宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

武漢ウイルス後の「あるべき世界 あるべき人間」

1. ドン・キホーテが教えるもの


ルネッサンス期に、セルバンテスが書いた「ドン・キホーテ」は、世界史上、最も多く読まれた小説で、その数、何と5億冊。日本でも、松本幸四郎(白鸚)さん演じる「ラ・マンチャの男」はドン・キホーテをもとにしたミュージカルで、これも1300回というロングランを達成しました。






この小説のメッセージが、「あるべき世界、あるべき人間」です。普通、人間は、現実に折り合いをつけ、流されながら生きています。正直、昔も今も、それが私たちの生き方ではないでしょうか。ドン・キホーテは、悪や偽りが渦巻く現実と折り合いをつけて生きるのではなく、本来の「あるべき世界 あるべき人間」を求め、世界に正義を打ち立てようと、世直しの旅に出ました。






人々はドン・キホーテを、遍歴の騎士を気どる、時代遅れの「変人」扱いしました。しかし、この小説を読み進めると、誰しもドン・キホーテの思想と行動に共鳴してしまいます。ドン・キホーテは、「人間は、命のある限り、希望はあるのだ」、「死に臨むこと生のごとし」、「我は裸で世に出た。故に、裸で世を出て行く」などと、人生に肯定的な霊妙な言葉を語りながら、幾多の苦難を乗り越え、立派に志を貫きます。






いったいどうして、この物語がこんなにも人気を博したのでしょうか。奇想天外で面白いだけではないでしょう。おそらく、私たちは皆、日ごろどんなに現実に折り合いをつけて生きていても、心の奥底では、ドン・キホーテのように「あるべき世界 あるべき人間」の理想を強く求めているからではないでしょうか。






2.武漢ウイルス感染症・東日本大震災の恐怖



今年2020年、世界は武漢ウイルス感染症の脅威にさらされました。先進国でも、ひどい人命、経済の犠牲を出し、国民は恐怖を感じ、今までにない不便な生活がつづきました。日本では、志村けんさんなどの有名人も亡くなり、この病気が他人事でなくなりました。緊急事態宣言により経済的に困窮した人もどれほどいたでしょうか。






今まだ、不気味な感染症で世界がマヒしていますが、はたしてそんなものが発生する現実は「あるべき世界 あるべき人間」の姿でしょうか。昔の人は、感染症とは、星座の乱れ、人間の罪の報い、神の怒りなどと信じましたが、現代の私たちはそれを一笑に付すことはできません。高度な文明社会と思っている現代に、こんな感染症が猛威を振るうこと自体が、私たちの世界がまだまだ不完全だということを意味します。そのうえ、感染症を拡大させ、多くの人命を奪った中国は、一切責任を取ろうとしません。それが文明国家と言えるでしょうか。






一方、9年前の2011年、東日本大震災では、15000人以上の人が亡くなりました。国民は、大きな津波が海沿いの街を飲み込む恐ろしい映像を何度もみて、恐怖と悲しみを感じました。あの光景は、日本だけでなく世界が驚愕したのです。






3.人間が宗教を受容した理由



歴史的に、宗教は、感染症が猛威を振るったときや、自然災害の被害を受けたとき、外国の侵略など、人々が苦難を受けていたときに爆発的に伝播しました。人々は苦痛を受けたとき、「あるべき世界 あるべき人間」を求めだし、宗教に帰依したのです。






突然襲った災厄で、心の準備もなく、急に愛する人が亡くなったとき、誰もが深く「死」について考えさせられます。甚大な物質的被害で、今まですっかり頼っていた経済社会というものが、もろく、不確かなものだったと気づきます。そして、人々は、死後の世界や永遠の命の有無、全知全能の神は存在するのか、神と人間の関係など、平常時では考えなかったことを真剣に考え始めます。






だから人間は素晴らしいのでしょう。人間は、自分の力では解決不可能な困難に遭遇したとき、現実を越えた本質世界に目覚め、確かな信仰、信念を得て、苦難から立ち上がり、新しい出発をしました。ですから、今日まで人類は生き残り、発展したのです。






21世紀に入り20年を経た現在、私たちは思ってもみなかった苦難の時代に遭遇しました。この苦難は現代医学、科学の力でも容易に解決できません。今後、武漢ウイルスよりさらに感染力と毒性が強い新たな感染症が流行する怖れもあります。世界は、より厳しい災厄があると想定し、準備しなければなりません。






4.21世紀の試練を克服できる、精神と肉体をつくる



そもそも、全ての宗教は「あるべき世界 あるべき人間」を求めています。それを見いだせれば、恐怖も悩みも、病も、戦争もなくなり、真の幸福を得ると信じます。聖書には、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。まはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものがすでに過ぎ去ったからである(ヨハネの黙示録21章)」とあります。宗教は、死の恐怖や、病気などの苦しみのない、完全な精神と肉体の幸福を求めます。






今年、全ての人が、武漢ウイルスで苦しみました。皆が、現実の苦しみを抱えながら、「正常な世界 正常な人間」、すなわち「あるべき世界 あるべき人間」を目指しました。今は、すこし、安定を得たようにも感じます。しかし、きびしい試練は、これからやって来ると予感します。







一方、この感染症で、誰もが、肉体の抵抗力を強く意識しました。人々は、感染症に打ち勝つことができる食事の摂取や、健康な生活を実行したのではないでしょうか。精神だけではウイルスに勝つことはできません。




未来に訪れる苦難の時代を生きるには、私たちの先祖がしたように、愛と慈悲の源である本質的存在を知り、確かな世界観、価値観を持ち、自然の摂理にかなった生活をして、精神も肉体も強靭になければなりません。ドン・キホーテが目指した遍歴の騎士のように勇敢に、我々が心の奥で強く求めている「あるべき世界 あるべき人間」の姿を求め、21世紀の試練の時代を乗り切らなければなりません。そのために宗教が役立てば、宗教など時代遅れの変人が信じるものという汚名を返上できます。 (永田)

文明としての銃

1.銃による軍事革命



そもそも、火薬や火砲の発明は中国だといわれます。1241年には、モンゴル軍がヨーロッパに遠征し、ワールシュタットの戦いで火砲が使用されたという記録があります。そして、歴史的にはっきりしているのが、1274年、文永の役、弘安の役で、モンゴル軍が日本軍に対し鉄法(てつはう)を使用しました。その様子は「蒙古襲来絵巻」に示されています。





しかし、本格的に銃を使用し始めたのは、やはりヨーロッパでした。銃が盛んに使われ始めると、剣から、武器の主役の座を奪い、戦闘の帰趨は、銃の性能と数が決するようになりました。そして、近世ヨーロッパにおいて、銃の使用により「軍事革命」が成されました。銃を用いた効果的な戦術が編み出され、常時、射撃兵を確保、訓練するため、常備軍が形成されました。その維持に必要な多額の国家予算・人員・物資を備える必要が、ヨーロッパの近代国家建設を後押ししたのです。銃を活用できる強力な軍事・経済国家の誕生。これが、ヨーロッパによる世界支配を担保した最大の理由です。





2.川勝平太氏「鉄砲が動かした世界秩序」



このヨーロッパにおける銃の発達と展開、日本への伝来と社会に与えた影響は、『地球日本史1-日本とヨーロッパの同時勃興-』において、川勝平太氏が優れた説明をされています。その部分を抜粋、引用します。




《10章「鉄砲が動かした世界秩序」》

ヨーロッパの世界制覇はいかにして可能であったのか。ヨーロッパは16世紀に軍事革命を経験した。軍事革命とは鉄砲の発達、要塞の強化、軍隊の膨張の3つを柱とする。1500-1800年の300年間は、ヨーロッパ史上、近世といわれる。それは、1500年前後に始まる軍事革命から、1800年前後のフランスの政治革命(フランス革命)、イギリスの経済革命(産業革命)、ドイツの文化革命(ゲーテ、ベートーベン、ヘーゲルなどが輩出)に至るまでの3世紀である。





この時期にヨーロッパで戦争のなかったのはわずか30年のみだった。近世ヨーロッパがいかに軍事行使・軍備拡張に熱心であったのか。それは、たとえば、1650年代のイングランドの歳出の90%、フランスのルイ14世は75%、ピュートル大帝は85%を軍備にあてていたことによって想像されよう。





― 戦いはヨーロッパ域内からあふれ出て、制海権の争いに発展した。海上戦は地中海、大西洋、カリブ海、インド洋に拡大し、ヨーロッパ諸国はその都度、他地域を有無をいわせず自国領土に組み込んだ。近代が幕を開ける1800年には地球の陸地の35%、第一次大戦までには84%を支配下においた。





― そもそも鉄砲を発明したのは中国である。  ― その鉄砲がヨーロッパに伝わって火縄銃となり、めぐりめぐって日本に1543年に伝来した。いわゆる種子島銃である。そして、16世紀後半の日本は、世界最大の鉄砲の生産・使用国になった。





― 鉄砲の製造と使用は戦国の世に急速に広まった。1570年に織田信長と戦った石山本願寺の軍は何と8000挺の銃を撃ったという。1575年の長篠合戦で織田・徳川軍の3000人の鉄砲隊が1000挺ずつ3隊に分かれて、いっせい射撃を行って、武田方の騎馬兵をせん滅したが、それをテーマにした黒澤明監督の映画「影武者」によって世界中に知られるようになった。





また、秀吉の文禄の役で、釜山に上陸した日本軍の快進撃は「無人の境を行くがごとく」に急速に朝鮮半島を制圧した。それは朝鮮軍が種子島銃の前に無力であったからである。戦国時代の日本は海外に名の知られた軍事強国であった。





― 鉄砲が急速に普及するにともなって、山城が姿を消して平城になり、堀を大きく、石垣を高く、塀の壁を厚くし、城塁の曲折を増やし、天守閣は展望所、指令所、兵器糧食などの貯蔵所・城主の居所、一国一城の精神的統一の中核とするとともに発砲の便をもっていた。





また戦争の規模が大きくなって歩兵戦術が重視され、軍人を分離して軍人集団を住まわせる兵農分離が行われた。それは、いかに日本の社会が鉄砲本位に再構成されたかを説明しているのである。





16世紀後半の日本は、鉄砲の大量生産に成功し、ヨーロッパのどの国にもまさるとも劣らない軍事大国となり、近隣に出没したヨーロッパ諸国も一目を置いていた。





3.文明の利器としての、剣と銃



以上、川勝平太氏の指摘のように、鉄砲=銃は、近世以降の世界秩序を変革させ、近代国家の制度のあり方にも影響を与えました。それほど「銃」とは、画期的な力をもつ文明の利器なのです。「石器時代」から「青銅器時代」へ、そして「鉄器時代」、現在も「鉄器時代」のただ中にあります。「鉄製の剣」は、千年以上、世界における覇権戦争の帰趨を左右し、ながく武器の主役は「剣」や「槍」でした。そして近世に至り、銃が剣にとってかわりました。「銃」の後は、使われない兵器である「核」です。使われないのですから、実質的には、銃の進化系である、大砲、ミサイルなどが兵器体系の中心を占めます。ですから、今後も引き続き、世界の軍事は「銃の時代」なのです。





ここで、鉄器時代の代表的武器である「剣」と「銃」の性格を比較してみましょう。剣は、人の力を動力とします。人の力の強弱で、剣の力が決します。そして、剣を効果的に使用するには剣をあつかう技量が必要です。剣においては、人の力と技のレベルではっきり破壊力の差がでます。力が弱く技量の不足した人が剣を用いても、剣はその力を発揮できません。力をもち、剣術を鍛錬した者のみが剣の力を引き出すことができるのです。女性など弱く、また、剣の鍛錬をしていない者が、鍛錬した者に勝つことはできません。ですから剣は、弱者が護身用に用いることはできません。





それに対し銃は、火薬を動力とします。人は引き金さえ引けば、火薬の爆発によって、弾丸が発射され、強い力を発揮します。弱者であっても、少し銃のあつかいを心得ていれば、強力な力を獲得できます。たとえば、プロレスラーのように頑強な男性が、脆弱な老婦人を襲ったとしても、老婦人が銃さえ持っていれば、その男性を制圧でき、自身を守ることができます。銃ほど護身に役立つ文明の利器はありません。





剣は、強くなるために、まず、体力と剣術を磨かなければなりません。訓練された剣士は恐るべき力を持ちます。ですから、剣士には、力を正しく治める精神が求められました。そのため日本においては武士道、西洋においては騎士道が発達しました。





一方、銃は、銃自体が凄まじい破壊力をもちます。この強力な力を、正しく管理し、使用するために、銃所有の確かな精神が必要なのです。国防も、銃を原型とし、機関銃から大砲、ミサイルに至るまで、おなじ体系をもちます。ですから、銃の正しい管理思想、精神とは、個人から、民間防衛、国家の防衛まで、必ず必要とされる、自己防衛の心構えのあり方を示すものになります。





銃を間違った思想で、自己本位に使用すれば、どのような悲劇がもたらされるか、それは歴史的に、数多くの犯罪、共産主義やナチズム、イスラム国などの蛮行で明らかです。未だ、人間の社会と国際情勢は安全ではありません。21世紀の世界は、銃を正しく所有する「鉄のつえの思想」を必要としているのです。

ポセイドン・アドべンチャーとパンデミックとの戦い

1.タイタニック号とポセイドン号



今から、48年前の1972年、「ポセイドン・アドベンチャー」という映画が大ヒットしました。大津波によって客船がさかさまになり、取り残された人々の一部を、スコットという牧師が導き助けるのですが、記憶に鮮明なのは、その牧師の勇気と行動力です。スコット牧師の活躍を思い出したく、ビデオ屋に行ってレンタルして久しぶりに見ました。48年前の映画が今でもちゃんと置いてあるということは、これが時代を超えた名作である証拠です。







「ポセイドン・アドベンチャー」と、1997年に制作された「タイタニック」は、おもしろい対比があります。「タイタニック」は豪華客船で処女航海。ポセイドン号は老朽化した客船で、解体前の最後の航海。ですから、タイタニックの一等船室には大金持ちが乗っており、反対に、ポセイドン号は、金持ちはおらず、中流、中流以下の人々が乗っているということです。一生、金物屋をやって苦労し老後に旅行している人、お金がなくてステージで歌うことで旅費を無料にしてもらう若者グループなど、お金とは縁がない人々がポセイドン号の乗客です。







「タイタニック」は、3等船室の乗客である貧しい若者が、一等船室の乗客である女性と恋に落ち、自分が犠牲になり女性を救うストーリーです。「ポセイドン・アドベンチャー」は、乱暴な言葉使いをし、活動的で、どんな困難にも神に頼らず、自分の力で運命と戦えという信仰をもつスコット牧師が、絶望的な状況で9人の人々を導き、助けるため勇敢に戦い、犠牲になるストーリです。彼はまさに、モーセのように人を導き、イエスのように人のために死にました。







2.スコット牧師の戦う信仰



以下は、ジーンハックマン演じるスコット牧師とジョン牧師の会話です。



ひざまずいて神に祈り助けを求める、それですべてが解決するんですか。馬鹿々々しい。私がいた所では、2月に凍てつく部屋で暖を求めて祈れば、ひざが凍り付いてしまいます。差し伸べた手にはツララができます。祈っていれば凍死する、それより、家を壊して燃やした方が救われるんです。


正統から外れてますな。スコット牧師。


でも現実的です。教会がただ祈りの場であってはならないのです。


そんなことを言う人がよく聖職者の地位に留まっていられますな。驚きだ。


そうでしょうね。過激、反抗的、批判的ということで、牧師の権限は全部はく奪されました。でも負けませんよ。


懲罰を楽しんでいるようですな。


懲罰。私には幸いだ。場所も知らないアフリカの新興国にとばされた。ハハハ。司教は私が一番欲しかったものをくれたんです。自由です、真の自由。規則を振り切り、自分のやり方で神を見いだす自由です。


もう失礼する。


ジョン、これでも私に説教を。


頼むよ。居眠りする者はおるまい。




次はスコット牧師の説教です。



「神は忙しいのです。人類に関する計画はあまりに遠大です。だから、個人が神を求めてもダメです。個人の重要性は、過去と未来をつなぐことにある。それは子孫であり、人類への貢献です。苦しい時に神に祈らないこと。内なる神に祈りましょう。勇気をもって戦うのです。神が求めるのは勇敢なる者、勝利者です。負け犬ではない。勝てなくとも勝つために頑張ることのできる者、神は頑張る者を愛する。では、新年にあたって我々は何を決意すべきか。あなたがたの勇気を示すのです。戦うのです、自分と愛する者のために。あなたがたの神は、つねにあなたとともに戦ってくださいます」




ポセイドン号が津波に襲われる直前、新年を迎えるテーブルで、スコット牧師が乾杯の音頭をとります。



◎船長に代わって乾杯といきましょう。
◇何のために乾杯するのですか?
◎愛です。
◇素晴らしい。




そして、人々を導きますが、最後にピンチを迎え、スコット牧師が犠牲になる直前、神に訴えた言葉です。


「これ以上何をお望みです。われわれは自力でここまで来た。あなたの助けは借りなかった。助けてくれとは言っていません。だから邪魔だけはしないでくれ。ほっといてください。どれだけ血を流せば満足するんです。あと何人の命を。ベルの命を奪い、エイカーズの命を取り、そして今度はリンダ。まだお望みですか。なら私の命を。 — 必ず助かる。さ行くんだ。ロゴ、後を頼むぞ」







3.戦うアメリカ人、スコット牧師、そしてトランプ大統領



スコット牧師の、神に向かって「邪魔だけはしないでください。ほっといてくれ」と訴える言葉は、日本人には理解が難しいかもしれません。イエス・キリストも、十字架に掛けられながら「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ福音書15章)と、明らかに不平ともとれる言葉を残しました。






イエスは「わたしがあなたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネの福音書15章)と言いました。キリスト教の本質は人を愛し、人のために犠牲になることです。スコット牧師は、このキリストの言葉を実践しました。






彼は、あのような絶望的な状況で、自分の命を少しも心配することなく、他の乗客を救うため必死になりました。強いリーダーシップを発揮し、警察官あがりのロゴに対しても、荒くれ者のような乱暴な口調で命令し、批判するので、ロゴは怒り、もうお前なんかについて行けないと反発します。従った人たちも、スコット牧師の判断を疑ったこともありましたが、結局、牧師は間違っていませんでした。






今、武漢ウイルス感染のなかで、私たちはスコット牧師の姿から大事なことを学べます。人間は、どんな困難に直面したときも、勇気をもって戦うことを忘れてはならないということです。私たちは、ロックダウンで、戦うことよりも、「家で大人しくしていなさい」と、逃げることを勧められました。アメリカ人は、スコット牧師のように戦うことは得意ですが、家でじっとしているということは苦手だと思います。反抗的でマスクをしろと言われても従わない人が多いです。だから10万人もの死者を出したのかもしれません。






しかし、武漢ウイルスの背後には、ロックダウンという消極的手段では解決できない、戦わなければならない存在がいます。中国です。武漢ウイルス問題とは中国問題なのです。両者は一つのものです。他のどの国で同種の感染症が発生しても、こんなに深刻な事態にはなりませんでした。中国共産党が、自らを守るために、武漢ウイルス問題を隠ぺいし、偽り、世界を犠牲にしたのです。中共は、キリストや孔子の利他的教えと真逆の思想をもつ集団です。しかも、今に至っても自分の責任を認めず。それどころか、なんと、事前に各国で買い占めておいた医療品や、中国人医師を外国に送って、世界に恩を着せようとしています。今、世界がかかえる最大の問題は中国問題なのです。






スコット牧師は、トランプ大統領に似ています。トランプ大統領は、ざっくばらんに自分の思いを表現し、問題発言も多く、スコット牧師のように周囲から反発される個性の持ち主です。しかし、国民のために戦い犠牲になる覚悟ができている指導者だと思います。今、アメリカは、津波によって転覆したポセイドン号のように、人心も経済も疲弊してしまいました。大統領は、国民に新しい希望をもたらし、経済を復興させ、中国と戦わなければなりません。強いリーダーシップが求められ、勇気と力を発揮しなければなりません。






最も難しいのは中国との戦いです。これは、アメリカ政府だけでできることではなく。国民も中国共産党と戦う意思が求められます。国民がトランプ大統領とともに戦わず、大統領が孤立すれば、中国が勝利します。そうなれば、世界の多くは、香港やウイグル、チベット、そして中国全土のような、全体主義の弾圧にさらされる絶望的な状況に陥るでしょう。自由主義諸国に住む私たちは、転覆したポセイドン号の乗客のように、長く圧政のもとで苦しむ十数億の不幸な人々を救うために、トランプ大統領とともに中国共産党と戦わなければなりません。
(永田)

〈編Ⅴ〉『鉄のつえの王国』・ダイジェスト (5)

今回は、『鉄のつえの王国』・ダイジェストの最終回になります。今回のテーマである多文化主義とは、ある国に移民してきた人々や、少数民族の、それぞれの文化や言語を尊重し、彼らが、その国に代々居住してきた多数の人々と「異質な文化をもつ人々」として生きることを推進する思想です。





日本では、アイヌ人、在日中国人、在日韓国人、そして、多数の日本人、それぞれの人々の文化は異なるということを、ことさら意識する思想です。この考えでは、当然ながら、彼らが日本文化に、自然な形で同化する道は閉ざされます。




昨年の入管法改正で、外国人労働者の日本入国が緩和され、今後5年間で35万人もの外国人を受け入れることになりました。彼らは低賃金で労働します。その余波は、日本人の低所得者の競争者が大量に増加することを意味し、日本人低所得者の賃金が抑え込まれる、あるいは失業するという問題が起こり、日本における深刻な賃金格差問題の解決は遠のきます。




日本に一定の外国人が居住することはいいことです。しかし、許容範囲を超えて外国人が増加することは、職業だけでなく、政治、文化、精神に大きな問題を生じます。例えば、4、50年前には、「日本民族」という言葉が使われていましたが、外国人が増えるにしたがって、「日本民族」は「死語」になりました。すなわち、私たちが「日本民族」としての一体性の自覚は困難になったのです。









衣・食・住文化も、外国人の増加に伴い確実に多国籍化します。それが、緩やかに、自然に行われるのでしたら、好ましい事でしょう。しかし急速に変化することは、多くの人は望まないことです。外国人の急激な増加は、あらゆる面に深いひずみを及ぼします。しかも、外国人労働者を受け入れる理由は、日本国民のためではありません。企業が安い労働力を得て利益を増大するためなのです。






一方、中国は、人権を抑圧する共産主義国家です。今、韓国の文在寅政権は、急速に共産主義の国家を目指し、遠からず自由・民主主義国家でなくなる可能性があります。そもそも、多文化主義を積極的に推進しているのは共産主義者です。北東アジアにおいて、中国と、更には韓国が共産化されれば、日本を共産化しようとする両国の共産主義者にとって、多文化主義は格好の隠れ蓑になります。「多文化主義」は、日本人にとって耳慣れない言葉ですが、私たちの将来に深刻な問題を引き起こすものです。アメリカ、ヨーロッパにおける「多文化主義」の問題については、本文でお読みください。




また、この『鉄のつえの王国』の締めくくりは、本書の重要テーマである自己防衛の意義について、文亨進師の見解を伝えています。






1.アメリカと多文化主義



アメリカへの移民者は、アメリカ文化に順応することを望みながらも、母国の文化と言語を守り、それを、尊重、称賛してきました。私の家庭の場合、両親はおもに韓国語を話しましたが、父ができる限り英語を学ぼうと夜遅くまで起きていたことを覚えています。父は、私と兄弟たちが英語を流ちょうに話すのを誇らしく思っていましたが、アメリカで支配的な、リベラルの「進歩的」影響を喜んでいませんでした。






多文化主義の強化により、政府機関が、少数派の独自性を認めるように積極的に活動することが要求されるようになりました。それに従い、アメリカにやって来た移民はアメリカ文化に同化するものという考えは、1970年代から1980年代に変わり始めました。このアプローチは「多文化主義」と呼ばれ、「社会のなかでいくつかの特徴的な文化や民族のグループの存在を支持すること」として定義されます。







理論上は好ましく見えても、多文化主義は、実際には、全ての市民が法の下で平等という、憲法に基づく共和国の理想に挑戦する立場をとっています。ヨーロッパの多くの国が行った多文化主義の実践は、優勢な文化から疎外されていると感じている、同化されない移民の大集団が集合する結果を引き起こしました。そのため、「言論」と「信教の自由」の価値観が当てはまらない地帯が発生してしまいました。







2.移民に反対すれば、ヘイト・人種差別主義者?



このアプローチの結果、何と、そうした政策から生じる問題について、話し合ったり報告することを、政府が犯罪として扱うようになったのです。同化しない移民の危険性について懸念を表明する人は、「ヘイトに満ちた人」、「人種差別主義者」、「イスラム嫌悪者」などと非難されました。







もう1つの例をあげると、トランプ大統領の登場を受けて、「圧政の解体」と「自己決定、尊厳、そして尊敬による包括的構造の建設」の旗印の下で、「女性たちの行進(Women`s March)」が企画されました。ところが、彼らは「Backpage(裏ページ)」のウエブサイトの閉鎖を非難したとき、彼らの、女性に対する「尊厳と敬意」に対する約束が、おかしな方向だということが判明しました。「Backpage」は、女性と少女の売春と人身売買を促進しているのです。また、「女たちの行進」の主催者は「セックス労働者の権利は女性の権利だ」というのです。







左翼はすぐに、自分達こそ真に女性の権利を大切にしていると主張します。そうであるなら、なぜ彼らは性的人身売買と売春を促進するウエブサイトを支持するのでしょうか? なぜ彼らは、ヨーロッパの多くの国で、近所を自由に歩きたいと願う女性に、嫌がらせをし、レイプし、暴行するイスラム教徒の男性に沈黙しているのでしょうか。







パリのシャルリーエブド風刺新聞社のジャーナリスト虐殺事件は、これから起きようとする事の一端を垣間見たものに過ぎません。多文化主義政策の影響で、国民がイスラム過激思想に異議を申し立てられず、彼らの活動が拡大する環境をつくっています。西洋のユダヤ・キリスト教の基盤を破壊するという彼らの目標が、女性が自由な服装で、嫌がらせを受けたりレイプされたりせずに、街を安全に歩ける社会を守りたいという願望より強いなどということがあり得るでしょうか?








私が父から学んだように、左翼は常に、力による平和に反対してきました。1980年代に、レーガン大統領の政策ではなく、左翼の政策に従っていたら、ソ連は今も世界中に共産主義を輸出しているかもしれません。また、私の父は、聖書に基づく道徳的価値観の基盤なしには、西洋の自由な民主主義は、その崩壊を狙う内外の勢力に対抗できない、と常に主張していました。






 3.自己防衛という大きな愛



本書で繰り返し述べたように、私たちは、自身の自己防衛に責任があります。政府が私たちを常に守る能力を持っていると考えるのは幻想です。そうしようとする場合、とかく警察国家をつくり上げる政策を採用する場合が多いのです。







自由を守りながら安全をもたらすアプローチがもう1つあります。それは、全ての安全要求を「専門家」に丸投げする代わりに、自身が責任を負うことです。各家庭が武装していれば、犯罪者や暴君になりそうな人物は、付け込んだり、虐げたりしようとする前に躊躇するのです。






スイス人男性が全員武装していた事実が、ヒトラーがスイスを侵略しなかった理由でした。歴史的に、悪魔のような王は武力を独占した者たちでした。他者を虐げたいという望みを持たない、神様の息子、娘たちは、今こそ、自分自身の家族、地域社会、そして「王国」を守るべきです。







キリストに従う者として、私たちは神を愛し、自分のように隣人を愛するように求められています。イエスはその意味を次のように語っています。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネの福音書15章13節)







フロリダの高校乱射事件のとき、フットボールコーチだったアーロン・フェイスは、自分の体で生徒をかばい、このような愛を実際に示しました。私はこう問います。このような人物になら2人の生徒をかばうだけでなく、もっと多くの命を救う手段を安心して持たせますか? わたしならそうします。フェイスが武装していたなら、多くの命を救うことが可能でした。







フロリダの高校で、政府が任命した「プロ」の保安官代理は、武器を持ち、防弾チョッキを着用していましたが、危険が去るまで学校に入らないと決めました。イエスは「最も大きな愛は911に電話して誰かが何とかしてくれるのを待つことだ」とは言っていません。善良な人々が自分を守る能力を持つとき、悪意を持つ者たちは自分たちの欲望と生き方を変えなければなりません。






4.鉄杖道はキリストの精神



悪は弱さを餌食にします。私たちは他人を虐げるためではなく、むしろ他人を守るために、「鉄のつえの道《鉄杖道》」を極めるよう努力すべきです。鉄のつえは、様々な悪と独裁政治に対して、力を養い、増強させる最大のものです。唯物論者にとっては、銃は、単に暴力的な武器でしかないため、これを理解するのは難しいかもしれません。しかし、霊的、精神的な見方をすると、「銃」ではなく「人」が問題なのです。鉄のつえを手にするその人が、信頼でき、尊敬に値し、騎士道精神を持ち、キリストのように献身的でしょうか? その人物が、進んで友人のために体を張り、神を愛し隣人を愛するでしょうか? 鉄のつえで統治される王国が、神が子供たちに与えた自主と自由を尊重し守るでしょうか? それが問われるのです。







政府が、人々の生活を中央集権化させ支配する時代は終わりました。全ての家庭は、自分たちの健康、教育、そして生存に対する管理を、神聖な価値観と一致せず、それを容認しない意図を持つ官僚に任せるべきではありません。キリストの共同の王と王妃として、私たちは、悪魔のような指導者のように、他人を虐げるためではなく、人類すべてを力づけ、守るために、神が与えた主権を主張しなければなりません。



神の恵みと幸運がともにあり、そして、神の王国が到来しますように!

〈編Ⅳ〉『鉄のつえの王国』・ダイジェスト (4)

この〈編Ⅳ〉においては、アメリカ社会における市民の銃器所有問題について扱います。特に、具体的な銃による防御的使用の実例を挙げ、銃所有がアメリカの犯罪防止に役立っていることを明らかにしています。ここでは「銃の隠匿携帯の許可」という用語が登場しますが、これは銃を所有するだけではなく、銃を隠し持って外出できる許可のことです。





1.合法的な銃所有は人命を救う



犯罪防止研究センターが指摘したように、過去60年間に、無差別銃乱射事件の98.4%が、銃器の合法的な携帯が許されない「ガンフリーゾーン(銃持込禁止地帯)」で起こりました。1998年から2015年までの20年間では、無差別銃乱射事件の96%がこのようなガンフリーゾーンで発生しているのです。






ガンフリーゾーンを設置し、学校、商業地域、公共の広場、政府の施設、礼拝所、医療施設などで、銃の数を減らす施策が、人々の安全を守らなかったことは明白です。それどころか、善良な市民が銃器携帯を禁じられている場所は、犯罪者にとって極めて好都合な場所なのです。






2012年、コロラド州オーロラで、12人を殺害し70人を負傷させた事件が発生しました。このバットマン上映中の映画館での銃撃犯ジェームズ・ホームスは、犯行前、空港と映画館のどちらを攻撃するか思案しました。ホームズは、しっかり安全対策を行っている空港という選択肢をすて、代りに、彼のアパート近くの7つの映画館のうち、「銃の隠匿携帯を禁止する」ポスターを掲示していた唯一の映画館に狙いを定めたのです。






別の悲しい例は、2016年に起きたフロリダ州オーランドのゲイ・ナイトクラブでの無差別乱射事件で、50人が死亡し、53人が負傷しました。イギリスのデイリー・メール紙がコメントしたように、「事態を悪化させたのは、銃撃が始まったときから警察が建物に入るまで3時間もかかった」ことでした。これは、法執行官(警察)が、人命を救うために間に合うように到着する可能性が低いという証拠なのです。






銃器の防御的な使用に関して、銃規制支持者たちが考慮することはほとんどありません。2つの詳細な研究により、米国では毎年、150~250万件もの銃の防御的使用が行われていることが分かりました。(「アメリカでの銃器私的所有権に関する国家の調査と銃器使用」,1997.「犯罪に対する武装抵抗」,2018) 実に、殺傷事件で銃が使用されるよりも、人命守護のために銃が使用されることが80倍も多いのです。調査を行った研究者はこう説明します。






調査によると、銃やその他の武器で抵抗する被害者は、他の被害者よりも盗難や強盗で財産を失う可能性が低いことが一貫して示されている。銃で抵抗する被害者は、他の方法で抵抗する人よりも怪我をする可能性がかなり低く、更には、まったく抵抗しない人よりも怪我をする可能性が低い。






レイプ事件の場合、何らかの武器で抵抗した被害者は、レイプされる可能性が低くなります。実際、毎年20万人の女性が性的虐待から身を守るために銃を使用しています。






2.銃の防衛的使用が人命を救った例



市民による銃の防衛的な使用がこれほど多いのに、人々にどうしてそれについての話が伝わらないのでしょうか。その知識を補うために、いくつかの例を紹介します。





◎テキサス州ヒューストン、2018年3月27日、50代の女性が車庫に車を入れるところ、マスクを着用した3人の武装した男に待ち伏せされた。男らは彼女を殴ってあごの骨を折り、財布を奪った。しかし、男たちが彼女の家に入ろうとしたとき、女性がピストルで強盗らを撃ったので、一味は車で逃げ去った。





◎カリフォルニア州へメット、2018年2月14日、凶悪犯罪の前科がある者が、家宅侵入を企てていたところ、老夫婦が銃を使用し撃退した。





◎スティーブン・ウィレフォードは、2017年11月5日、テキサス州サザーランド・スプリングスにある、銃撃を受けたファーストバプテスト教会に英雄的に飛び込んだ。殺人犯のケビン・ケリーが教会員を撃っているとき、元NRAインストラクチャーのウイレフォードは、AR15半自動小銃をつかんで裸足で自宅を飛び出し、そのまま通りを渡ってケリーの銃撃をくいとめた。彼は、20人もしくはそれ以上の人命を救った。






◎2016年6月30日、サウスカロライナ州ライマン。オーランド虐殺の2週間後、32歳のジョディ―・レイ・トンプソンは、別のナイトクラブでも発砲した。トンプソンが3人を打ったとき、銃の隠匿許可を持つ人が撃ち返し、トンプソンの足を負傷させ、多くの人命を救った。






◎ジョージア州コンヤーズ、2015年5月31日。一人の男が酒場で2人を殺害し、さらに他の客に向け銃撃をつづけた。銃携帯許可所有者が店内に入って銃火を交え、殺人者は店から逃げた。ロックデール郡保安官のエリック・レベットは、「彼はあの店で人々の命を救ったのだ」とコメントした。






◎ジョージア州ローガンビル、2013年1月4日。何者かに家に侵入され、2人の子供と屋根裏部屋に身を潜めていた女性が、侵入者に果敢に銃を発砲したことで難を逃れた。






お分かりでしょうか、アメリカで年間250万件の銃器による防御的使用があるということは、上にあげた例と同じような出来事が、毎日アメリカで6800件以上起きていることを示しているのです。





3.銃の隠匿携帯許可保有者は最も安全な市民



一般市民の銃の携帯に反対を唱える人は、市民による銃器隠匿携帯が広がると、市民の不必要な死をもたらし、経験の浅い銃のユーザーが起こしそうな問題を、先取りして疑います。しかし、実際のところ、犯罪学研究の多くが、銃の隠匿携帯が犯罪を減らすことを発見したのです。これらの研究は、銃携帯の権利を認める法律が採用された後、暴力犯罪が減少し、その法律が施行される期間が長くなるほど、暴力犯罪はより大幅に低下することを明らかにしています。(Maryland Low Review, 71, 1205-1218) 銃の隠匿携帯許可保有者は、警官や平均的市民よりも犯罪率が低く、社会で最も安全な市民層なのです。






フロリダの殺人率は、銃の隠匿携帯法が制定されてから15年間で、52%減少しました。ジョージア州ケネソーは、世帯主に銃器の所有を要求した結果、住居への侵入が89%も減少しました。住居侵入盗難率は、法律ができる前よりも72%も低いレベルに留まっています。






更には、イギリスやカナダなど銃の規制国では、アメリカよりも犯罪者の住居侵入率が高いのです。2018年2月と3月のロンドンの殺人率は、イギリスの首都がナイフによる犯罪の劇的な増加に悩まされたため、ニューヨーク市を上回りました。