宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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なぜ、キリストの統治が「鉄のつえ」なのか?

1.なぜ「鉄」で比喩したか



文明史的にみると、長い「石器時代」と「青銅器時代」を経て、鉄器を使用する時代に至り、現代とはまさに「鉄器時代」に属します。人類は、鉄の利用で、農耕、建築、生活に革命的進化を遂げました。高度に発達した現代文明をつくり上げている基本素材は鉄です。





興味深いことに、キリストが悪と戦い、統治する象徴が「黄金のつえ」でも「青銅のつえ」でもないことです。「鉄」は、「黄金」や「青銅」のような希少な貴金属でない、大量に使われる実用に即した金属です。聖書では、あえて、キリストの統治をこの実用的な「鉄」で表現したのです。





宝石や、黄金、青銅は、キリストが統治する天国のすばらしさ、すなわち精神世界を表象できます。しかし、理想世界である天国を創建するには、前提として、キリストが悪と戦い勝利し、天国を創建する「現実的力」が不可欠です。すなわち、キリストの御業は、宝石で示した精神世界だけでなく、鉄のつえで示した実質的、現実的な分野にも及ぶということです。すなわち、人々に救いをもたらす「天国」は、天上だけではなく、私たちが肉体を持って生活する、この地上にも顕現する「天上・地上天国」なのです。キリスト教は、今日まで天上天国のみを望み、地上天国は想定しませんでした。これは天上と地上、精神と現実の乖離をもたらします。精神世界と現実世界を総合した新しい神の摂理観である鉄杖道思想は、世界に平和をもたらす使命をもつキリスト教国家・アメリカに切実に求められるものです。





日本において、貴族が統治した時代を平安時代といいますが、実際は平安な時代ではありませんでした。戦争が頻繁にあったわけではなく、貴族が弱く、無責任で、しっかり国の治安を維持していなかったのです。文明を守り発展させるには、統治者が強い責任感と力を持たなければなりません。平安時代は、映画「羅生門」のように、強盗や夜盗が出没し、人々は安全に旅をすることも出来ませんでした。強く、責任感がある武士たちが統治した鎌倉時代に至り、日本の治安は飛躍的に改善されたのです。





モンゴルの侵略である元寇が、もし、貴族が統治する平安時代に起きたなら日本はどうなったでしょうか。貴族たちにはモンゴル軍と戦う勇気も能力もありませんでした。当時の日本が平安貴族が統治する時代だったら、同じく貴族が統治した高麗のように、間違いなくこの国はモンゴルに蹂躙されていたでしょう。トインビーが言っていたように、文明は内外から強い挑戦を受けます。反文明の挑戦を跳ねのけ、文明を守り発展させるには、主権者の責任意識と力が必要なのです。





今日、民主主義国家の主権者は、私たち一人一人の国民です。ですから、当然なこととして、国民が文明を守る責任感と力を持たなければなりません。その意味で、武装を禁じ、自己防衛権を放棄した憲法9条に執着する護憲派は、平安貴族のように弱く無責任な人々です。日本は現代のモンゴル帝国といえる中国共産党の侵略に対抗するため、一刻も早く、亡国憲法を改正し、国防力も増強しなければなりません。





日本は世界有数の平和な国です。そして、銃は容易に所持できず、人々の意識の外にあります。しかし、私たちは、アメリカで勃興し始めた「鉄のつえ運動」を理解できる充分な伝統的背景があります。それが武士道です。日本は、人類文明を守り、世界の平和と安全を維持するため、アメリカと力を合わせなければなりません。そのために私たちは、銃に対する拒否感や偏見を解消し、「銃と平和」の問題を真剣に考える必要があります。





2.銃は世界史を変えた



そもそも、火薬や火砲の発明はヨーロッパではなく、中国だといわれます。1241年には、モンゴル軍がヨーロッパに遠征し、ワールシュタットの戦いで火砲が使用されたという記録があります。歴史的にはっきりしているのは、1274年、文永の役、弘安の役で、モンゴル軍が日本軍に対し鉄法(てつはう)を使用しました。その様子は「蒙古襲来絵巻」(宮内庁所蔵)に示されています。





しかし、本格的に銃を使用し始めたのは、やはりヨーロッパでした。銃が盛んに使われ始めると、剣から武器の主役の座を奪い、戦闘の帰趨は、銃の性能と数が決するようになりました。そして、銃の使用は、近世ヨーロッパにおいて「軍事革命」を引き起こし、更には、「国家制度」をも改革したのです。銃を用いた効果的な戦術が編み出され、常時、射撃兵を確保、訓練するため、常備軍が編成されました。その維持に必要な多額の国家予算・人員・物資を備える必要が、ヨーロッパの近代国家建設を後押ししたのです。銃を活用できる強力な軍事・経済国家の形成。これが、ヨーロッパによる世界支配を担保した最大の理由です。





このように銃は、近世以降の世界秩序を変革させ、近代国家の制度のあり方にも影響を与えました。それほど銃とは、画期的な力をもつ文明の利器で、人類の発展に大きく貢献したのです。歴史は人間の努力と、神の介在が加わり変動しました。銃発展の歴史は、まさに神のプロビデンス(摂理)と見ることができます。





3.銃と剣のちがい



一方、「剣」は、千年以上、世界における覇権戦争の行方を左右し、長く武器の主役は「剣」や、剣の進化系といえる柄に槍頭を付けた「槍」でした。そして近世に至り、銃が剣にとってかわりました。「銃」の後は、使われない兵器といわれる「核」です。使われないのですから、実質的には、銃の進化系である大砲やミサイルなどが兵器体系の中心を占めます。ですから、今後も引き続き、世界の軍事は「銃の時代」といえます。





ここで、鉄器時代の代表的武器である「剣」と「銃」を比較してみましょう。剣は、人の力を動力とします。人の力の強弱で、剣の力が決します。ですから、剣を効果的に使用するには剣を巧みにあつかう能力が必要です。剣においては、人の力と技のレベルではっきり破壊力の差がでます。力が弱く技量の不足した人が剣を用いても、剣はその力を発揮できません。腕力をもち、剣術を鍛錬した者のみが剣の力を充分に引き出すことができます。女性など、弱く、また、剣の鍛錬をしていない者が、鍛錬した者に勝つことはできません。ですから剣は、弱者が護身用に用いるには不充分です。





それに対し銃は、火薬を動力とします。人は引き金さえ引けば、火薬の爆発によって弾丸が発射され、強い力を発揮します。弱者であっても、少し銃のあつかいを心得ていれば、強力な力を獲得できるのです。たとえば、プロレスラーのように頑強な男性が、脆弱な老婦人を襲ったとしても、老婦人が銃さえ持っていれば、その男性を制圧でき、自身を守ることができます。銃ほど、自己防衛において力の平等を実現し、弱者の護身に役立つ文明の利器はありません。





4.イエス・キリストの自己防衛思想と鉄のつえ



以上、論じてきた内容については、イエス・キリストの言葉を基に考える必要を感じます。『聖書』、「ルカによる福音書」22章35節-38節を引用します。この箇所は、聖書を読まない方はおそらく驚くと思います。





それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは「それでよい」と言われた。





イエス・キリストは「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」とまで言っているのです。世界三大聖人の初めに挙げられるキリストが、弟子に「剣を持て」と命じていることは、極めて重要です。すなわち、キリストの思想と剣は矛盾しないのです。更にいえば、不可欠なものだということです。愛と許しを説いたキリストにとって、剣は自己防衛のためのものです。現実に悪がはびこる世界において、キリストに従う人々を守り、その理想を実現するためには剣は必要なものなのです。それでは、現代、イエス・キリストがおられたら、何を持てと命じるでしょうか?





剣は、強くなるために、まず、体力と剣術を磨かなければなりません。訓練された剣士は恐るべき力を持ちます。同時に、剣士には、力を正しく治める精神が求められました。そのため日本においては武士道、西洋においては騎士道が発達しました。





一方、銃は、銃自体が凄まじい破壊力をもちます。この強力な力を、正しく管理し、使用するために、銃所有の確かな精神と思想が必要なのです。あるアメリカ家庭を撮った動画で、父親が息子に、銃を扱うとき「敬意をもって扱いなさい」と言っていた言葉が強く印象に残りました。それは武士が息子に剣を扱うときに言った言葉と同じです。このように、銃に対し謙遜な気持ちで敬意をはらうとき、銃が間違ったことに使われない、真に自分と人々を守る優れた用具になるのです。兵器は、銃を原型とし、機関銃から大砲、ミサイルに至るまで、おなじ体系をもちます。ですから、鉄杖道という銃の正しい管理思想、精神とは、個人から、民間防衛、国家の防衛まで及ぶ、自己防衛の心構えのあり方を示すものになります。





銃を間違った思想で、自己本位に使用すれば、どのような悲劇がもたらされるか、それは歴史的に、数多くの犯罪、共産主義やナチズム、イスラム国などの蛮行で明らかです。未だ、人間の社会と国際情勢は安全ではありません。銃の自己防衛の意義は、キリストの言葉、人類史、現代軍事情勢をみても明確に示されています。21世紀の文明は、銃を正しく所有し管理する「鉄のつえの思想」を必要としているのです。2000年前に、剣を持てと命じたイエス・キリストが、今、危機に瀕した世界に平和をもたらそうとすれば、同じ運動を起こすにちがいありません。(永田)