宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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明治時代、日本はどんな「文明転換」をしたのか?

1.キリスト教への改宗による文明転換ではない


明治期における、日本の文明選択と転換について考えてみましょう。キリスト教への改宗により、日本がキリスト教文明に帰属したならば、改宗による文明の転換といえます。世界には、多神教文明から一神教文明への転換、或いは、おなじ一神教間でも文明交代がありました。




エジプトの場合は、オリエント的な多神教文明が、アレキサンダー大王の征服により、ヘレニズム文明の影響を大きく受けました。ローマの支配下では、一神教のキリスト教文明に転換し、アラブ人による征服後は、やはり一神教であるイスラム文明に転換しました。




エジプトだけでなく、世界の大部分の国家は、多神教文明から、キリスト教的、あるいはイスラム教的一神教文明に転換を行いました。




明治日本の脱亜が、キリスト教化を基調とするものだったら、キリスト教的文明が栄え、人々の価値観も西洋人と似たものになり、日本はキリスト教文明圏に属する国になったでしょう。しかし、私達は、精神世界まですっかり欧化するような徹底した脱亜入欧はしなかったのです。





2.国教は国家神道、西洋文明は大量流入



明治以降、西洋文明を積極的に取り入れましたが、国の理念は「国家神道」を採用しました。キリスト教は禁令が解かれ、多くの宣教師がやって来て、宣教は成果を挙げる一方、西洋の無神論的な合理主義も流入したのです。




反対に、江戸時代に「入亜」を主導した、儒・仏は力を弱めました。とくに仏教は、廃仏毀釈により大打撃を受け、儒教は弾圧こそされなかったものの、国家統治理念の座を国家神道に譲りやはり力を弱めました。




明治以降の日本は、欧化という大潮流のなかで、長く日本人の精神をアジアと結びつけた儒・仏は力を弱め、愛国主義を強調する国家神道を理念とし、西洋の宗教と思想は堰を切ったように流れ込みました。入亜の時代であった江戸期と思想状況は一変し、国民の意識はアジアを尊重するものから、国粋的な、あるいは西洋を尊重するものにかわりました。




3.韓国に対し砲艦外交


世界観の急激な変化の中で、日本外交は、欧米との協調を機軸に据える一方、アジアに対する態度を転じました。朝鮮との修交問題では、明治8年(1875)、軍艦を派遣し挑発し、西洋式の砲艦外交で無理やり開国させました。これが江華島事件で、かつてアメリカから受けた力の外交手法を、そのまま対朝鮮外交で実行したのです。西郷隆盛は篠原国幹に宛てた書簡で、この事件を「筋が通らず、彼(朝鮮)を蔑視し道を尽さず弱を侮ったもの」と強く非難しました。




徳川時代、朝鮮通信使を厚遇し、善隣友好外交を行なった国と思えないほど日本は変わったのです。日本は戦国脱亜時代に次いで、島嶼独立国家の本来の在り方を離れ、国家の姿を大きく変貌させたのです。      (永田)



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