宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

東西来世観のちがい-輪廻転生と霊界永生-

1.人生の初めと終りをはっきりさせる西洋



「東洋人の生と死は、本の1ページだ。ページをめくれば、次のページが出て、新たな生と死がくり返される。それに比べ、西洋人の生と死は、1冊の本で、初めと、終わりがある」
これは、オーストリアの貴族で、日本人の母(青山光子)をもつ、リヒャルト・グーデンホーフ・カレルギーの言葉です。ちなみに彼は、ヨーロッパ統合に尽力し「EUの父」と称され、また、不朽の名作「カサブランカ(1942)」の、イングリット・バーグマンをめぐり、ハンフリー・ボガードの恋敵で、反ナチスの活動家ビクトル・ラズロのモデルともいわれます。
 



 
上の言葉は、仏教の輪廻転生と、キリスト教の霊界永生の違いを見事に表しました。この宗教観の差は、広大で深淵なものです。西洋では、例えば、人が死ねば、「リヒャルト・グーデンホーフ・カレルギー(1894.11.16ー1972.7.27)」と、好んで、生きた期間を冷厳、客観的に、初めと終りを明確にし、親しい人に自分の写真に人生の期間を書いた葉書を送ります。




しかし、東洋人は、この習慣に馴染みません。何か、とても無情に感じます。長く輪廻転生の思想を持ってきたので、深層心理のなかで、人間はいつか現世に戻るので、生没年で自分の人生を、こんな風にバッサリ区切られたくないと感じるからでしょう。仏教徒ならば次の生があると信じ、特に仏教徒でなくとも、何となく、次の生があると感じています。






2.インド的来世観とキリスト教的来世観が混在する日本



人は、死んだら生まれかわるのか、それとも霊界に行くのかというのは、インド的来世観とキリスト教的来世観が混在する日本ではたいへん重要な問題です。仏教では輪廻転生すると考えますが、キリスト教では霊界で永遠に生きると考えます。仏教のなかでも、浄土宗や浄土真宗では極楽往生を説き、一方、仏教である幸福の科学も、霊界永生を説きます。






日本では、「輪廻派」と「霊界派」の優劣はつけ難いと思います。輪廻は、天国や地獄がある霊界より信じやすいもので、素朴な考えから、生まれ変わりを信じている人が多いと思います。一方、霊界を信じる側からすると、人間がまた生まれ変わる、しかも動物に生まれ変わるかもしれないという輪廻は、荒唐無稽に感じます。






3.東西世界観のちがい



しかし、仏教やヒンズー教の輪廻転生には、「仏・神-人間-動物」を区別せず、存在するもの全てはつながっているという考えが根底にあります。曹洞宗開祖の道元も、『正法眼蔵』で、「法というものは、自己と万象の違いを脱すること」と言っています。人と万有との一体を強調するのがインド系宗教の特徴で、自然は止まることなく流転しますから、人間も輪廻すると考えるのです。





それに比べキリスト教は、「神-人間-動物」を厳格にわける思想傾向があります。聖書の創世記第一章には、「神は御自分にかたどって人を創造された」「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と、神は全知全能の創造主で、人間は神から生き物を支配する権限を与えられていると考えます。ですから人は死後、神のもとに帰り永遠に生き、動物は永遠の存在ではないと考えます。





4.暗さのない新しい輪廻転生説



しかし、アメリカでつくられたロビン・ウイリアムズ主演の「奇跡の輝き(1998)」という映画では、主人公の夫婦が霊界に行った後、生まれ変わってふたたび出会う場面で終わります。ベルナルド・ベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ(1993)」は、輪廻転生をテーマとしています。キリスト教が優勢な西洋でも、人が輪廻するというストーリーを自然に受け入れており、西洋にも輪廻転生を信じる人が増えています。輪廻は、人間の素朴な願望の中にあり、「生まれ、死に、また生まれる」という生死の循環説は説得力があります。「あなたこの世に生まれたんでしょう、だから、またこの世に生まれるんですよ!」と言われると、はた、と考えてしまいます。






また、輪廻説に立つ宗教やスピリチュアリティーは、輪廻が、さまざまな人生を経験し、霊魂を成長させる心の再生プロセスという積極的解釈を強調します。この考えに立つと、動物に生まれ変わる悲劇という、輪廻転生に付きまとう暗さが解消されます。また、善行を行う明るい動機になります。





5.霊界・霊人と共に生きる立体的人生観



一方で、守護霊や背後霊という考え方があります。人は死んで霊界に行っても、子孫や、自分に似た性格や使命がある特定の人を、霊界から見守り、助ける霊となるという考えです。守護霊は人をみちびき守り癒す霊で、背後霊は、使命達成を応援する霊団です。






霊視すると、助けられる人と守護霊があまりにも似ているので、まるで守護霊が輪廻転生したように見えますが、両者は別人です。本人が記憶している、あるいは霊能者がいう「前世」は、自分の前世でなく、自分と深い因縁がある「守護霊」ということになります。






この考えに立つと、生きている人は、霊界から数多くの因縁ある霊人が見守り、生者と死者が関係をもちながら生活しているという、立体的な人生観、世界観がつくられます。ですから、自分がいいことをすれば、過去の多くの人も共に救われるという、善行をする強い動機も与えられるのです。これも多くの人が信じる来世観です。





6.東西人間観の壮大な交流、異宗教者とよき交流



いずれにせよ、霊界、輪廻、それぞれ深い思想的背景があるもので、一方を頭から否定し、悪い考えと決めつけるのは間違えです。霊界で永遠に生きるのか、輪廻転生を永遠に繰り返すのかという違いで、人間存在はこの世かぎりという、唯物論的な不幸な人間観に比べれば、遥かに素晴らしい思想です。このふたつの来世観は、インド文明と西洋文明の発想の違いがはっきり表れるもので、学び合う点がたくさんあります。まさに東西人間観の壮大な交流です。異宗教者同士が語り合うよきテーマなのです。