宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

『手塚治虫のブッダ』が発する真理〈Coffee break 他2編〉


『手塚治虫のブッダ』の終わりのほうに、釈迦が「人間の心の中にこそ、神がいる。神が宿っているんだ!」と悟る場面がある。イエス・キリストが「汝の心の中に天国がある」といった言葉を彷彿する。釈迦の最後の悟りを、人の心にある「仏性」とせずに「神」とするのは、かなり大胆である。そして、どう考えてもこの神は、普遍的、内面的で、インド的な擬人化された多神教的神ではなく、キリスト教的な一神教的神である。帝釈天でなくエホバだ。これは、仏も神も本質は同じものと捉える、手塚の宗教観が反映しているのであろう。





「人間の心の中に神がいる」と考える人は少なくないだろう。しかし、「何となくそう考える」のと、「本当にそう分かる」ことはちがう。前者は思考することで、後者は悟ることである。悟るには、心からの実感が伴わなければならない。手塚は多くの宗教的テーマの作品を残した。というより、手塚の作品は全て宗教的と言ったほうがいいかも知れない。だから彼は、ただそう考えただけではなく、かなり分かっていたのであろう。





宗教は、誰が真理を発信するか分からない。アニメや子供が偉大な真理を語るかもしれないのだ。今話題の「鬼滅の刃」も、さまざまな人生の真理を気づかせられるから大ヒットしているようだ。真理を伝えるのは、宗教家や教典だけではない。何時、何処で、誰が宗教的インスピレーションを受け、真理を語るか分からない。思いがけない存在が深淵な真理を教えてくれるかも知れないのだ。





同性婚容認と宗教



同性婚反対を言うと、差別だと批判される。しかし、イエス、釈迦、孔子は同性愛を認めない。聖人の教えに従う宗教者ならば同性婚は認められない。フランシス教皇が同性婚を容認したが、彼はキリストの教え、聖書の教えをいったいどう考えているのだろうか?





美輪明宏さんは人を幸せにする優れた思想を発信し、わたしは尊敬している。それは美輪さんが、人生の真理を語るからだ。同性愛と人間の宗教性は別物である。宗教の聖人は、男女の愛でも、間違った愛は認めない。間違った愛とは自己本位の愛である。美輪さんは、人を尊重することを教え、自己本位の考えをいさめる。美輪さんのように正しい宗教性をもち生きれば、人を幸せにし自分も幸せになれる。





宗教は、同性愛者を個人として差別することはしない。人を差別する聖人の教えはないからだ。人間の平等は、宗教の本質であり、差別したら宗教の道から外れる。しかしまた、同性婚を認めることも、宗教の本質を損じることになる。同性愛感情は、精神的風土や思想で変わる。国により、時代により、階層により大きな差がある。宗教は同性愛問題につよい影響をもつ。同性愛に対し明確にNОという宗教では同性愛問題は解決できるものである。同性愛、同性婚問題は、聖人の教えと、差別はならぬという問題がからむ、宗教の重要問題であり、その真価が問われる問題である。





本と霊界



本とは、二次元の平面の世界で、三次元の立体世界の住人である我々は認識できるし、多くの情報を得ている。それでは、四次元の霊界と、三次元の我々の住む地上界の関係はどうであろうか。四次元の、神と霊界の住人は、我々三次元の本の読み手のようであり、反対に、三次元の我々は、二次元の平面世界の本と似ている。本である我々は一生懸命、自分の物語を書き進めている。霊界では神と霊人たちがそれを読んでいる。




次元が違うので、我々は、四次元世界で自分という本を読んでいる、神と霊人の存在は全く認識できない。神はいい本を好み、悪魔は悪い本を好む、人は人生でどんな本を書いたかで、霊界での自分の主人と仲間が決まる。生涯をかけ、いい本を書こうと努力するのが宗教的生活といえる。

不正が明らかになれば、バイデン勝利宣言の茶番劇は一夜にして色褪せる

11月8日、バイデンが勝利宣言をしましたが、世界の保守派は、声を大にして不正を明らかにしなければなりません。まさに、韓国の「共に民主党」による4・15不正選挙と同じことが、バイデン民主党によってなされました。







フェイクマスコミが、バイデンの勝利を伝え、偽りの結果が既成事実化されるように見えますが、これこそ、不正をした者たちの狙いです。通常、選挙は正当に行われ、敗者が開票結果を受け入れるのが常識です。フェイクマスコミは、敗北を認めないトランプ大統領が非難されるように仕向けています。
   




韓国の4・15不正選挙も、文在寅・「共に民主党」陣営は、今回のバイデン陣営のように、不思議と余裕がありました。勝つことが分かっていたからです。あのときの韓国保守派も必死に反共産主義を叫び、文在寅を批判しました。今回、トランプ大統領がアメリカを社会主義にしないと叫び、法に従って、自分の主張を訴え選挙運動を行ったのと同じです。「民主党」を名乗り、反民主的な不正を行う全体主義者に対し、米・韓の保守勢力は、真っ正直で純朴でした。





韓国もアメリカも、「民主党」は、武漢肺炎流行を選挙戦の有利な背景として、不正選挙を行いました。中国発の感染病と中国製造の不正選挙技術で国民を欺いたのです。裏にはともに中共が存在します。韓国の保守派はこのふたつの害毒で苦しみました。ところが、今回、アメリカの不正選挙で、韓国保守派の窮地のように、世界の保守派が同じ運命になるとは思いませんでした。




韓国保守派は不正裁判で逮捕されている朴槿恵前大統領と、4・15不正選挙糾弾で文在寅と戦っています。今、世界の保守派は、不正によって奪われたトランプ再選を取り戻すため、不正選挙の暴露と糾弾を叫ばなければなりません。霊妙にも、アメリカと韓国で、全体主義者の陰謀により、同時性のパラレルな事態が展開しているのです。






しかし、韓国の不正選挙より救いは、大統領選直後の今の時点で、トランプ陣営はバイデン陣営が不正選挙を行ったとはっきり知っていることです。韓国4・15不正は誰も気づきませんでした。最近、韓国の裁判所でも一部不正が行われたと認めました。それについて、櫻井よしこ氏と『韓国壊乱』を上梓しているジャーナリスト洪ヒョン氏は、「遅いけれど画期的なこと」と高く評価しました。不正が行われたという事実が明確になることは、偽りの選挙結果を根本からくつがえすことを可能にする力を秘めています。半年以上経過した韓国不正選挙でも、そのような力を持つのですから、今、アメリカで、早い時点で民主党の不正事実の証明がなされるなら、バイデンが自信満々に勝利宣言をした茶番劇も一夜にして色あせるのです。






韓国4・15不正選挙は、今回の僅差の勝利でなく、民主党の圧勝でした。しかし、その後、文在寅は、北との外交も、内政も、何もかもうまくいっていません。特に民主党ナンバー2と言われた朴ウォンスンソウル市長は不可解な凄惨な死を遂げました。所詮、不正で得た勝利で、実質がなかったからです。







勝利宣言をするバイデンを見ていると、1977年に大統領になったジミーカーターを想起します。カーターは、ウォーターゲート事件で辞任したニクソン氏の副大統領だったフォード氏を破って大統領になりました。人権外交などという出鱈目な外交を行い、韓国のような同盟国の人権だけを追求し、ソ連の人権は追求せず、カータの時代に10カ国以上が次々に共産化され、多くの罪の無い人々が殺害されました。





オバマのような弱腰外交の足元を見られ、1979年11月、駐イランアメリカ大使館員が人質に取られ、世界は極度に不安定になりました。1981年1月、強力なレーガン氏が大統領選挙に勝利するや、イランはすぐに人質を釈放しました。レーガン政権下で、世界は安定し、ソ連圏を崩壊に導きました。もしバイデン政権が発足すれば、カータ―時代のように、暴政を行う中共は生き残り、香港、台湾、韓国、そして日本など、世界において中共全体主義化の脅威が増大するでしょう。






今、トランプ大統領を支持する世界の保守勢力は、不正選挙を糾弾し、バイデン・ハリス社会主義政権を発足させないように努力しなければなりません。そうしなければ、あのカーター時代のように、共産全体主義の拡張を許し、多くの悲惨な犠牲者があらわれることになります。

「民主党」を名乗る韓国とアメリカの不正選挙

今回のアメリカ大統領選挙では、トランプ大統領が、バイデン陣営の不正を知り、いち早く勝利宣言という先手を打ったことが救いでした。韓国の「共に民主党」が行った4・15不正選挙は、誰も気づかず、日・韓の名立たる保守派知識人も、文在寅の勝利を認め、保守大敗北のもっともらしい理由を分析していました。保守派は不正を強く警戒していたにもかかわらず、すっかり騙されました。それほど民主党の不正は巧みでした。




選挙の二週間ほど後から不正が疑われました。与党大勝の得票結果が統計学でもあり得ない確率なので、民主党が大々的に不正を行なったと気づいた時には、後の祭りでした。アメリカ人の統計学の権威者が明らかに不正が行われたと言っても事態は変わりませんでした。




不正選挙は、政治的に決着がついてしまえば、後でいくら科学的なデータを示しても遅いのです。ディープステートの手下のメディアもつるんでいるのですから、どうしようもありません。それはアメリカや日本のマスコミを見れば分かります。ですから、今回のアメリカ大統領選挙でも、トランプ陣営は、バイデンへの得票が不正の結果だと訴え、多くの証拠を突き付けなければなりません。






最近、韓国の裁判所が一部不正が行われたことを認めましたが、しかしそれで、選挙のやり直しができる訳ではありません。今、韓国保守派は、パックネ元大統領の不正裁判と不正選挙で文在寅を追求しています。それは苦しい戦いです。ですから、韓国保守派はトランプ大統領が中共を倒してくれることを期待していました。中共が滅べば、韓国の問題も解決するのです。しかし一縷の望みを託したアメリカでも、同じ不正選挙が行われてしまいました。





「民主党」を名乗る、左派共産主義者のやることはどこでも同じです。唯物的な左派の頭の底には、憎しみの階級闘争史観があるので、目的達成のためには、どんな悪辣なことでも手段を選びません。痴ほうがすすむバイデンが政権を取っても、実質は共産主義者の副大統領、カマラハリスの政権になります。これは文在寅民主党政権と同根なのです。民主党が、こんな汚いやり方で善良な人々を騙し政権を握れば、世界の真実の民主主義は大きく後退します。




いやしくも国を愛したり、宗教を信じる者たちは、愛と許しと公平を念頭におくので、悪を行わず正しい手段で戦います。トランプ大統領は正々堂々と、声を枯らしながら必死に選挙戦を戦いました。今アメリカで起きていることは、唯物共産主義と、心を重んじる愛国者というふたつの勢力の対立です。神を信じるトランプ陣営は、一歩も退かず、バイデン陣営の不正選挙を追求しなければなりません。世界の愛国者、宗教者はトランプ大統領が危機を克服し、ふたたび4年、アメリカの大統領として世界をリードしてくれることを心から願い、祈らなければなりません。

アメリカ超凶悪犯に100%共通する個人条件、そこから「女系天皇問題」を考える

1.100%という恐ろしい確率



以前、テレビで、アメリカにおける凶悪な連続殺人を取り上げた特集番組を見ました。彼らは自己の快楽のために聞くに堪えない凄惨な犯行を続けました。番組のなかで、強く頭に残った部分があります。これら凶悪な連続殺人犯の生い立ちを調査したら、様々な条件があったのですが、ひとつだけ、全ての犯人に共通するものがありました。それは父親に問題があったということです。






全て、すなわち100%という確率は恐ろしいものです。人間は、父親に問題がなければ、絶対にこのような凶悪な連続殺人は犯さず、反対に、他に問題がなくとも、父親に問題があれば連続殺人を犯せる、という結論が導き出されるからです。これは何を意味するでしょうか。人間の精神形成に、父親の影響が甚大であることです。






しかし、普通、私たちの常識は違います。人は父親にどんな問題があっても、良い母親に愛されて育てられればいい人間になる、というものではないでしょうか。ですから、多くの人は、人の精神形成において、父親より母親のほうが、子供に本質的影響を与えると感じていると思います。しかし、この凶悪犯罪者たちの生い立ち調査からは、違う真実が浮かび上がります。子供に対し、母親より父親が、より本質的な影響を与えているという事実です。





2.女系天皇問題の難しさ



この調査結果で、皇位の女系天皇容認問題を考えてみたいと思います。最近では河野太郎大臣が女系天皇容認のコメントをして保守派から集中砲火を浴びました。しかし、これは仕方ないと思います。女系天皇は認められないということは、しっかり関連情報を得てかなり考え込まないと確信を得ない難問だからです。






現代の科学が発展した世界では、見えないものより、見えるものを重視します。人間は母親の胎内で体が造られ、誕生し、母乳を飲み、母親に育てられます。そして多くの場合、人は、父親より母親に深い愛情を感じます。そのため、母親は父親より精神的にも深い影響を与えていると思うのは自然といえます。女系天皇容認には、人の心に深い影響を与えているのが母親なのだから、女系天皇で何が悪い、という意識が底流にあると思います。







しかし、人類は歴史的に、目に見える世界より見えない世界を重視しました。男性・父親の影響は目に見えない性格のものなのです。近代以前の人々は、今では想像もつかないほど宗教的でした。人の血統を示す系図というものも、東洋でも西洋でも、そして聖書でも、男系男子中心です。特に、東洋では、歴史的に、男系の血統が皇位、王位を継承し、この伝統は堅く守られてきました。理由は、人間の精神の本質は、父親、男系を通じて流れると信じたからです。そのため、皇位の継承は「霊統」といい、見えない霊の継承なのです。昔の人はそれを感知していました。







3.「見えない世界を識る知性」と皇位の男系継承



人の知性には「見える世界を識る知性」と「見えない世界を識る知性」があると思います。「見える世界を識る知性」は、太陽と昼に象徴される、光と熱をうけエネルギーで構成される世界を解明し運用する知性で、科学的知性ということができます。自然科学、社会科学、人文科学をふくめ、論理で把握でき、人々に説明できる知性です。人類はこの知性を活用し、驚くべき発展をとげました。






一方、「見えない世界を識る知性」は、月と星、夜に象徴される知性で、目にみえず、論理で把握できず、説明が困難な知性です。満天の星空のもとで、祈り、思索して知る、霊的、宗教的知性ということができます。これは、現実に役立つ「見える世界を識る知性」とくらべ、無意味なものと認識されやすいものです。現代人はこの知性が退化しました。






しかし、夜空にかがやく星は何千万、何億光年という彼方にある恒星が放った光で、星空とは天文学的スケールの世界なのです。それは神、永遠、無限を感じることができる世界です。反対に、昼にみえる太陽と地球の世界は、夜みえる世界とくらべると、大海とコップの水以上の違いがある小さなスケールの世界です。







「見えない世界を識る知性」とは、フランスの作家サン=テグジュペリが『星の王子さま』で、「心で見ないと、なにも見えない。いちばん大事なことは、目には見えない」といっている、心でのみ感得できる「知」です。この知性は、世界の構造を解明する知性ではなく、世界が存在する意味を教えてくれる知性です。すなわち、「見えない世界を識る知性」は、皇室の表の姿を説明するものではなく、皇室の存在意味を説明するものです。






昔の人は、女性・母親の目に見える役割を充分に認めても、男性・父親を中心に置く価値意識がありました。それは男性・父親の精神に与える重要性をしっかり認識していたからです。そもそも、人の精神世界形成における男性・父親の重要性は、宗教の世界を見れば一目瞭然です。宗教の教祖はみな男性です。キリスト、釈迦、孔子、マホメット、空海、法然、親鸞、日蓮など、世界と日本の精神的巨人は皆男性です。







科学時代以前の人々は、人間は霊と肉により成り、霊にかかわる部分は主に父親から、肉にかかわる部分は主に母親から受け継ぐという意識が明確だったのではないでしょうか。凶悪犯に共通することが問題の父親であることは、現代人にとっては意外なことですが、昔の人にとっては、むしろこれが常識だったのではないでしょうか。







「霊統」である、皇位の男系継承の正統性は、科学的に証明できることではなく、むしろ科学では把握できない、目に見えない世界に根拠があるものです。そのため現代人には容易に理解できません。世界に例がない天皇家の素晴らしさは、私たちの先祖が、「目に見えない世界を識る知性」の価値を知り守り続けてきたものです。子供に対し、たった一つの精子しか根拠がない男性は、女性に比べ、肉体的役割は99対1の役割も演じていないでしょう。しかし、現代人は、凶悪連続殺人犯が100%一致する条件が、父親に問題があったという意外な事実に接し、人間の精神形成の秘密の一端を知ることになりました。1しか根拠がないものが100%の確率の影響力をもつのです。「一番大事なことは目に見えない」のです。







現代人は、このような神秘的な「見えない世界を識る知性」を再び、古人のようにしっかり捉えなければなりません。永遠という尺度で、日本の過去、現在、未来のつながりを知り、国の精神的基礎を確固としたものにするためには、目に見えない貴い価値をもつ、天皇位の男系継承を守らなければならないのです。

なぜ、キリストの統治が「鉄のつえ」なのか?

1.なぜ「鉄」で比喩したか



文明史的にみると、長い「石器時代」と「青銅器時代」を経て、鉄器を使用する時代に至り、現代とはまさに「鉄器時代」に属します。人類は、鉄の利用で、農耕、建築、生活に革命的進化を遂げました。高度に発達した現代文明をつくり上げている基本素材は鉄です。





興味深いことに、キリストが悪と戦い、統治する象徴が「黄金のつえ」でも「青銅のつえ」でもないことです。「鉄」は、「黄金」や「青銅」のような希少な貴金属でない、大量に使われる実用に即した金属です。聖書では、あえて、キリストの統治をこの実用的な「鉄」で表現したのです。





宝石や、黄金、青銅は、キリストが統治する天国のすばらしさ、すなわち精神世界を表象できます。しかし、理想世界である天国を創建するには、前提として、キリストが悪と戦い勝利し、天国を創建する「現実的力」が不可欠です。すなわち、キリストの御業は、宝石で示した精神世界だけでなく、鉄のつえで示した実質的、現実的な分野にも及ぶということです。すなわち、人々に救いをもたらす「天国」は、天上だけではなく、私たちが肉体を持って生活する、この地上にも顕現する「天上・地上天国」なのです。キリスト教は、今日まで天上天国のみを望み、地上天国は想定しませんでした。これは天上と地上、精神と現実の乖離をもたらします。精神世界と現実世界を総合した新しい神の摂理観である鉄杖道思想は、世界に平和をもたらす使命をもつキリスト教国家・アメリカに切実に求められるものです。





日本において、貴族が統治した時代を平安時代といいますが、実際は平安な時代ではありませんでした。戦争が頻繁にあったわけではなく、貴族が弱く、無責任で、しっかり国の治安を維持していなかったのです。文明を守り発展させるには、統治者が強い責任感と力を持たなければなりません。平安時代は、映画「羅生門」のように、強盗や夜盗が出没し、人々は安全に旅をすることも出来ませんでした。強く、責任感がある武士たちが統治した鎌倉時代に至り、日本の治安は飛躍的に改善されたのです。





モンゴルの侵略である元寇が、もし、貴族が統治する平安時代に起きたなら日本はどうなったでしょうか。貴族たちにはモンゴル軍と戦う勇気も能力もありませんでした。当時の日本が平安貴族が統治する時代だったら、同じく貴族が統治した高麗のように、間違いなくこの国はモンゴルに蹂躙されていたでしょう。トインビーが言っていたように、文明は内外から強い挑戦を受けます。反文明の挑戦を跳ねのけ、文明を守り発展させるには、主権者の責任意識と力が必要なのです。





今日、民主主義国家の主権者は、私たち一人一人の国民です。ですから、当然なこととして、国民が文明を守る責任感と力を持たなければなりません。その意味で、武装を禁じ、自己防衛権を放棄した憲法9条に執着する護憲派は、平安貴族のように弱く無責任な人々です。日本は現代のモンゴル帝国といえる中国共産党の侵略に対抗するため、一刻も早く、亡国憲法を改正し、国防力も増強しなければなりません。





日本は世界有数の平和な国です。そして、銃は容易に所持できず、人々の意識の外にあります。しかし、私たちは、アメリカで勃興し始めた「鉄のつえ運動」を理解できる充分な伝統的背景があります。それが武士道です。日本は、人類文明を守り、世界の平和と安全を維持するため、アメリカと力を合わせなければなりません。そのために私たちは、銃に対する拒否感や偏見を解消し、「銃と平和」の問題を真剣に考える必要があります。





2.銃は世界史を変えた



そもそも、火薬や火砲の発明はヨーロッパではなく、中国だといわれます。1241年には、モンゴル軍がヨーロッパに遠征し、ワールシュタットの戦いで火砲が使用されたという記録があります。歴史的にはっきりしているのは、1274年、文永の役、弘安の役で、モンゴル軍が日本軍に対し鉄法(てつはう)を使用しました。その様子は「蒙古襲来絵巻」(宮内庁所蔵)に示されています。





しかし、本格的に銃を使用し始めたのは、やはりヨーロッパでした。銃が盛んに使われ始めると、剣から武器の主役の座を奪い、戦闘の帰趨は、銃の性能と数が決するようになりました。そして、銃の使用は、近世ヨーロッパにおいて「軍事革命」を引き起こし、更には、「国家制度」をも改革したのです。銃を用いた効果的な戦術が編み出され、常時、射撃兵を確保、訓練するため、常備軍が編成されました。その維持に必要な多額の国家予算・人員・物資を備える必要が、ヨーロッパの近代国家建設を後押ししたのです。銃を活用できる強力な軍事・経済国家の形成。これが、ヨーロッパによる世界支配を担保した最大の理由です。





このように銃は、近世以降の世界秩序を変革させ、近代国家の制度のあり方にも影響を与えました。それほど銃とは、画期的な力をもつ文明の利器で、人類の発展に大きく貢献したのです。歴史は人間の努力と、神の介在が加わり変動しました。銃発展の歴史は、まさに神のプロビデンス(摂理)と見ることができます。





3.銃と剣のちがい



一方、「剣」は、千年以上、世界における覇権戦争の行方を左右し、長く武器の主役は「剣」や、剣の進化系といえる柄に槍頭を付けた「槍」でした。そして近世に至り、銃が剣にとってかわりました。「銃」の後は、使われない兵器といわれる「核」です。使われないのですから、実質的には、銃の進化系である大砲やミサイルなどが兵器体系の中心を占めます。ですから、今後も引き続き、世界の軍事は「銃の時代」といえます。





ここで、鉄器時代の代表的武器である「剣」と「銃」を比較してみましょう。剣は、人の力を動力とします。人の力の強弱で、剣の力が決します。ですから、剣を効果的に使用するには剣を巧みにあつかう能力が必要です。剣においては、人の力と技のレベルではっきり破壊力の差がでます。力が弱く技量の不足した人が剣を用いても、剣はその力を発揮できません。腕力をもち、剣術を鍛錬した者のみが剣の力を充分に引き出すことができます。女性など、弱く、また、剣の鍛錬をしていない者が、鍛錬した者に勝つことはできません。ですから剣は、弱者が護身用に用いるには不充分です。





それに対し銃は、火薬を動力とします。人は引き金さえ引けば、火薬の爆発によって弾丸が発射され、強い力を発揮します。弱者であっても、少し銃のあつかいを心得ていれば、強力な力を獲得できるのです。たとえば、プロレスラーのように頑強な男性が、脆弱な老婦人を襲ったとしても、老婦人が銃さえ持っていれば、その男性を制圧でき、自身を守ることができます。銃ほど、自己防衛において力の平等を実現し、弱者の護身に役立つ文明の利器はありません。





4.イエス・キリストの自己防衛思想と鉄のつえ



以上、論じてきた内容については、イエス・キリストの言葉を基に考える必要を感じます。『聖書』、「ルカによる福音書」22章35節-38節を引用します。この箇所は、聖書を読まない方はおそらく驚くと思います。





それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは「それでよい」と言われた。





イエス・キリストは「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」とまで言っているのです。世界三大聖人の初めに挙げられるキリストが、弟子に「剣を持て」と命じていることは、極めて重要です。すなわち、キリストの思想と剣は矛盾しないのです。更にいえば、不可欠なものだということです。愛と許しを説いたキリストにとって、剣は自己防衛のためのものです。現実に悪がはびこる世界において、キリストに従う人々を守り、その理想を実現するためには剣は必要なものなのです。それでは、現代、イエス・キリストがおられたら、何を持てと命じるでしょうか?





剣は、強くなるために、まず、体力と剣術を磨かなければなりません。訓練された剣士は恐るべき力を持ちます。同時に、剣士には、力を正しく治める精神が求められました。そのため日本においては武士道、西洋においては騎士道が発達しました。





一方、銃は、銃自体が凄まじい破壊力をもちます。この強力な力を、正しく管理し、使用するために、銃所有の確かな精神と思想が必要なのです。あるアメリカ家庭を撮った動画で、父親が息子に、銃を扱うとき「敬意をもって扱いなさい」と言っていた言葉が強く印象に残りました。それは武士が息子に剣を扱うときに言った言葉と同じです。このように、銃に対し謙遜な気持ちで敬意をはらうとき、銃が間違ったことに使われない、真に自分と人々を守る優れた用具になるのです。兵器は、銃を原型とし、機関銃から大砲、ミサイルに至るまで、おなじ体系をもちます。ですから、鉄杖道という銃の正しい管理思想、精神とは、個人から、民間防衛、国家の防衛まで及ぶ、自己防衛の心構えのあり方を示すものになります。





銃を間違った思想で、自己本位に使用すれば、どのような悲劇がもたらされるか、それは歴史的に、数多くの犯罪、共産主義やナチズム、イスラム国などの蛮行で明らかです。未だ、人間の社会と国際情勢は安全ではありません。銃の自己防衛の意義は、キリストの言葉、人類史、現代軍事情勢をみても明確に示されています。21世紀の文明は、銃を正しく所有し管理する「鉄のつえの思想」を必要としているのです。2000年前に、剣を持てと命じたイエス・キリストが、今、危機に瀕した世界に平和をもたらそうとすれば、同じ運動を起こすにちがいありません。(永田)