宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

アジア発祥のキリスト教・統一教会 -文鮮明師の苦難の歩みー

西洋キリスト教文明圏に伝わった東洋のキリスト教



統一教会(世界キリスト教統一神霊協会)は、合同結婚式、そして霊感商法で、社会の注目と批判をあびました。神が祝福する結婚による救済は統一教会の教えの核心をなします。今日、社会的コンプライアンスを重視し、霊感商法はしていません。信者に対する巨額献金要求については、2015年3月3日、当時、世界会長であった文鮮明師の七男、文亨進師が、「日本人から集めた全ての献金は返却せよ」と命じました。





統一教会は、文明史的に興味深い宗教です。宗教と文明は密接な関係にあります。ですから、通常、文明圏を示すとき、キリスト教文明、仏教文明などと、宗教で区別します。キリスト教は中近東というアジアの一角から始まりましたが、ローマ帝国という西洋文明圏に受容され、西洋に影響を与えるとともに、自ら西洋の宗教に変貌しました。






キリスト教はアジアに伝播し定着しましたが、アジア発のキリスト教が成功する例は稀です。反対に、仏教も西洋に伝播しましたが、西洋発の仏教もありません。宗教は全人類的な教えを持ちますが、実際に、その教えの本質が、文明を越えて根付き、新しいものが誕生し、逆流するようなことは容易ではないのです。統一教会は、珍しく、アジアで誕生したキリスト教で、西洋にも拡大しました。家庭重視、祝福結婚式はじめ、多くのユニークさは、アジア発である事実が関係しています。ここでは、一般に知られていない、統一教会の中身と歴史について取り上げようと思います。特に、アメリカにおける統一教会の歩みは知られていません。まず、文鮮明師の言葉をあげます。




戦いではじまった歴史は戦いでもって解決することはできない。ただ和解するしかない。
                            文鮮明師.『み旨の道』





 苦難の道と宗教協力・アメリカの「反改宗法」の脅威



文鮮明師の道は困難なものでした。独立運動をしていた日本留学時代は、日本の警察から過酷な取り調べを受け、戦後は、北朝鮮の興南収容所で2年5か月のあいだ、残忍な強制労働を強いられました。韓国でも、無実の容疑で3か月収監されました。逮捕されるとき、マスコミは文師を誹謗する記事を大きく報じましたが、無罪放免記事は小さく報じられただけでした。






1970年代、アメリカで統一教会が急速に発展し、それを嫌った人々は、統一教会に打撃を与えるため法的手段を講じようとしました。ところがこれは、統一教会を越え、宗教全体の問題に発展したのです。当時、世界の宗教は危機に直面していました。






1980年、ニューヨーク州議会で「ラッシャー反改宗法案」が提出され、おおくの州でも同様の動きがありました。これは、疑いあるとした改宗は政府が介入し、強制的に「脱洗脳教育」を施せるという法律です。まさに、人にとって重要な宗教的回心を、洗脳と決めつけ、宗教の活動を妨げる恐ろしい法案でした。






法制化の狙いは、統一教会などの新宗教の発展を抑えようとしたもので、「ムーニー(統一教会信者の別称)法案」と呼ばれました。こんな法律が制定されれば、新宗教の入信者のみならず、あらゆる宗教改宗者に適用される恐れがある、信教の自由を否定する内容でした。もし当時、アメリカで反改宗法が制定されたら、各国の宗教政策におおきな影響を与えたことでしょう。






同法案に対し、全米キリスト教協議会やニューヨーク州カトリック会議、有力な法曹団体や市民団体などが一斉に反対声明を出しました。この勢いにおされ、ニューヨーク州知事は拒否権を発動し、「ラッシャー反改宗法案」を廃案としました。宗教はあやうく危機を免れたのです。






 文師釈放のために立ち上がった宗教者



次に政府は、文鮮明師をわずか7300ドルの脱税容疑で告訴しました。目的は文師を追放することでした。師が国外に退去すれば裁判は終わりますが、反対に、二度とアメリカに入国できなくなります。当時のアメリカは、外国の新宗教が急速に発展している情勢を危惧し、建国理念である信教の自由に反し、排他的宗教政策を取り始めていたのです。






これは明らかに脱税を理由とした宗教弾圧で、信教の自由に逆行するものでした。文鮮明師は法廷闘争をつづけましたが、それに呼応し、アメリカ宗教界が中心になり、文師を支援する動きが広がったのです。全米キリスト教協議会、福音派教会全国協会、北米合同長老教会、全米バプテスト教会、モルモン教、その他の教団、米国市民自由組合、キリスト教法律協会など、まさにアメリカの主要宗教連合体や法律団体、新宗教が名を連ねたのです。






しかし、1984年7月20日、文師はコネチカット州ダンベリー連邦刑務所に収監され、13か月間、自由を拘束されることになりました。






ところがその時、驚くべき動きが起きました。アメリカのキリスト教聖職者七千人あまりが文鮮明師を救出するために立ち上がったのです。強い影響力を持つジェリー・ファウエル牧師や、オバマ大統領就任式で祈祷したジョセフ・ローニー牧師などが先頭に立ちました。多くのキリスト教聖職者が集会とデモに参加し、文師の釈放と信教の自由守護を叫んだのです。






これは、アメリカの宗教政策の流れを逆転させるものでした。文師の不当な収監に対し、上院憲法小委員会のオリン・ハッチ委員長が再調査し、アメリカ政府の行為が不正であったと明言するなど、逆に信教の自由が再確認され、宗教的寛容の精神が高揚したのです。






アメリカで起こったこの一連の宗教協力は、まさに歴史的快挙でした。過去、政府に弾圧された宗教は、大衆からも見放され、社会から孤立し、一方的に宗教側が悪とされました。それにともない、国家の宗教環境も不自由なものになり、弾圧された宗教の名誉回復は長い年月を要したのです。これが宗教弾圧の構図です。






ところが、文鮮明師に対する弾圧では、宗教者がこれを、宗教全体の危機ととらえ、文師を強力に支援したのです。政府の宗教弾圧に、宗教界が大挙、反対に立ち上がったことなど歴史にかつてなかったことです。それが20世紀後半、超大国アメリカで起こったということは、21世紀宗教の運命を分ける分岐点になったと推測されます。






文師は生涯で、日本、北朝鮮、韓国、アメリカで弾圧を受け、獄につながれました。三度は、師を支援する宗教はなく、孤立し、ひたすら犠牲になりましたが、四度目のアメリカでの収監は、多くの宗教者とともに、宗教の危機を克服するという勝利をおさめたのです。






これはまた、宗教融和と協力のモデルでした。宗教が、信教の自由のためにひとつになったのですから、世界平和実現のため、ひとつになれないはずはないのです。






アジアとキリスト教



ある国で、宗教が誕生し受容されるには、国家的、精神的背景が必要です。そのため、アジアから新しいキリスト教が生まれるのは難しく、西洋から新しい仏教が生まれるのも難しいのです。前述しましたが、統一教会はアジアで生まれたキリスト教です。






19世紀なかば、中国で台頭した太平天国も、アジア発祥のキリスト教でした。太平天国は、アヘン戦争で打撃をうけた中国を、キリスト教の力で再建するため蜂起しました。モーセの十戒を踏襲したような戒律をもち、土地の均分、男女同権を推進し、纏足などの悪習を廃する一方、教義も儒教や道教という伝統宗教と調和するものに発展させました。その近代性ゆえ、庶民に歓迎され、勢力を拡げ、一時は中国を二分する広大な領域を支配したのです。






実に、日本の明治維新より14年も前に、中国大陸にキリスト教を奉ずる国が成立したのです。洪秀全教祖の神秘体験からはじまった運動が、驚くべき急拡大を成し得たのは、初期キリスト教のような霊性の高揚と、イスラム教発展期のような強い使命感があったからです。






しかし太平天国は、清軍や外国軍とはげしく戦い、2000万人にもおよぶ死者を出す、世界史上三番目といわれる悲惨な戦争の末に亡びました。1843年の布教開始から、わずか21年のことです。






中国で、短期間に、新しいキリスト教が発展できたのは、この国が宗教に寛容な伝統があったこと、また、混乱期に新しい宗教が庶民を基盤に勃興した歴史があり、当時の中国も、アヘン戦争で混乱期に突入していたからです。






一方、太平天国の失敗は、宗教の伝播を軍事力で行ったことです。もし平和的方法で伝播していたら、今日、「太平天国」という、アジア発のユニークなキリスト教が存在し、東西文明の橋渡しの役割をしていたかもしれません。






日本の戦国時代、カトリックの宣教師は、人々を愛し、奉仕の道を歩みましたが、仏教と神道の価値を認めず、伝統宗教との融和を求めませんでした。最後は、島原の乱という軍事に活路を見いだし、鎮圧され、はげしい迫害を受けました。当時、武士から庶民まで多くの人がキリスト教に帰依していたのです。もし融和的宣教を行ったならば、江戸期において、日本にキリスト教が根づいたことも充分に考えられます。






新しい宗教が受容されるには、平和を重んじ、その国の歴史、伝統、文化と調和することが肝要です。とくに、東洋と西洋という文明のあり方が異なる場合は、一層の融和的姿勢が必要なのです。近代になり、アジアにおけるキリスト教宣教は、慈善活動や教育事業をともなう平和的手段でおこない実を結びました。近代化された世界において宗教が成功するには、現地の宗教と融和することが必須条件なのです。






 融和と統合の宗教のルーツ



19世紀中葉、太平天国という、アジア人が主導したキリスト教運動は終焉しました。それから約1世紀後、中国の朝貢国であった韓国から、統一教会というアジア発祥のキリスト教が出発します。統一教会は、国際紛争の平和的解決を主張し、人類融和と宗教一致をめざす宣教を推進し、発展しました。






統一教会は、韓国における日本の植民地支配、戦後の国家分断という歴史を背景とします。日本支配下、韓国の人々は信仰に救いを求めました。儒教、仏教、道教など伝統的宗教が篤く信仰される一方、キリスト教も復興し、ピョンヤンは「東洋のエルサレム」といわれるほどクリスチャンが多かったのです。






在日の作家金達寿氏が、1945年、終戦の年の旧盆、儒教式の祭祀を準備しているとき、兄が「日本人がいなくなったので、祭祀の供え物も簡単にするか」と言ったそうです。圧倒的な日本の力に対して、信仰の力で対抗していた韓国人の心情をあらわす逸話です。文鮮明師も、キリスト教信仰や儒教的伝統が根づいた家庭で育ちました。






また、同族が戦う朝鮮戦争を体験し、南北分断という過酷な現実に直面する韓国は、「統合の思想」が切実に求められました。このような国家的、精神的背景から、宗教の復興と融和をめざす統一教会が誕生したのです。中国の朝貢国であった時代を経て、フランスに植民地支配され、大戦後は南北に分断されたベトナムで、諸宗教が融合したカオダイ教が発展した現象と似ています。






朝鮮戦争当時、北朝鮮の興南刑務所から解放された文鮮明師は、二人の弟子をつれて釜山に避難しました。師は廃物で作った粗末なバラックで、統一教会の輝かしい未来と、世界中から私の言葉を聞きに多くの青年が集まって来ると熱を込めて語り、伝道したと伝えられます。その言葉は30年も経ず実現しました。






文鮮明師の運動は、キリスト教伝道が困難といわれる日本に根をおろし、キリスト教国家ともいえるアメリカでは、キリスト教精神の復興と宗教融和を提唱しました。70年代前半、ウォーターゲート事件で深刻な混乱に陥っていた米国民に、「許し、愛し、団結せよ」と国民融和を訴えたのです。






文師が、1972年から始めたアメリカ諸都市講演は、3年間で60都市におよび、1974年、ニューヨークのマディソン・スクェアーガーデンで、満場の聴衆にむかい「キリスト教の新しい未来」と題する講演をおこない、大成功をおさめたのです。






アメリカ建国200周年の1976年、ヤンキースタジアム大会を開催し、同年9月のワシントンDC大会において、文鮮明師は、30万人の観衆に向け、「アメリカよ、神に帰れ!」というメッセージを伝えたのです。この70年代のアメリカ布教の成功により、統一教会は世界的宗教に発展しました。






今日、統一教会は積極的に海外宣教をすすめ、世界的な基盤をつくりあげました。この成功は、民族の壁を越えてひとつになった宣教団が、各地の宗教、文化、伝統を尊重し、融和的宣教をおこなったからです。 






 宗教者がリードする国際社会



過去、統一教会は他宗教を批判したことがありません。宗教は神のプロビデンス(摂理)で創られ、各教団はかけがえのない価値をもつという教義があるからです。文鮮明師は、宗教の融和を提唱し、宗教間対話、協力を推進してきました。






文師は、「自分の宗教だけが唯一の救いであると言い張って混乱を引き起こすのは、神様が願われることではありません」と訴え、宗教者が、他の宗教の伝統を尊重し、宗教間の争いや衝突を防ぐよう努めることを主張します。そして、すべての宗教共同体は互いに協力、奉仕し、世界平和実現のため、あらゆる宗教リーダーが参画する、超宗教的協議体を発展させることを提唱します。






今日、世界の紛争は、宗教や民族間の葛藤に起因するものが多いのですが、国連では、その解決を各国政府の代表が担当し、宗教者の出番はほとんどありません。これでは各国の立場と国益が優先され、対立解消は不可能です。そのため国連を、政治、外交分野の代表による下院と、宗教の代表による上院とによって構成される、二院体制に改革することを提案します。






「政治」と「宗教」が協力することによって平和は達成されるとし、「世界情勢に対する分析力を備えた政治指導者の知識と統治能力が、霊的な眼識を備えた超宗教指導者の知識と一つになるとき、世界は初めて真なる平和の道を見いだすことができるのです」と訴えます。






西洋には、凄まじい被害をもたらした宗教戦争の教訓から、宗教を政治から排除する政教分離の原則があり、それが国連のあり方に適用されています。現代の国際社会は、西洋宗教史の負の遺産を負っているのです。






しかし、アジアの宗教は王権の下で人々の霊魂救済に努めてきました。西洋と東洋では国家における宗教のあり方がちがうのです。このような東洋宗教史の立場から考えると、あえて宗教と政治を分離する、西洋的思考にこだわる理由はなく、文鮮明師が提唱するように、宗教者が先頭に立ち、世界平和実現に力を尽くすのが自然な姿だといえるのです。





また、東洋宗教は、西洋宗教の積極性から学び、世界に出て活動すべきです。一方、西洋宗教は東洋宗教の謙虚さから学び、宗教戦争によって形成された「宗教警戒史観」を解消しなければなりません。






歴史的な東西宗教の融和が実現すれば、宗教はあらたな活力を得、負の遺産も清算できます。東西宗教の良き伝統を交差受容して新生した宗教が、国連の場で役割を果たし、国際社会を平和へとリードすべきです。






 理想家庭と国際祝福



統一教会の最大の特徴は、教理と実践を貫くものが「家庭」であるということです。神の愛は、宇宙的なものであるとともに、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛という、切っても切れない、親密な「家族愛」が中心を成すと説きます。






人は誰でも、寄り添うことができ、苦楽を共にしてくれる家族を求めます。これは個人だけでなく、人類、世界もおなじです。文鮮明師は家庭を、「人類愛を学び教える学校」とし、「家庭は世界に拡大するから大切なのです。真の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、世界平和、神の国の出発点です」と、人類が家族的意識で結ばれることを主張します。






国連は、平和で幸福な世界の実現に努力していますが、力の限界を示しています。それは世界を、独立性を持つ主権国家の集まりと見、加盟国が権利と義務を持つという、西洋的思想で運営されていることが、ひとつの原因ではないでしょうか。






世界が抱える深刻な問題は、権利や義務意識だけでは解決できません。宗教対立、貧富の差、環境・資源問題などは、諸国が痛みを分ち合う、家族的連帯なくしては、とうてい解決不可能なのです。人類を一つの家族と思う心で、苦しむ人々を助け、難題の解決に取り組まなければなりません。






アジアの伝統は「家族」を重んじることです。ながく西洋の影に隠れてアジアの思想は軽視されてきましたが、現代の世界問題を解決するためには、アジア的伝統の復興が求められます。人の独立性を重視する西洋の人間観と、東洋の家族主義をひとつにし、理想家庭と理想世界を実現すべきです。






「国際祝福」という、統一教会が重視するモーメントも、人類が具体的に、「ひとつの家族」になる運動です。国家間の葛藤を解消し平和を実現するには、「国境を超えた人間の結びつき」を強めるしかないのです。






祝福式は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの来賓が、それぞれの宗教の祈祷をささげ、仏教僧侶が「般若心経」を唱えるという、感動的な超宗教的セレモニーです。文字どおり、神や仏が祝福する結婚により、世界が「ひとつの大家族」になることが平和への確実な道です。






そもそも70億人類は、国籍、民族を越えて、「ひとつの種」として結びついているのです。どんなに皮膚の色が違っても、正しい価値観をもって男女が結ばれれば、神が愛する素晴らしい家庭を築くことができ、それが親族、民族、世界に拡大します。このように人類が、国際祝福により、自分たちが、分かつことのできない絆で結ばれた「一つの血族」であることを自覚するとき、抗争の歴史によって形成された全ての恩讐を克服することができ、世界に真の平和が訪れるのです。   (永田)





6月までの記事は下のブログでご覧ください。