宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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将軍綱吉は韓国の血を引く -生母桂昌院の母は韓国人-

1.「日本シンデレラ」 -海音寺潮五郎氏の感想-


ショッキングなタイトルかも知れません。そもそも、本稿執筆のきっかけは、韓国留学時代に、海音寺潮五郎氏の歴史エッセイで、綱吉の生母である桂昌院の出自について言及した部分を読んだからです。引用します。




五代将軍綱吉の実母桂昌院は、京都の八百屋何某の娘から、女にして従一位まであがったというので、日本における女子の出世がしらということになっている。彼女の位がこうであったばかりでなく、その権勢のすさまじさは歴史にちょっと比すべきものが見つからない。徳川家の権勢が最も張った時代の将軍生母であり、またその将軍が孝道中心の儒教道徳を真向から信奉している人であったからだ。 ― さて、この桂昌院の素性だが、『遠碧軒記』という、当時芸州藩の儒医であった黒川道祐の著書中の記述によると、桂昌院の母親は朝鮮人であったとある。京都堀河に酒屋太郎右衛門というものがあった。怠けもののグウタラだったので、妻は子供一人生むと、摂関家二条家へ乳母に上がってしまった。太郎右衛門氏は女房におん出られてこまったが、間もなくその家に久しく召しつかっていた朝鮮人の女に手をつけ、これを女房にして娘が二人生まれた。その妹娘が後の桂昌院であるというのである。真偽のほどは、他に参照すべきものが見当らないからわからないが、この書物の他の記述は、史料として相当信用されているのである。ぼくはほんとうであろうと思っている。


                                 『日本歴史を散歩する』「日本シンデレラ」142P




これを読み、面白いうわさ話もあるものだと思いましたが、その後、綱吉について調べて驚いたのは、彼と儒教との関係でした。綱吉の儒教奨励が徹底したものだったからで、日本に儒教を根づかせたのは綱吉だと確信しました。これは日本の精神史に対する大変な貢献だと感じるとともに、将軍が経典を講義してまで儒教を奨励し、それを押し立て政治をしたという事実が、日本史のなかで大きなウエイトを占めていないことが不思議に思えたのです。





2.「韓国・儒教・綱吉」がつながる



儒教が専門でもない私が、綱吉の儒教政策に関心を持ったのは、韓国に住んでいたからです。韓国は儒教が深く浸透している国です。ここでは「儒教」というものが巨大で、私の観念のなかでの儒教も大きな存在になっており、そんなものを日本に根づかせた綱吉の業績も偉大に感じられたのです。以上のような過程を経て、「犬公方」というマイナスイメージの綱吉像が一変しました。




儒教奨励を他の時代に拡大すると、仏教を導入した蘇我馬子、キリスト教を保護した織田信長にも綱吉と同じことが言えることに気づきました。二人とも、宗教受容の功績について正しく評価されず、関心も持たれていないのです。




儒教奨励における綱吉のみならず、仏教とキリスト教受容にも同じことが言えるということは、これが三人個々の評価問題ではなく、日本という国家がもつ「何か」を表すことではないかと思ったのです。そして諸国における世界宗教受容と日本のそれを比較して本稿の枠組みができ上がりました。




3.歴史は敗者が復活する



歴史の面白さは、ドラマ以上に意外性があることです。特に、敗者が、かたちを変えて復活するストーリーは、意外性の最たるものです。織田信長は、自分を裏切った妹婿である浅井長政の頭蓋骨で盃をつくり、武将たちにその盃で酒を飲ませました。お前たちも裏切るなという強烈なメッセージです。




しかし、長政と信長の妹の市とのあいだにできた娘のうち、一人は秀吉の跡継ぎである秀頼の母「淀」に、もう一人は徳川三代将軍家光の母の「江」になりました。敗者である長政の「種」は、当時の日本の二大権力の長になり、たとえ関ヶ原の合戦でどちらが勝っても、日本の最高権力者となることができたのです。反対に、信長の種は権力者を生みませんでした。




家光の乳母で、絶大な権勢を誇った春日局は、敗者である明智光秀傘下の武将の娘でした。関ヶ原の合戦の敗者である長州と薩摩が、徳川家を滅ぼし明治維新を成功させました。




秀吉の朝鮮の役で、韓国から連れてこられた、一人の女性が、京都の八百屋の女中となり、後に、八百屋の主人とのあいだにもうけた娘が、徳川三代将軍である家光の目にとまり、綱吉を生みました。その母と子が、徳川幕藩体制、すなわち日本国家の精神に大刷新を起こす、儒・仏奨励政策を推し進めたのです。  (永田)


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