいスピリチュアリティーの高揚があります。交流の背後に、双方の教団を導いた超越者の計り知れぬ心情があるからです。宗教交流は、神が分立して推進したプロビデンスが出会い、長いあいだ分かれていた善なる家族がめぐり合う瞬間です。すべての宗教者にとって、神の大いなる摂理を完遂させる最後のフロンティアは宗教協力なのです。





そして宗教は、新しい救世観を持つべきです。人々を救済できる存在、すなわち「救世主、大預言者・覚者・聖人」などは、一人ではありません。人が「救世主」の真理と愛によって救われれば、その人は「救世主の代身者」になるのです。そもそも、家族、氏族、民族、国家、世界に、数多くの救世使命を担う人々がいなければ、77億にも及ぶ人類の救済は不可能なのです。この発想の転換によって宗教者は、奉仕の精神とともに、世界救済を視野に入れた真の主人意識を持つことができます。





宗教者がこのような積極的救世観をもつとき、宗教は地球を受け継ぐ勢力になることができます。すべての宗教者は、神のプロビデンス的使命を達成するため、心を広げ、「精神の大交流時代」を開くべきです。      (永田)





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アジア発祥のキリスト教・統一教会 -文鮮明師の苦難の歩みー

西洋キリスト教文明圏に伝わった東洋のキリスト教



統一教会(世界キリスト教統一神霊協会)は、合同結婚式、そして霊感商法で、社会の注目と批判をあびました。神が祝福する結婚による救済は統一教会の教えの核心をなします。今日、社会的コンプライアンスを重視し、霊感商法はしていません。信者に対する巨額献金要求については、2015年3月3日、当時、世界会長であった文鮮明師の七男、文亨進師が、「日本人から集めた全ての献金は返却せよ」と命じました。





統一教会は、文明史的に興味深い宗教です。宗教と文明は密接な関係にあります。ですから、通常、文明圏を示すとき、キリスト教文明、仏教文明などと、宗教で区別します。キリスト教は中近東というアジアの一角から始まりましたが、ローマ帝国という西洋文明圏に受容され、西洋に影響を与えるとともに、自ら西洋の宗教に変貌しました。






キリスト教はアジアに伝播し定着しましたが、アジア発のキリスト教が成功する例は稀です。反対に、仏教も西洋に伝播しましたが、西洋発の仏教もありません。宗教は全人類的な教えを持ちますが、実際に、その教えの本質が、文明を越えて根付き、新しいものが誕生し、逆流するようなことは容易ではないのです。統一教会は、珍しく、アジアで誕生したキリスト教で、西洋にも拡大しました。家庭重視、祝福結婚式はじめ、多くのユニークさは、アジア発である事実が関係しています。ここでは、一般に知られていない、統一教会の中身と歴史について取り上げようと思います。特に、アメリカにおける統一教会の歩みは知られていません。まず、文鮮明師の言葉をあげます。




戦いではじまった歴史は戦いでもって解決することはできない。ただ和解するしかない。
                            文鮮明師.『み旨の道』





 苦難の道と宗教協力・アメリカの「反改宗法」の脅威



文鮮明師の道は困難なものでした。独立運動をしていた日本留学時代は、日本の警察から過酷な取り調べを受け、戦後は、北朝鮮の興南収容所で2年5か月のあいだ、残忍な強制労働を強いられました。韓国でも、無実の容疑で3か月収監されました。逮捕されるとき、マスコミは文師を誹謗する記事を大きく報じましたが、無罪放免記事は小さく報じられただけでした。






1970年代、アメリカで統一教会が急速に発展し、それを嫌った人々は、統一教会に打撃を与えるため法的手段を講じようとしました。ところがこれは、統一教会を越え、宗教全体の問題に発展したのです。当時、世界の宗教は危機に直面していました。






1980年、ニューヨーク州議会で「ラッシャー反改宗法案」が提出され、おおくの州でも同様の動きがありました。これは、疑いあるとした改宗は政府が介入し、強制的に「脱洗脳教育」を施せるという法律です。まさに、人にとって重要な宗教的回心を、洗脳と決めつけ、宗教の活動を妨げる恐ろしい法案でした。






法制化の狙いは、統一教会などの新宗教の発展を抑えようとしたもので、「ムーニー(統一教会信者の別称)法案」と呼ばれました。こんな法律が制定されれば、新宗教の入信者のみならず、あらゆる宗教改宗者に適用される恐れがある、信教の自由を否定する内容でした。もし当時、アメリカで反改宗法が制定されたら、各国の宗教政策におおきな影響を与えたことでしょう。






同法案に対し、全米キリスト教協議会やニューヨーク州カトリック会議、有力な法曹団体や市民団体などが一斉に反対声明を出しました。この勢いにおされ、ニューヨーク州知事は拒否権を発動し、「ラッシャー反改宗法案」を廃案としました。宗教はあやうく危機を免れたのです。






 文師釈放のために立ち上がった宗教者



次に政府は、文鮮明師をわずか7300ドルの脱税容疑で告訴しました。目的は文師を追放することでした。師が国外に退去すれば裁判は終わりますが、反対に、二度とアメリカに入国できなくなります。当時のアメリカは、外国の新宗教が急速に発展している情勢を危惧し、建国理念である信教の自由に反し、排他的宗教政策を取り始めていたのです。






これは明らかに脱税を理由とした宗教弾圧で、信教の自由に逆行するものでした。文鮮明師は法廷闘争をつづけましたが、それに呼応し、アメリカ宗教界が中心になり、文師を支援する動きが広がったのです。全米キリスト教協議会、福音派教会全国協会、北米合同長老教会、全米バプテスト教会、モルモン教、その他の教団、米国市民自由組合、キリスト教法律協会など、まさにアメリカの主要宗教連合体や法律団体、新宗教が名を連ねたのです。






しかし、1984年7月20日、文師はコネチカット州ダンベリー連邦刑務所に収監され、13か月間、自由を拘束されることになりました。






ところがその時、驚くべき動きが起きました。アメリカのキリスト教聖職者七千人あまりが文鮮明師を救出するために立ち上がったのです。強い影響力を持つジェリー・ファウエル牧師や、オバマ大統領就任式で祈祷したジョセフ・ローニー牧師などが先頭に立ちました。多くのキリスト教聖職者が集会とデモに参加し、文師の釈放と信教の自由守護を叫んだのです。






これは、アメリカの宗教政策の流れを逆転させるものでした。文師の不当な収監に対し、上院憲法小委員会のオリン・ハッチ委員長が再調査し、アメリカ政府の行為が不正であったと明言するなど、逆に信教の自由が再確認され、宗教的寛容の精神が高揚したのです。






アメリカで起こったこの一連の宗教協力は、まさに歴史的快挙でした。過去、政府に弾圧された宗教は、大衆からも見放され、社会から孤立し、一方的に宗教側が悪とされました。それにともない、国家の宗教環境も不自由なものになり、弾圧された宗教の名誉回復は長い年月を要したのです。これが宗教弾圧の構図です。






ところが、文鮮明師に対する弾圧では、宗教者がこれを、宗教全体の危機ととらえ、文師を強力に支援したのです。政府の宗教弾圧に、宗教界が大挙、反対に立ち上がったことなど歴史にかつてなかったことです。それが20世紀後半、超大国アメリカで起こったということは、21世紀宗教の運命を分ける分岐点になったと推測されます。






文師は生涯で、日本、北朝鮮、韓国、アメリカで弾圧を受け、獄につながれました。三度は、師を支援する宗教はなく、孤立し、ひたすら犠牲になりましたが、四度目のアメリカでの収監は、多くの宗教者とともに、宗教の危機を克服するという勝利をおさめたのです。






これはまた、宗教融和と協力のモデルでした。宗教が、信教の自由のためにひとつになったのですから、世界平和実現のため、ひとつになれないはずはないのです。






アジアとキリスト教



ある国で、宗教が誕生し受容されるには、国家的、精神的背景が必要です。そのため、アジアから新しいキリスト教が生まれるのは難しく、西洋から新しい仏教が生まれるのも難しいのです。前述しましたが、統一教会はアジアで生まれたキリスト教です。






19世紀なかば、中国で台頭した太平天国も、アジア発祥のキリスト教でした。太平天国は、アヘン戦争で打撃をうけた中国を、キリスト教の力で再建するため蜂起しました。モーセの十戒を踏襲したような戒律をもち、土地の均分、男女同権を推進し、纏足などの悪習を廃する一方、教義も儒教や道教という伝統宗教と調和するものに発展させました。その近代性ゆえ、庶民に歓迎され、勢力を拡げ、一時は中国を二分する広大な領域を支配したのです。






実に、日本の明治維新より14年も前に、中国大陸にキリスト教を奉ずる国が成立したのです。洪秀全教祖の神秘体験からはじまった運動が、驚くべき急拡大を成し得たのは、初期キリスト教のような霊性の高揚と、イスラム教発展期のような強い使命感があったからです。






しかし太平天国は、清軍や外国軍とはげしく戦い、2000万人にもおよぶ死者を出す、世界史上三番目といわれる悲惨な戦争の末に亡びました。1843年の布教開始から、わずか21年のことです。






中国で、短期間に、新しいキリスト教が発展できたのは、この国が宗教に寛容な伝統があったこと、また、混乱期に新しい宗教が庶民を基盤に勃興した歴史があり、当時の中国も、アヘン戦争で混乱期に突入していたからです。






一方、太平天国の失敗は、宗教の伝播を軍事力で行ったことです。もし平和的方法で伝播していたら、今日、「太平天国」という、アジア発のユニークなキリスト教が存在し、東西文明の橋渡しの役割をしていたかもしれません。






日本の戦国時代、カトリックの宣教師は、人々を愛し、奉仕の道を歩みましたが、仏教と神道の価値を認めず、伝統宗教との融和を求めませんでした。最後は、島原の乱という軍事に活路を見いだし、鎮圧され、はげしい迫害を受けました。当時、武士から庶民まで多くの人がキリスト教に帰依していたのです。もし融和的宣教を行ったならば、江戸期において、日本にキリスト教が根づいたことも充分に考えられます。






新しい宗教が受容されるには、平和を重んじ、その国の歴史、伝統、文化と調和することが肝要です。とくに、東洋と西洋という文明のあり方が異なる場合は、一層の融和的姿勢が必要なのです。近代になり、アジアにおけるキリスト教宣教は、慈善活動や教育事業をともなう平和的手段でおこない実を結びました。近代化された世界において宗教が成功するには、現地の宗教と融和することが必須条件なのです。






 融和と統合の宗教のルーツ



19世紀中葉、太平天国という、アジア人が主導したキリスト教運動は終焉しました。それから約1世紀後、中国の朝貢国であった韓国から、統一教会というアジア発祥のキリスト教が出発します。統一教会は、国際紛争の平和的解決を主張し、人類融和と宗教一致をめざす宣教を推進し、発展しました。






統一教会は、韓国における日本の植民地支配、戦後の国家分断という歴史を背景とします。日本支配下、韓国の人々は信仰に救いを求めました。儒教、仏教、道教など伝統的宗教が篤く信仰される一方、キリスト教も復興し、ピョンヤンは「東洋のエルサレム」といわれるほどクリスチャンが多かったのです。






在日の作家金達寿氏が、1945年、終戦の年の旧盆、儒教式の祭祀を準備しているとき、兄が「日本人がいなくなったので、祭祀の供え物も簡単にするか」と言ったそうです。圧倒的な日本の力に対して、信仰の力で対抗していた韓国人の心情をあらわす逸話です。文鮮明師も、キリスト教信仰や儒教的伝統が根づいた家庭で育ちました。






また、同族が戦う朝鮮戦争を体験し、南北分断という過酷な現実に直面する韓国は、「統合の思想」が切実に求められました。このような国家的、精神的背景から、宗教の復興と融和をめざす統一教会が誕生したのです。中国の朝貢国であった時代を経て、フランスに植民地支配され、大戦後は南北に分断されたベトナムで、諸宗教が融合したカオダイ教が発展した現象と似ています。






朝鮮戦争当時、北朝鮮の興南刑務所から解放された文鮮明師は、二人の弟子をつれて釜山に避難しました。師は廃物で作った粗末なバラックで、統一教会の輝かしい未来と、世界中から私の言葉を聞きに多くの青年が集まって来ると熱を込めて語り、伝道したと伝えられます。その言葉は30年も経ず実現しました。






文鮮明師の運動は、キリスト教伝道が困難といわれる日本に根をおろし、キリスト教国家ともいえるアメリカでは、キリスト教精神の復興と宗教融和を提唱しました。70年代前半、ウォーターゲート事件で深刻な混乱に陥っていた米国民に、「許し、愛し、団結せよ」と国民融和を訴えたのです。






文師が、1972年から始めたアメリカ諸都市講演は、3年間で60都市におよび、1974年、ニューヨークのマディソン・スクェアーガーデンで、満場の聴衆にむかい「キリスト教の新しい未来」と題する講演をおこない、大成功をおさめたのです。






アメリカ建国200周年の1976年、ヤンキースタジアム大会を開催し、同年9月のワシントンDC大会において、文鮮明師は、30万人の観衆に向け、「アメリカよ、神に帰れ!」というメッセージを伝えたのです。この70年代のアメリカ布教の成功により、統一教会は世界的宗教に発展しました。






今日、統一教会は積極的に海外宣教をすすめ、世界的な基盤をつくりあげました。この成功は、民族の壁を越えてひとつになった宣教団が、各地の宗教、文化、伝統を尊重し、融和的宣教をおこなったからです。 






 宗教者がリードする国際社会



過去、統一教会は他宗教を批判したことがありません。宗教は神のプロビデンス(摂理)で創られ、各教団はかけがえのない価値をもつという教義があるからです。文鮮明師は、宗教の融和を提唱し、宗教間対話、協力を推進してきました。






文師は、「自分の宗教だけが唯一の救いであると言い張って混乱を引き起こすのは、神様が願われることではありません」と訴え、宗教者が、他の宗教の伝統を尊重し、宗教間の争いや衝突を防ぐよう努めることを主張します。そして、すべての宗教共同体は互いに協力、奉仕し、世界平和実現のため、あらゆる宗教リーダーが参画する、超宗教的協議体を発展させることを提唱します。






今日、世界の紛争は、宗教や民族間の葛藤に起因するものが多いのですが、国連では、その解決を各国政府の代表が担当し、宗教者の出番はほとんどありません。これでは各国の立場と国益が優先され、対立解消は不可能です。そのため国連を、政治、外交分野の代表による下院と、宗教の代表による上院とによって構成される、二院体制に改革することを提案します。






「政治」と「宗教」が協力することによって平和は達成されるとし、「世界情勢に対する分析力を備えた政治指導者の知識と統治能力が、霊的な眼識を備えた超宗教指導者の知識と一つになるとき、世界は初めて真なる平和の道を見いだすことができるのです」と訴えます。






西洋には、凄まじい被害をもたらした宗教戦争の教訓から、宗教を政治から排除する政教分離の原則があり、それが国連のあり方に適用されています。現代の国際社会は、西洋宗教史の負の遺産を負っているのです。






しかし、アジアの宗教は王権の下で人々の霊魂救済に努めてきました。西洋と東洋では国家における宗教のあり方がちがうのです。このような東洋宗教史の立場から考えると、あえて宗教と政治を分離する、西洋的思考にこだわる理由はなく、文鮮明師が提唱するように、宗教者が先頭に立ち、世界平和実現に力を尽くすのが自然な姿だといえるのです。





また、東洋宗教は、西洋宗教の積極性から学び、世界に出て活動すべきです。一方、西洋宗教は東洋宗教の謙虚さから学び、宗教戦争によって形成された「宗教警戒史観」を解消しなければなりません。






歴史的な東西宗教の融和が実現すれば、宗教はあらたな活力を得、負の遺産も清算できます。東西宗教の良き伝統を交差受容して新生した宗教が、国連の場で役割を果たし、国際社会を平和へとリードすべきです。






 理想家庭と国際祝福



統一教会の最大の特徴は、教理と実践を貫くものが「家庭」であるということです。神の愛は、宇宙的なものであるとともに、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛という、切っても切れない、親密な「家族愛」が中心を成すと説きます。






人は誰でも、寄り添うことができ、苦楽を共にしてくれる家族を求めます。これは個人だけでなく、人類、世界もおなじです。文鮮明師は家庭を、「人類愛を学び教える学校」とし、「家庭は世界に拡大するから大切なのです。真の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、世界平和、神の国の出発点です」と、人類が家族的意識で結ばれることを主張します。






国連は、平和で幸福な世界の実現に努力していますが、力の限界を示しています。それは世界を、独立性を持つ主権国家の集まりと見、加盟国が権利と義務を持つという、西洋的思想で運営されていることが、ひとつの原因ではないでしょうか。






世界が抱える深刻な問題は、権利や義務意識だけでは解決できません。宗教対立、貧富の差、環境・資源問題などは、諸国が痛みを分ち合う、家族的連帯なくしては、とうてい解決不可能なのです。人類を一つの家族と思う心で、苦しむ人々を助け、難題の解決に取り組まなければなりません。






アジアの伝統は「家族」を重んじることです。ながく西洋の影に隠れてアジアの思想は軽視されてきましたが、現代の世界問題を解決するためには、アジア的伝統の復興が求められます。人の独立性を重視する西洋の人間観と、東洋の家族主義をひとつにし、理想家庭と理想世界を実現すべきです。






「国際祝福」という、統一教会が重視するモーメントも、人類が具体的に、「ひとつの家族」になる運動です。国家間の葛藤を解消し平和を実現するには、「国境を超えた人間の結びつき」を強めるしかないのです。






祝福式は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの来賓が、それぞれの宗教の祈祷をささげ、仏教僧侶が「般若心経」を唱えるという、感動的な超宗教的セレモニーです。文字どおり、神や仏が祝福する結婚により、世界が「ひとつの大家族」になることが平和への確実な道です。






そもそも70億人類は、国籍、民族を越えて、「ひとつの種」として結びついているのです。どんなに皮膚の色が違っても、正しい価値観をもって男女が結ばれれば、神が愛する素晴らしい家庭を築くことができ、それが親族、民族、世界に拡大します。このように人類が、国際祝福により、自分たちが、分かつことのできない絆で結ばれた「一つの血族」であることを自覚するとき、抗争の歴史によって形成された全ての恩讐を克服することができ、世界に真の平和が訪れるのです。   (永田)





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 世界的宗教対話のリーダー・立正佼成会 ―謙遜な巨人・庭野日敬師ー

 宗教対話の双璧・バチカンと立正佼成会



世界的に高く評価される、宗教対話・協力を推進している宗教は、カトリックのバチカンと立正佼成会です。宗教が弱いと言われる日本の宗教、それも新宗教である立正佼成会が挙げられるのは奇異にも感じます。理由は、開祖・庭野日敬師が心血を注いで宗教協力を推進してきたからです。庭野師の言葉をみましょう。





宗教が互いに背を向けるのではなく、協力して人びとを救済しなければならない。世界平和という同じ理想をめざす情熱が一つに結集すれば、その力は百にも千にもふえていく。

                                                        庭野日敬師『この道』





 「世界宗教者平和会議」を成功させた、謙遜な巨人



新宗教誕生の動機は、伝統宗教が成せなかった理想を実現するというもので、そこには強い改革意思があります。改革の方法は教団によって異なりますが、立正佼成会は、宗教協力を推進することによって宗教の理想を成し遂げようとしました。






立正佼成会の庭野日敬開祖は、「世界宗教者平和会議」を主導し、世界の宗教交流、協力に多大な貢献をしました。1970年に初回を開催し、今年の8月20日から23日まで、ドイツのリンダウで開催される会議で10回を数えます。これはキリスト教、イスラム教、仏教、新宗教教団などの正式代表が参加する、宗教者による平和創出をめざす会議で、世界的に高い評価を得ています。今年の会議のテーマは「慈しみの実践・共通の未来のために」です。






1965年のローマ教皇との出会いが、庭野師に会議推進を決心させました。パウロ6世が開祖に語った言葉は次のようなものです。「あなたが宗教協力を熱心に進めていることは、よく知っています。これからも大いに推進してください。教皇庁でも異教に対する考え方が変わってきました。たがいに認めあい、祈りあうことが必要です。宗教者がたがいに手をたずさえて平和の道を歩むほかに、宗教者が人類に貢献する道はありません」。世界最大宗教のリーダーと、宗教協力に強い意欲を持つ宗教リーダーが対面した瞬間です。






庭野開祖の自伝『この道』を読むと、教皇との面会を、まるで少年が尊敬する人に会ったように感動しています。大教団のリーダーと思えない反応です。しかしこれは、開祖の謙遜な人格から生まれる自然態です。






第一回会議の前に開祖は、「日本宗教連盟」と「新日本宗教団体連合会」という日本を代表するふたつの宗教連合体の会長になっていました。開催準備にあたり、自分は「使い走り」に徹すると言い切り、その謙遜な態度に感銘した諸宗教の人々は積極的に協力しました。





この世界宗教者平和会議の成功は、多くのことを教えてくれます。まず、これほどの画期的な会議を推進したのが、伝統宗教ではなく新宗教の指導者であったということ。また、開祖が他者に仕える謙遜な姿勢をもっていたことです。異宗教交流をおこなう宗教者はこの精神を学ぶべきです。庭野開祖こそ、他を尊重し仕え、世界の宗教融和を前進させた、「謙遜な巨人」なのです。





  
 宗教協力の思想



「人々に平安を与えるべき宗教が、たがいに壁をもうけて反目しあっていたのでは、宗教そのものが、社会からはもちろんのこと神仏からも見放されてしまう」。庭野開祖は、宗教が何か特権をもっているかのような考えは微塵もありません。宗教が対立し、人々に平安を与えられなければ、神仏と人に見捨てられると考えるのです。




 


宗教協力が始まってから50年余りになりますが、大きな流れにならず、いまだに世界の各地で宗教間の葛藤がつづいています。なぜ、宗教の和解、協力は難しいのでしょうか。






最大の理由は、教祖の言葉に宗教協力についての言及がないことです。イエス、釈迦、マホメットなど、世界宗教教祖は、宗教交流、協力についての言葉を残しておらず、教義にもなっていません。他宗教との関係という、宗教にとって極めて重要で敏感な問題について、教祖の言葉に根拠を見出せないことが、宗教協力の最大の障害です。






高度な教えをもつ宗教がなかった時代、世界宗教の教祖は、多くの人に、新しい救済の教えを伝えることに専心しました。この時代には、まず教えを伝播することが先決で、宗教の融和が求められる時代ではなかったのです。






しかし現代は、聖人の教えが世界に伝播し、世界宗教で色分けされる、宗教文明圏が成立しました。今や、高度な教えをもつ宗教どうしの交流、協力が推進できる時代になったのです。






庭野日敬開祖が第二バチカン公会議に招待された理由は、「立正佼成会は新しい宗教であり、穏健な仏教教団として教勢を伸ばしている。しかも会の創始者が現在の会長として活躍しているのは立正佼成会だけ」というものだったそうです。






「新しい宗教」、「発展し、穏健な教団」、「創始者が率いる教団」という厳しい条件がありました。これは内外の抵抗なく、教団が宗教協力を推進することがいかに難しいかということを示しています。庭野日敬開祖の宗教協力活動は、「狭き門」を通り成就したものでした。






また、歴史的に、宗教間の対立によって生まれた軋轢が、協力を妨げています。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の間などで行われた、激しい戦争や迫害の歴史が、宗教協力を妨げる原因となっています。日本においては、信者獲得競争で争った過去のしこりによって、宗教間交流、協力が困難になっています。






そのうえ、さまざまな問題に対するスタンスの違いがあげられます。政治的立場、同性婚問題などに対する考えのちがいもネックになっています。日本では、憲法や集団的自衛権などに対する考え、靖国問題などに対する見解の違いもあります。






主張の違いはあっても、戦争や紛争、環境問題、貧富の差、犯罪対策など、「大同」に立ち協力し、行動すべき課題はたくさんあります。これら世界レベルの問題で協力できれば、その他の問題の解決は容易になります。宗教は、「大きな融和」をめざし、負の歴史と現実問題に対するスタンスのちがいを克服し、手をつながなければなりません。






 「法華経」の救い



新宗教のなかで、日蓮上人を祖師とあおぐ主要教団は、まず霊友会、霊友会から分かれた立正佼成会、仏所護念会教団、妙智会教団、孝道教団などがあります。一方、日蓮正宗から分かれた創価学会など、実に多数をかぞえます。






日蓮系宗教は、「法華経」を尊びます。聖徳太子は法華経を強調し、最澄も天台宗の根本経典と位置づけました。日本において「法華経」は、たいへん影響力ある経典なのです。






「法華経」は途方もないスケールの経典です。同じようにスケールの大きい「華厳経」などに慣れている人には何でもないことでしょうが、他宗教の人が読んだら、驚き途惑うほどの大きさです。他の宗教の世界観も大きいと感じますが、「法華経」は飛びぬけています。ですから「法華経」にも、この経典の理解は難しいと書いてあります。






「世尊は眉間から光を東方に放ち、500万億をさらに無量に倍した数の国々を照らし出した」、「私にはすでに多くの弟子がいる。彼らは皆、菩薩であって、その数はガンジス河の砂の6万倍に等しい。また、その菩薩の一人一人が、ガンジス河の砂の6万倍の弟子をひきつれている。彼らこそ、私の入滅ののちに法華経を宣教するであろう」、「1000万億をさらに無量に倍した数の菩薩が湧き出てきた」などです。人間の感覚では把握不可能な大きさなのです。






しかし、この経典が言わんとする核心に気付くと納得がいきます。それは人の救いです。大きな世界観と対照的に、人の救いに関しては親身に解き明かします。このコントラストが救いを最大限に強調し、広大な宇宙観と人の救済が一つになります。ここに強い求心力が生まれ、日蓮系宗教は「南無妙法蓮華経」と「法華経」に帰依します。






宮沢賢治は日蓮宗の信徒でした。彼の代表作「銀河鉄道の夜」は、雄大な宇宙的感覚と平和への希求、人への優しさがあふれ、まさに「法華経」の世界観がゆたかに反映されている作品です。 





また、法華経信仰はカルヴィンの予定説と似ています。カルヴィンの予定説は、救われる人は神があらかじめ定め、個人の行いは救いと無関係というものです。カルヴィンも、これは理性で納得するのは難しいと言っています。ところが、人の理性を超えているところに、神の意志の無限で奥深いスケールを感じます。






難解な救済論理で明確なことは「聖書」に救いがあるということです。かたや「聖書」かたや「法華経」なのです。また、勤勉を重視し、勤労によって得た富は神の恩寵、救いの証とします。カルヴィン主義者も法華信者も勤勉を尊び、商人階層に広がり発展しました。





しかし、カルヴィン主義の救済は「聖書」を信じる者に集約され、「法華経」の救済は、そのスケールのように全てを一つに包み込む広がりをもちます。次の庭野開祖の言葉は、「法華一乗思想」の真髄と。宗教一致の理想を述べたものです。






法華経は一仏乗を説いている。仏さまの願いは、すべての人びとを仏の境地に導きたいという一事に尽きる。一仏乗とは、統一と平等の思想といってもいいだろう。この世にさまざまな教えがあり、さまざまな異なる教えが説かれてきたように見えるのも、それは神仏の方便によって、それぞれの人にいちばんふさわしいかたちで教えが説かれたからであって、究極の真理が宗教・宗派ごとにいくつもあるわけはない。問題は、その宗教的真理を具現化しえたかどうかであろう。





庭野開祖は、「法華一乗思想」の中に、全ての宗教に共通するおおきな教え、そして、宗教の統一と宗教的真理の具現化という、普遍的理想を見いだしています。神や仏の願いは宗教が争って勢力を拡大することではありません。すべての宗教が融和、協力し、人類の不幸を取り除き、幸福をもたらすことです。庭野開祖の宗教協力の思想と実践は、「法華経」の大きな教えを根拠にしているのです。       (永田)




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