宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

2019年8月のブログ記事

  • 韓国の忠臣蔵・「死六臣」-日・韓、こころの決定的違い-

    1.忠臣蔵・赤穂事件と「生類憐みの令」 赤穂事件は、元禄の社会にセンセーションを巻き起こし、300年を経た現代でも日本人の精神に大きな影響を及ぼしています。浪士の行動は、忠義、勇気、同志愛、潔さなど武士道の良き面を備え、彼らは尊敬され、時には「義士」と呼ばれました。 この「赤穂事件」と「生類憐みの... 続きをみる

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  • 将軍綱吉は韓国の血を引く -生母桂昌院の母は韓国人-

    1.「日本シンデレラ」 -海音寺潮五郎氏の感想- ショッキングなタイトルかも知れません。そもそも、本稿執筆のきっかけは、韓国留学時代に、海音寺潮五郎氏の歴史エッセイで、綱吉の生母である桂昌院の出自について言及した部分を読んだからです。引用します。 五代将軍綱吉の実母桂昌院は、京都の八百屋何某の娘か... 続きをみる

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  • 「元禄」は宗教からはじまった!

    1.日本中枢の元禄は、儒・仏奨励から始まる 綱吉は、儒教と仏教の本格的奨励を元禄元年から開始し、「元禄」は、儒・仏にとって特別な意味をもつ時代でした。徳川将軍が、寺院を訪問したり、僧侶の法門を聞くなどは極めて異例なことでした。元禄1年から3年までの、綱吉の主な儒・仏関連行動を見てみましょう。 元禄... 続きをみる

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  • 綱吉、皇室政策も「武断」から「親和」へ -大嘗祭を221年ぶりに復活-

     1.綱吉の徹底した皇室優遇政策 綱吉は、歴代徳川将軍のなかで最も朝廷を重んじた人物です。天和3年(1683)、東山天皇が皇太子位にのぼる際、幕府の援助によって336年ぶりに立太子の儀式を再興し、東山天皇即位にも、皇室の要請にこたえ援助し、221年ぶりの大嘗祭が執り行われました。これは、今年の11... 続きをみる

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  • 「徳川の平和」と儒・仏信仰

    1.パックス・トクガワーナ 綱吉の時代は、儒教と仏教の奨励が幕府の最重要政策でした。朝廷も、儒・仏尊重の王権で、綱吉の儒・仏信仰と朝廷を重視する政策は、朝廷、幕府、儒教、仏教、という、日本の、聖、俗界の核心勢力を、「文治的思想」で結びつけたのです。 この大きな輪が、「徳川の平和」をつくり、元禄入亜... 続きをみる

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  • 暴れん坊将軍と犬将軍   -吉宗と綱吉のちがい-

    1.吉宗は綱吉の儒教重視を継承 8代将軍吉宗は幕府中興の英主と称えられています。施策の大方針は「諸事権現様(家康)の御定め通り」で、家康の政治を模範とし、武芸を奨励するなど、政治に「武」を復興させました。 しかし、吉宗は綱吉の儒教奨励を踏襲し、武家諸法度の儒教主義も継承したのです。荻生徂徠や室鳩巣... 続きをみる

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  • 儒教、徳川幕府の法となる -憲法を変え日本の姿を変えた綱吉-

    1.徳川幕府の最高法「武家諸法度」とは? 綱吉は、大名統制のための法で、幕府の最高法とも言える「武家諸法度」を、儒教思想を強く反映する内容に改正しました。武家諸法度は幕藩体制の在り方を規定する法で、そこに盛り込まれた文言は体制の理念を示します。 この法は、元和1年(1615)、家康が大阪落城直後、... 続きをみる

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  • 東アジアの知的エリート・士大夫、日本に誕生す!  ー儒教が仏教から独立ー

    1.湯島聖堂完成直後、儒学者は仏教から解放 元禄4年(1691)、綱吉は、儒官筆頭の林信篤に束髪を命じ、従五位下に叙し、大学の頭と改称させました。このときまで、儒官は、幕府儒官の長である林信篤でさえ、常春という僧名を名のり、髪を剃り、僧位を授けられていました。 湯島聖堂完成直後に、儒学者の処遇は改... 続きをみる

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  • 儒教があふれる北京・ソウル、儒教がない東京 -湯島聖堂建立の意味-

     1.孔子廟(湯島聖堂)建立は国家的事業 綱吉は将軍宣下から9年間、幕府儒官の筆頭である、忍岡の林家邸内にある孔子廟を訪問しませんでした。父の家光も参詣したのですから、儒教を尊重する綱吉が、9年ものあいだ孔子廟を参詣しなかったのは異常なことです。 おそらく綱吉は、この孔子廟が、儒教の祖・孔子を祀る... 続きをみる

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  • 江戸城、巨大な大学と化す! ー熱血教師綱吉の奮闘ー

    1.世界史のユニーク現象・最高権力者による宗教教典の講義 日本の執権者である、徳川綱吉が、江戸城において、300名以上の大名、旗本らを集め、自ら儒教経典の授業をしたことをご存知でしょうか。綱吉は、さまざまな形の儒教講義を400回あまりしました。これは、執権者であった聖徳太子が、自ら仏典を講義した以... 続きをみる

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  • 黄門様はホームレス殺し -戦国殺伐の風習-

    1.見たい歴史の常識を疑い、見たくない歴史を直視すること 「黄門さまはホームレス殺し」、何のことやら分からないと思います。水戸黄門ファンにはショッキングなことかも知れませんが、光圀の素顔の一部を紹介します。見たいものを見て、見たくないものは見ない日本人の歴史観から言うと、黄門さまは見たい歴史人物の... 続きをみる

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  • キリスト教・仏教・儒教における「武」のちがい

     1.家康、藤原惺窩から儒教を学ぶ  話しは80年ほど遡ります。文禄2年(1593)、徳川家康は肥前名護屋に儒学者藤原惺窩を招き対面し、同年12月より、江戸で、惺窩から唐時代の政治書である『貞観政要』の講義を受けました。 時は、前年より文禄・慶長の役が開始されていました。秀吉が、隣国と自国民の不幸... 続きをみる

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  • 「儒学者将軍」・徳川綱吉の奇跡的登場

     1.なぜ、綱吉は儒教を徹底して学んだのか?  3代将軍家光の3男として育った綱吉は、幼少の時から、特別に、儒教の「英才教育」を受けたと伝えられます。それは、極めて稀なことでした。当時、武家の子弟教育で、儒教はほとんど重視されていなかったからです。そのような中で、なぜ、綱吉が例外的に儒教重視教育を... 続きをみる

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  • 戦国「神の国」と、徳川「修身斉家治国平天下」 ー激変した日本人の思想ー

    (中国歴代王朝、朝鮮王朝での孔子は計り知れない至高の存在であった) 1.戦国末期・徳川初期は、思想の大改革期 『聖書』「まず、神の国と神の義を求めよ」 『大学』 ー修身斉家治国平天下ー (我が身を正しく修めれば家庭は和し、家庭が和せば国は良く治まる、そして国が良く治まれば天下は安定するものである)... 続きをみる

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  • 21世紀、宗教の地殻変動は、福音派、ヒンズー教、儒教から  -プロビデンスによる宗教融和-

    宗教のプロビデンス 神は、相互に依存し調和をなす世界を創造しました。しかしなぜか、人間社会は苦しみや悲しみ、恨みが渦まく、不調和な世界になってしまいました。歴史は、そのような人類を救済する過程でした。神の救済プロビデンス(providence: 摂理)は、人類の苦しみをなくし、世界に調和をもたらす... 続きをみる

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