宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

 世界的宗教対話のリーダー・立正佼成会 ―謙遜な巨人・庭野日敬師ー

 宗教対話の双璧・バチカンと立正佼成会



世界的に高く評価される、宗教対話・協力を推進している宗教は、カトリックのバチカンと立正佼成会です。宗教が弱いと言われる日本の宗教、それも新宗教である立正佼成会が挙げられるのは奇異にも感じます。理由は、開祖・庭野日敬師が心血を注いで宗教協力を推進してきたからです。庭野師の言葉をみましょう。





宗教が互いに背を向けるのではなく、協力して人びとを救済しなければならない。世界平和という同じ理想をめざす情熱が一つに結集すれば、その力は百にも千にもふえていく。

                                                        庭野日敬師『この道』





 「世界宗教者平和会議」を成功させた、謙遜な巨人



新宗教誕生の動機は、伝統宗教が成せなかった理想を実現するというもので、そこには強い改革意思があります。改革の方法は教団によって異なりますが、立正佼成会は、宗教協力を推進することによって宗教の理想を成し遂げようとしました。






立正佼成会の庭野日敬開祖は、「世界宗教者平和会議」を主導し、世界の宗教交流、協力に多大な貢献をしました。1970年に初回を開催し、今年の8月20日から23日まで、ドイツのリンダウで開催される会議で10回を数えます。これはキリスト教、イスラム教、仏教、新宗教教団などの正式代表が参加する、宗教者による平和創出をめざす会議で、世界的に高い評価を得ています。今年の会議のテーマは「慈しみの実践・共通の未来のために」です。






1965年のローマ教皇との出会いが、庭野師に会議推進を決心させました。パウロ6世が開祖に語った言葉は次のようなものです。「あなたが宗教協力を熱心に進めていることは、よく知っています。これからも大いに推進してください。教皇庁でも異教に対する考え方が変わってきました。たがいに認めあい、祈りあうことが必要です。宗教者がたがいに手をたずさえて平和の道を歩むほかに、宗教者が人類に貢献する道はありません」。世界最大宗教のリーダーと、宗教協力に強い意欲を持つ宗教リーダーが対面した瞬間です。






庭野開祖の自伝『この道』を読むと、教皇との面会を、まるで少年が尊敬する人に会ったように感動しています。大教団のリーダーと思えない反応です。しかしこれは、開祖の謙遜な人格から生まれる自然態です。






第一回会議の前に開祖は、「日本宗教連盟」と「新日本宗教団体連合会」という日本を代表するふたつの宗教連合体の会長になっていました。開催準備にあたり、自分は「使い走り」に徹すると言い切り、その謙遜な態度に感銘した諸宗教の人々は積極的に協力しました。





この世界宗教者平和会議の成功は、多くのことを教えてくれます。まず、これほどの画期的な会議を推進したのが、伝統宗教ではなく新宗教の指導者であったということ。また、開祖が他者に仕える謙遜な姿勢をもっていたことです。異宗教交流をおこなう宗教者はこの精神を学ぶべきです。庭野開祖こそ、他を尊重し仕え、世界の宗教融和を前進させた、「謙遜な巨人」なのです。





  
 宗教協力の思想



「人々に平安を与えるべき宗教が、たがいに壁をもうけて反目しあっていたのでは、宗教そのものが、社会からはもちろんのこと神仏からも見放されてしまう」。庭野開祖は、宗教が何か特権をもっているかのような考えは微塵もありません。宗教が対立し、人々に平安を与えられなければ、神仏と人に見捨てられると考えるのです。




 


宗教協力が始まってから50年余りになりますが、大きな流れにならず、いまだに世界の各地で宗教間の葛藤がつづいています。なぜ、宗教の和解、協力は難しいのでしょうか。






最大の理由は、教祖の言葉に宗教協力についての言及がないことです。イエス、釈迦、マホメットなど、世界宗教教祖は、宗教交流、協力についての言葉を残しておらず、教義にもなっていません。他宗教との関係という、宗教にとって極めて重要で敏感な問題について、教祖の言葉に根拠を見出せないことが、宗教協力の最大の障害です。






高度な教えをもつ宗教がなかった時代、世界宗教の教祖は、多くの人に、新しい救済の教えを伝えることに専心しました。この時代には、まず教えを伝播することが先決で、宗教の融和が求められる時代ではなかったのです。






しかし現代は、聖人の教えが世界に伝播し、世界宗教で色分けされる、宗教文明圏が成立しました。今や、高度な教えをもつ宗教どうしの交流、協力が推進できる時代になったのです。






庭野日敬開祖が第二バチカン公会議に招待された理由は、「立正佼成会は新しい宗教であり、穏健な仏教教団として教勢を伸ばしている。しかも会の創始者が現在の会長として活躍しているのは立正佼成会だけ」というものだったそうです。






「新しい宗教」、「発展し、穏健な教団」、「創始者が率いる教団」という厳しい条件がありました。これは内外の抵抗なく、教団が宗教協力を推進することがいかに難しいかということを示しています。庭野日敬開祖の宗教協力活動は、「狭き門」を通り成就したものでした。






また、歴史的に、宗教間の対立によって生まれた軋轢が、協力を妨げています。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の間などで行われた、激しい戦争や迫害の歴史が、宗教協力を妨げる原因となっています。日本においては、信者獲得競争で争った過去のしこりによって、宗教間交流、協力が困難になっています。






そのうえ、さまざまな問題に対するスタンスの違いがあげられます。政治的立場、同性婚問題などに対する考えのちがいもネックになっています。日本では、憲法や集団的自衛権などに対する考え、靖国問題などに対する見解の違いもあります。






主張の違いはあっても、戦争や紛争、環境問題、貧富の差、犯罪対策など、「大同」に立ち協力し、行動すべき課題はたくさんあります。これら世界レベルの問題で協力できれば、その他の問題の解決は容易になります。宗教は、「大きな融和」をめざし、負の歴史と現実問題に対するスタンスのちがいを克服し、手をつながなければなりません。






 「法華経」の救い



新宗教のなかで、日蓮上人を祖師とあおぐ主要教団は、まず霊友会、霊友会から分かれた立正佼成会、仏所護念会教団、妙智会教団、孝道教団などがあります。一方、日蓮正宗から分かれた創価学会など、実に多数をかぞえます。






日蓮系宗教は、「法華経」を尊びます。聖徳太子は法華経を強調し、最澄も天台宗の根本経典と位置づけました。日本において「法華経」は、たいへん影響力ある経典なのです。






「法華経」は途方もないスケールの経典です。同じようにスケールの大きい「華厳経」などに慣れている人には何でもないことでしょうが、他宗教の人が読んだら、驚き途惑うほどの大きさです。他の宗教の世界観も大きいと感じますが、「法華経」は飛びぬけています。ですから「法華経」にも、この経典の理解は難しいと書いてあります。






「世尊は眉間から光を東方に放ち、500万億をさらに無量に倍した数の国々を照らし出した」、「私にはすでに多くの弟子がいる。彼らは皆、菩薩であって、その数はガンジス河の砂の6万倍に等しい。また、その菩薩の一人一人が、ガンジス河の砂の6万倍の弟子をひきつれている。彼らこそ、私の入滅ののちに法華経を宣教するであろう」、「1000万億をさらに無量に倍した数の菩薩が湧き出てきた」などです。人間の感覚では把握不可能な大きさなのです。






しかし、この経典が言わんとする核心に気付くと納得がいきます。それは人の救いです。大きな世界観と対照的に、人の救いに関しては親身に解き明かします。このコントラストが救いを最大限に強調し、広大な宇宙観と人の救済が一つになります。ここに強い求心力が生まれ、日蓮系宗教は「南無妙法蓮華経」と「法華経」に帰依します。






宮沢賢治は日蓮宗の信徒でした。彼の代表作「銀河鉄道の夜」は、雄大な宇宙的感覚と平和への希求、人への優しさがあふれ、まさに「法華経」の世界観がゆたかに反映されている作品です。 





また、法華経信仰はカルヴィンの予定説と似ています。カルヴィンの予定説は、救われる人は神があらかじめ定め、個人の行いは救いと無関係というものです。カルヴィンも、これは理性で納得するのは難しいと言っています。ところが、人の理性を超えているところに、神の意志の無限で奥深いスケールを感じます。






難解な救済論理で明確なことは「聖書」に救いがあるということです。かたや「聖書」かたや「法華経」なのです。また、勤勉を重視し、勤労によって得た富は神の恩寵、救いの証とします。カルヴィン主義者も法華信者も勤勉を尊び、商人階層に広がり発展しました。





しかし、カルヴィン主義の救済は「聖書」を信じる者に集約され、「法華経」の救済は、そのスケールのように全てを一つに包み込む広がりをもちます。次の庭野開祖の言葉は、「法華一乗思想」の真髄と。宗教一致の理想を述べたものです。






法華経は一仏乗を説いている。仏さまの願いは、すべての人びとを仏の境地に導きたいという一事に尽きる。一仏乗とは、統一と平等の思想といってもいいだろう。この世にさまざまな教えがあり、さまざまな異なる教えが説かれてきたように見えるのも、それは神仏の方便によって、それぞれの人にいちばんふさわしいかたちで教えが説かれたからであって、究極の真理が宗教・宗派ごとにいくつもあるわけはない。問題は、その宗教的真理を具現化しえたかどうかであろう。





庭野開祖は、「法華一乗思想」の中に、全ての宗教に共通するおおきな教え、そして、宗教の統一と宗教的真理の具現化という、普遍的理想を見いだしています。神や仏の願いは宗教が争って勢力を拡大することではありません。すべての宗教が融和、協力し、人類の不幸を取り除き、幸福をもたらすことです。庭野開祖の宗教協力の思想と実践は、「法華経」の大きな教えを根拠にしているのです。       (永田)




6月までの記事は下のブログでご覧ください。