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ノエル・ペリン著『鉄砲を捨てた日本人』について

1.江戸日本は、鉄砲を捨てた世界が見習うべき国


1979年、アメリカで『鉄砲を捨てた日本人』という本が出版され反響を呼びました。著者はノエル・ペリン氏です。ペリン氏は、朝鮮戦争に従軍し、日本にやって来たことがある人物ですが、戦国時代の日本は、世界一の鉄砲生産国でした。しかも、実戦で盛んに使用したにもかかわらず、江戸時代になるや、鉄砲の改良を中止し、多くを破棄するという、世界にかつてなかった軍縮を成し遂げたことを高く評価しました。日本語版の序文には次のように述べています。





日本はその昔、歴史にのこる未曾有のことをやってのけました。ほぼ400年ほど前に日本は、火器に対する探求と開発とを中途でやめ、徳川時代という世界の他の主導国がかつて経験したことのない長期にわたる平和な時代を築きあげたのです。わたくしの知るかぎり、その経緯はテクノロジーの歴史において特異な位置を占めています。人類はいま核兵器をコントロールしようと努力しているのですから、日本の示してくれた歴史的実験は、これを励みとして全世界が見習うべき模範たるべきものです。




ペリン氏は、鉄砲を捨てた「徳川の平和」を、世界史的な、また核のコントロールにも学ぶべき意義ある時代だと賞賛しています。




2.アジアが平和だから鉄砲を捨てられた



しかし、大きな事実を見過ごしています。徳川時代、日本が鉄砲を捨てられたのは、日本周辺の国際環境が平和だったからです。ペリン氏は、同時代のヨーロッパは、火器を開発し、盛んに戦争に使用したと指摘しましたが、それは、ヨーロッパの国際環境が平和ではなかったからです。もし、徳川時代の東アジアに、当時のスペインやフランス、あるいはイギリスのような国家があったら、日本も鉄砲を捨てることはできなかったのです。





「徳川の平和」は、近隣国家が、中国の明、清王朝や、朝鮮王朝のような対外侵略意思を放棄した国々だったから実現したもので、決して日本が単独で達成したものではありません。日本が島嶼独立国家たりえた主要な条件も、東アジアの覇権国であった中華帝国が、平和的な文治の帝国だったからだという事実を忘れてはならないのです。





3.鉄砲を捨てられない現代日本



ここまでの内容をベースに、現代のアジア情勢について、二つ、指摘できることがあります。一つは、中国批判に、共産主義の脅威とともに、中華帝国・中華思想を加えることが多々あります。しかし、歴代中華帝国は、建国期には対外拡張策をとりますが、中国本土の豊かさを知れば、対外戦争の愚を悟り、侵略を止めます。その後は、東アジアにながく平和な時代が訪れました。中華思想は、儒教が根にあって、中華文明を尊重する国ならば、宗主国の徳をしめすため、搾取するどころか、中国皇帝に捧げた以上のものを朝貢国に与えました。世界にこんな帝国はなかったのです。




今日の中国の脅威は、「共産主義・共産党」に尽きます。中国が共産主義を捨てれば、儒教の平和主義に戻るしかなく、この国は、世界平和に貢献する国家に生まれ変わります。





もう一つは、反対に、中国が共産主義をかかげ、共産党が独裁的支配をする限り、中国国民は苦しみ、世界は危険にさらされるということです。現代中国の対外強硬政策は、暴力革命を使命とする共産主義思想のあらわれです。そのうえ、同じ共産主義国家である北朝鮮は核兵器まで保有してしまいました。




このような東アジアの情勢を見るとき、現代の日本は「鉄砲を捨てる」という選択肢はあり得ません。むしろ、憲法を改正し、しっかり自主防衛の権利を明記し、国防軍をもち、国防力を増強しなければなりません。現代の国際情勢は、元禄日本の時代のように、国防に力を入れなくても、天下泰平を享受できるほど穏やかなものではないのです。             (永田)



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