宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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4世紀をゆく宗教・天理教 ーおやさまと宗教都市ー

 表は神道、中身は仏教


天理教の中山みき教祖は、世界一列(人類)救済思想を強調しました。そのため、小さくまとまってしまう教団も起こすなと遺言しました。また、天理王命を主神とし天照大神の受容は否定的でした。教祖の逝去の翌年、後継者たちは、天理教と名付けた教団を立ち上げ、天照大神を受容しました(明治教典)。教祖の遺志を継ぎませんでしたが、それをしなければ天理教はつぶされていました。





戦前は、基本的に仏教、神道、キリスト教を認め、「新宗教」は認められませんでした。ですから、「新宗教」の立場を堅持した大本教はつぶされました。そのため天理教は、神道、仏教(真言宗)の下にありました。神の体系は神道であり、人間観は仏教で、「出直し」という輪廻転生を信じ、因縁という因果応報を重視します。天理教は形と表は神道、中身は仏教といわれます。





教団を起こした天理教は爆発的に広がりました。根本的理由は、中山教祖の求心力です。人々を分け隔てず、無条件の愛を捧げ、事実上の殉教をした利他的生涯が、強い求心力を生んでいます。天理教信者に聞けば、おやさま(教祖様)が信仰を支える大きな存在であり中心です。それはキリスト教信仰と類似します。





また、天理教は村(ムラ)的宗教です。ムラ意識が成熟した江戸時代の伝統を引き継ぐもので、日本人にピッタリ合いました。日本人の輪は家庭というよりムラです。「大きなムラ」で、天皇は、中山教祖の血を引く「真柱」、天理教本部は「幕府」、大教会は「藩」という構造で、精神は、おやさま・中山教祖です。まず、天理教経典の言葉を引用しましょう。





「おやさまは、世界の子供をたすけたい一心から、貧のどん底に落ち切り、しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された」     『天理教経典』.





おやさま



江戸末期は、天理教や黒住教、金光教などが創始された精神の一大覚醒期でした。天理教教祖である中山みき師は1798年、すなわち18世紀に誕生しました。この教団は4世紀をまたぐ歴史をもち、伝統宗教と新宗教の中間にある教団といえます。





宗教にとって教祖の犠牲的歩みは、信者に教えの本質を知らせ、愛の実践をうながす強い動機を与えます。中山教祖は、多くの病人を癒し、安産を祈願し、人々は「お産の神様」と呼びました。





子供を次々に失った人の子に乳を飲ませ、この子が重病になったとき、神に自分の娘二人を捧げるのでこの子を救って下さいと祈り、奇跡的に命を救いました。かわりに二人の娘は命を無くしたのです。常人には成しえない利他愛を実践した中山教祖は、信者から「おやさま」と親しみを込め尊称され、その強い求心力が天理教団を支えます。





教祖は、80代の高齢になって、当局の弾圧で幾度も過酷な取り調べを受けました。それにより命を縮め、1887年、90歳で他界しました。世の栄光を受けることなく、人々におおきな愛をそそぎ、苦難の道を歩んだ生涯でした。それは十字架で死んだイエス・キリストと似ています。





イエス様がたった3年の活動で死んだため、パウロが開祖的役割を果たしたように、天理教も中山眞之亮師と飯降伊蔵師が開祖的はたらきをして、天理教を教団として出発させました。「天理教」という教団名も、後継者によって創唱されたものです。 





 宗教都市・天理



天理教の際立った特徴は、「宗教都市」をもつことです。奈良・天理市を訪れた人は、神秘的都市の威容に圧倒されます。神殿を中心に荘厳な建物が林立し、古風な日本的構えの宿泊施設群など、こころが弾むような宗教的オーラを発する空間が広がります。宗教者であれば、こんな宗教都市が自分の教団にあったらどんなにいいかと、うらやましく思うのが正直なところでしょう。





宗教は、理想が目に見える形で実現することを求めます。ですから多くの教団は理想世界を表象する巨大建築物を創ります。天理教は、教団の理想を「宗教都市」という大きなスケールで実現できた数少ない教団です。天理市は世界の始源とする「甘露台」を中心に広がり、宗教的空間全体を「おやさと」と称する理想世界のひな型なのです。





過去、伝統宗教は国教化した歴史をもちます。すなわち「宗教化された国家」を出現させました。しかし今日、そのような国家はイスラム教国を除きありません。天理市は「宗教化された都市」といえ、誰でも天理市を訪れれば、教団のめざす理想世界を一望できるのです。





しかも天理市は、ヤマトタケルが「大和は国のまほろば」と詠んだ奈良にあり、奈良は日本国家黎明の地です。日本人の心のふるさとに位置する「宗教都市・天理」とは、伝統宗教でも持ち得ない精神的資産です。このような優れた宗教都市をもつ天理教は、日本の歴史と精神の核心と結びつく特殊な教団といえ、その隠れた影響力は計り知れません。





人を助けておのれ助かる



『天理教経典』冒頭にあらわれる、「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。世界一れつをたすけるために天降つた。このたび、みきをやしろに貰い受けたい」という中山家に下された神のお告げは、天理教の性格をよくあらわします。





神は、中山家の屋敷の地を聖別し、世界万民を救うため、中山みき師を「やしろ」として貰い受けるという要求をしたのです。天理教は、中山教祖は神が臨在する「やしろ」であり、神人合一の存在という信仰をもちます。すなわち、おやさまは「神そのもの」なのです。






『経典』を読むと、天理教が指向する理想世界は、人々が陽気に暮らす「村」という印象をうけます。教団が創立された幕末は、日本の村社会が成熟した時期でした。親神天理王命を創造神と仰ぎ、「おやさま」とその教えを心の拠り所とし、大きな天理村理想社会の形成を目指します。「地球村」という言葉がありますが、天理教はこの言葉にぴったりな性格を持つ教団です。





実践の基本は「人を助けておのれ助かる」という、因果応報思想に集約されます。人助けはどの宗教もすすめますが、天理教信者は、人を助けなければ自分が助かる道もないと考えます。信者は、天理市で「陽気ぐらし」を体験し、人が助け合い共生する、理想世界の行動様式を学びます。





そして、死を「出直し」と捉える独特の生死観をもちます。人は死後、ふたたび現世に出直して、陽気ぐらしと人助けの人生をあゆみ、更にすぐれた利他的人間に成長してゆくという「救いのプロセス」を経ると説きます。この明確な救済思想と天理市という宗教都市の存在が、天理教徒が人助けをする豊かな余力を生んでいるように思えます。






 世界宗教・世界宣教



それを拡大するのが、「世界一列を助ける」世界宣教への熱い思いです。天理教の世界への取り組みを知るには、井上昭夫氏が著わした『天理教の世界化と地域化』に明確にあらわれます。





「〈世界諸文明の共存調和をめざす〉 天理教は民族宗教でも自然宗教でもない。人類救済・世界たすけの啓示宗教であり、世界宗教である。海外伝道はあらゆる国と地域に行き渡り、東アフリカ貧困緩和プロジェクトにも及ぶ。世界伝道を視座に創設された蔵書200万冊超の天理図書館は世界文化史上貴重な文献を数多く所蔵。国際的にも〈西のバチカン、東の天理〉として知られる」




このように、世界宣教を強調します。天理教は、最初の啓示で親神さまが命じた、「世界一れつをたすける」人類救済の使命を、着実に現実化している世界宗教ということができます。





天理教とは、一人の女性が奈良の一角ではじめた人助けの実践が、多くの人に引き継がれ、心が通う宗教都市を誕生させ、そこを中心に人助けの輪を世界に広げる、日本を代表する新宗教です。天理教は、伝統宗教と新宗教をつなげる役割をはたすことができ、同教団が宗教の交流、協力を積極的に推進すれば、宗教融和の大きな流れを形成できます。

                    (永田)



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