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「徳川の平和」と儒・仏信仰

1.パックス・トクガワーナ


綱吉の時代は、儒教と仏教の奨励が幕府の最重要政策でした。朝廷も、儒・仏尊重の王権で、綱吉の儒・仏信仰と朝廷を重視する政策は、朝廷、幕府、儒教、仏教、という、日本の、聖、俗界の核心勢力を、「文治的思想」で結びつけたのです。




この大きな輪が、「徳川の平和」をつくり、元禄入亜を成し遂げた母体です。この文治による連帯が行なったことは、戦国時代から引き継がれた悪弊である「戦国殺伐の風習」の克服でした。その思想的背景となった綱吉の宗教観を見てみましょう。




2.儒・仏は車の両輪・「観用教戒」


綱吉は、仏教界を支援し、その規模はむしろ儒教に対するよりも大きなものでした。今日に残る奈良の大仏殿や法隆寺なども、綱吉の支援により再建が成ったのです。儒仏奨励の背景には、綱吉の独特な宗教観があり、それは『常憲院殿御実紀』付録巻中に記載された「観用教戒」に示されています。




仏教と儒教は、慈悲をもっぱらとし、仁愛を追求し、善を勧め悪を懲らすもので、まことに車の両輪であり、その教えは人が篤く敬うべきものである。しかし、今の世は仏教を学ぶ者は教義にこだわり、主君を離れ、親を捨て、出家して世間を離れ、世の道徳は乱れている。また、儒教を学ぶ者も、教義にこだわり、禽獣を祭祀に捧げ、食し、万物の生命を損なうことを厭わない。そのため世の中は不仁で夷狄のようになり、まことに憂うべきである。儒仏を学ぶ者は教えの本質を見失ってはならない。




綱吉は、僧侶は出家せずに世のために尽くし、儒学者は、動物を祭祀に捧げることや食することをやめて、動物を愛護すべきと主張しています。彼の儒・仏観は、厳格で、理想主義的ですが、この言葉のなかに、綱吉の宗教政策の動機があらわれています。




綱吉にとって儒・仏は、「車の両輪」で、どちらが善く、悪くという二者択一の関係でも、どちらがより優れているかという優劣を問うものでもなく、同じ価値を持つものでした。社会を善導するという宗教本来の目的を重視し、ふたつの教えを分け隔てず奨励したのです。




綱吉はまた、「皆は儒教を何と心得る。古来の堯舜、禹湯、文武などという聖人はみな儒者である。今のごとく読書をもって業とする者のみを儒者というのは後世の事で、大きな誤りである。それは聖人の道を狭隘にすることである」と語りました。




3.綱吉の宗教観が私たちにもおよぶ


上の考えと、「観用教戒」を総合すると、綱吉は、儒教と仏教、また儒学者と一般人を区別せず、それらを区別する狭い考えを嫌ったことが分かります。このような寛大な思想が、儒・仏の並行的奨励、儒官がするべき儒教講義を自らが行なったこと、またその受講対象が公家、旗本、大名のみならず陪臣、僧侶、神主、山伏にまで及んだことの背景にあったのです。




徳川光圀(水戸黄門)は、儒教を尊重しましたが、多くの寺院を廃し、仏教を圧迫しました。明や朝鮮でも、儒教は仏教を排斥する傾向があり、それはひどいものでした。日本の儒学者も仏教を陰湿に批判しました。儒教を学んだ人物が、仏教もまた篤く信仰するというのは極めて稀なことだったのです。




この綱吉の儒・仏に対する融和的姿勢は、幕府の宗教政策に引き継がれ、日本における儒教と仏教の葛藤解消に貢献し、それは、現代においても、私たち日本人の寛容な宗教観にあらわれています。  (永田)



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