宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

宗教性と老人の復権  ー 「千と千尋」と「ハリーポッター」から ー

「千と千尋の神隠し」の宗教的メッセージ



マンガや映画、大衆小説などにも、深い宗教的意味をもつものが多いのですが、ふつう、「ただの娯楽」と捉えてしまいます。しかし、人は知らず識らず「娯楽」から影響を受けます。50年ほど前、「鉄腕アトム」「鉄人28号」は、科学を信頼する世界観を発信しましたが、今日、「鬼滅の刃」「もののけ姫」は、科学への信頼とは逆の世界観を発信しています。





『宗教と現代がわかる本』(平凡社)の、創刊号(2007)のあいさつには、「現代日本人の宗教に対する意識は、狭義の宗教には無関心、組織としての教団には違和感を持ちながらも、広い意味での宗教文化、あるいは精神文化への関心は高まっているようです」とし、毎年「広義の宗教」についてユニークな内容を紹介しています。2015年版特集は「マンガと宗教」で、マンガのなかの宗教性を取り上げました。





異界と過去の世界



驚くべきは、宗教的物語の人気の高さです。昨年大ヒットした「鬼滅の刃」も明らかに宗教的なアニメですが、「鬼滅の刃」に越されるまで、日本の歴代映画興行収益の一位は、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」でした。この物語の宗教的背景とメッセージを考えてみましょう。





まず、道端に多くの石の祠があらわれ、この先が神秘的領域につながることを暗示します。千尋が迷い込む古風な建物は、八百万の神が疲れを癒しにやって来る温泉旅館です。注目すべきは、科学的法則を超越した異界が、未来ではなく過去の世界で、老人がキーパーソンだということです。「ロードオヴ・ザリング」も「ハウルの動く城」など多くの作品もおなじです。





なぜ、不思議の世界が「過去の世界」なのでしょうか。科学が発達する前、世界は進歩が緩慢でした。先祖、自分、子孫の生活は基本的に大きな変化はありません。そのような社会では過去が最大の情報源であり、それをよく知る老人が重んじられます。集まりでは老人の意見が尊重され、未来を担う子供は老人の昔話を聞いて成長しました。「老人」こそ、過去、現在、未来をつなげる役割を果たしていたのです。





また、医学が発達していない時代、人は短命でした。いまは抗生物質などで簡単に治せる病気でも命を落としたのです。歴史的に日本人の平均寿命は30歳代前半だったそうです。子供をたくさん産んでも、幼くして死ぬ子もおおく、20代なかばになれば、自分の知っていた人のなかには、生きている人より、死んだ人のほうが多かったのです。死は常に身近にあり、忘却して生きることはできません。





昔の人々は、宗教的でなければ平安を得ることができなかったのです。現実と死後の世界の境界もあいまいで、死者と通じることができると信じていました。人は死んで夜空の星になると譬えるように、夜は霊的世界につながり、死者と接近できる時間でした。人々はながい夜のあいだ、満天の星空を見つめながら、死者と現在に生きる者、未来の子孫のことを想ったのです。





また、夜の思いや夢を重視し、夢に死者が現れたら死者と会ったということなのです。このように昔の人は、過去・現在・未来、そして死者・生者・子孫がつながっていました。この強いつながりがあればこそ人類は今日まで生き残り、私たちが存在しているのです。そのつながりが、「精神(こころ)の故郷」です。





現代人はそれらを失いました。科学の進歩はあまりに早く、社会は激変しています。自分と父母、そして祖父母の生活はあまりにも変化し、過去を振り返る余裕などありません。有名人ゲストの先祖を追う、NHKの「ファミリーヒストリー」を見て感じるのは、誰もが父母、祖父母のことをよく知らないということです。これが現代人です。今は老人から昔話を聞いて育った人はほとんどいないのです。





今日のスマートフォンの機能は30年前にはSF世界のものでした。今は1年前のモデルは旧式になってしまいます。さらに進歩する30年後のスマホの機能はだれも想像すらできません。人々はこの急激な変化について行くのがやっとです。急速に変化する時代、老人は真っ先に取り残され、技術、情報分野で遅れた存在に転落します。昔のように、過去、現在、未来をつなげる役割など果たしようがありません。





また、医学が発達し、人々は長寿を獲得し、豊かで楽しい生活のなかで、死を思わず生きることができます。死は忘れるべきものと忌避され、死者と通じることなどはオカルトの話しになってしまいました。





現代人の生活は、過去、現在、未来がつながらず、死者、生者、子孫がつながっていないのです。これは、はっきり自覚されなくとも、人間精神に危機をもたらす重大問題で、心の奥には底知れぬ不安と孤立感が存在します。現代人が孤独なのはこれが原因です。不思議の世界が過去であるのは、人が過去に享受した「精神の故郷」を取り戻す試みです。それを取り戻してくれるキーパーソンこそ「老人」で、多くの物語では、老人が救世主のごとき力を持つ存在として、鮮やかに復権するのです。





ゼニーバの愛



「千と千尋の神隠し」のメインテーマは価値観の問題です。ここを支配する湯ババは贅沢な場所に暮らし、すさまじい魔力で君臨する物質的欲望に縛られた権力者です。千尋を助けるハクは強力な魔法を得るため湯ババの手下になった龍、廃棄物で本来の姿を失った神、金塊を魔力で作り出しとめどない食欲をもつカオナシ、カオナシの出す金塊に狂喜するモノノケ達、湯ババのわがままな赤ん坊。まさに欲望が渦巻く現代社会の縮図です。





これらの間違った価値観を変えてくれるのは、過去、現在、未来のつながりを知り、生と死の意味を悟る湯ババの姉ゼニーバです。ゼニーバは、森の中で昔のヨーロッパの農民のような質素な家に住み、魔法に頼らない暮らしをしています。千尋のために、魔法で作ったら意味がないと言い、皆とともに糸を編んでお守りの髪留めを作ってあげます。強力な魔法使いであるにも関わらず、魔法より思いやりと愛情が大切なことを千尋に教えるのです。このゼニーバの働きにより、皆の価値観が変わります。





結局、湯ババは千尋の両親を許し、家族は元の世界に戻ることができます。そして、エンディングに流れる主題曲「いつも何度でも」に、この物語のメッセージが集約されています。





呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢をみたい


かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える


………


さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる


生きている不思議 死んでゆく不思議
花も風も街も みんなおなじ


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう


……… 


はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ


海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから





この歌詞は、「死」をつよく意識しています。ストーリーも生死の境が明確ではありません。異界に迷い込んだ時から死後の世界に入ったようでもあるし、ゼニーバのところに行く電車の様子が死の世界のようです。全ての存在の宿命としての死、精神の故郷を失い傷ついた心、そして愛と思いやりのある存在から教えられ、大事なことを悟り、新たな力を得た喜びを表現しています。





ふたつの知性



知性には「陽暦的知性」「陰暦的知性」があると思います。「陽暦的知性」は、太陽と昼に象徴される、光と熱を受けエネルギーで構成される、目に見える世界を解明し運用する知性で、科学的知性ということができます。自然科学、社会科学、人文科学をふくめ、論理で把握でき、人々に説明できる知性です。人類はこの知性を活用し、驚くべき発展をとげました。





一方、「陰暦的知性」は、月と星、夜に象徴される知性で、目に見えず、論理で把握できず、説明が困難な知性です。満天の星空の下で、祈り、思索して知る、霊的、宗教的知性ということができます。これは、現実に役立つ陽暦的知性と比べ、無意味なものと認識されやすいものです。現代人はこの知性が退化しました。





しかし、夜空に輝く星は何千万、何億光年という彼方にある恒星が放った光で、星空とは天文学的スケールの世界なのです。それは神や仏、永遠、無限を感じることができる世界です。反対に、昼に見える太陽と地球は、夜みえる世界と比べると、大海とコップの水以上の違いがある小さな世界です。





陰暦的知性とは、『星の王子さま』で、「心で見ないと、なにも見えない。いちばん大事なことは、目には見えない」と言っている、目に見えない世界の知性です。この知性は、世界の構造を解明する知性ではなく、世界が存在する意味を教えてくれる知性です。





私たちはふたつの知性があるということを意識すべきです。昔の人は夜空を見て、自然に、陰暦的知性を磨きました。しかし、現代人は都市化と電気の力によって、夜が放つ霊性を覆い隠してしまいました。蹂躙したと言った方がいいかも知れません。





電気をつければ、生活空間は昼のように明るくなり、あえて夜空を眺めません。たとえ夜空を見ても、大気汚染と都市の明るさで星はほとんど見えません。生活のなかで、月と星が発する偉大な霊性を失ったことが、現代人が宗教性をなくした大きな原因ではないでしょうか。よく、夜はマイナス思考になると言いますが、それは本来、夜がもつ強力な霊的パワーを自分たちが遮断し、ただの暗い時間にしてしまったからです。





現代人は、陰暦的知性を回復しなければなりません。それを推進するのが宗教者です。過去、信心深い「老人」が果たしてきた、人間の過去、現在、未来をつなげる精神的役割を果たせるのは、同じように神や仏を深く信じる「宗教者」しかいないのです。





ハリー・ポッターとダンブルドア校長



1997年から2007年にかけ、イギリスのJ.K.ローリング氏が書いた「ハリー・ポッターシリーズ」は、全世界4億5000万部という空前の発行部数を達成しました。映画も大ヒットし、アメリカと日本にはテーマパークもつくられています。





「ハリー・ポッター」と「千と千尋の神隠し」は似ています。ハリーが学ぶホグワーツ魔法学校は、まるで中世の城で内部も過去の世界、キーパーソンもやはり老人です。魔法族の世界では、ヴォルデモートという恐ろしい魔法使いが復活する危機に直面していました。ホグワーツ魔法学校にも、ヴォルデモートに従う者たちがあらわれ、学校を支配するため暗躍します。





ヴォルデモートを倒す秘密を知るのが、偉大な魔法使いであり教育者であるアルバス・ダンブルドア校長です。銀色の長いひげに半月メガネをかけたこの老人は、ハリーがヴォルデモートを倒すことができるように、自分の命を犠牲にし、ハリーに死を乗り越える勇気を持つことを教えます。ハリーがそれを悟り、ヴォルデモートの手により致命傷を負い、死の淵の臨死体験でダンブルドア校長に再開します。このときの校長の話に重要なメッセージが込められています。





「しかも、ハリー、あの者の知識は、情けないほど不完全なままじゃった!ヴォルデモートは、自らが価値を認めぬものに関して理解しようとはせぬ。屋敷しもべや妖精やお伽噺、愛や忠誠、そして無垢。ヴォルデモートは、こうしたものを知らず、理解してはおらぬ。まったく何も。こうしたもののすべてが、ヴォルデモートを凌駕する力を持ち、どのような魔法も及ばぬ力を持つという真実を、あの者は決して理解できなかった」。





愛や忠誠、無垢という精神の価値が、魔法にまさる真の力を持ち、悪に打ち勝つことができると語ります。現代人にとって、「魔法の力」とは、絶大なちからをもつ「科学の力」に置き換えられます。私たちに、科学の力に頼るより、愛や無垢な心が重要だということを教えています。





また、死について深遠な思想を述べます。「―なぜなら、真の死の支配者は、〈死〉から逃げようとはせぬ。死なねばならぬということを受け入れるとともに、生ある世界のほうが、死ぬことよりもはるかに劣る場合があると理解できる者なのじゃ」、「死者を哀れむではない、ハリー。生きている者を哀れむのじゃ。とくに愛なくして生きている者を」。





生きることより、死ぬことがさらに価値ある場合があり、間違った価値観をもって生きることは死よりもはるかに劣ること。そして、愛なくして生きる者は、死者よりも哀れむべき者と語ります。そしてハリーは、最強の杖を手に入れてしまったヴォルデモートに、決死の戦いを挑む決意をします。





ハリーは最後に、「これは現実のことなのですか? それとも、全部、僕の頭の中で起こっていることなのですか」とダンブルドア校長に問いかけます。校長は、「もちろん、君の頭の中で起こっていることじゃよ、ハリー。しかし、だからと言って、それが現実ではないと言えるじゃろうか?」と、意味深長な答えを返します。





現代人は、夢や予感、不思議な体験などは、偶然として無視することが普通です。しかしこのなかに、神が人に伝えたいメッセージが込められているかも知れないのです。とくに宗教者にとって神秘体験は軽く扱うことはできません。神はこれらの現象を通じ、大事なことを知らせようとしているからです。





宗教の先人たちは皆、神秘体験を通して神が自分に与えた使命を確信し、偉大な業績を残しました。神秘体験がなければ、宗教の存在も発展もなかったのです。頭のなかで起こったことが現実を動かす大きな力を秘めているのです。