宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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Rod of Iron Theory・鉄のつえ思想〈銃と平和5〉

1.剣を神聖化した日本人



明治になり、西洋人がはじめて日本刀に接し、その鋭利さ、強靭さ、美しさに驚嘆しました。今日の技術でも、日本刀の名刀ほど優れた剣を作ることはできません。日本刀は、道具としての完成度以上に、それに込められた精神の高みがあります。日本には「剣は武士の魂」という言葉があり、武器である剣に深淵な精神的価値を付与しました。






優れた剣は、「宝剣」あるいは「神剣」と称えられ、神が降りる、神に捧げる、神器のあつかいを受けたのです。10年に一度おこなわれる伊勢神宮の式年遷宮には、必ず「神剣」が奉納され、神宮の宝物館には、60振りの名刀が収められています。新天皇即位に使われる三種の神器のひとつ、「草薙の剣」が秘蔵される熱田神宮は、武士に篤く信仰され、彼らによって奉納された多くの名刀が収められています。






これらの剣には、戦いに勝つ力より、人々の禍を払い、平安を与える霊的権能があると信じられました。日本刀には、宗教的意味が込められているのです。そもそも、剣が神聖化された原点には、剣の所有者である武士たち以前に、刀鍛冶が剣を製造する真摯な心と取り組みがあります。新渡戸稲造の『武士道』が、それを伝えます。






刀鍛冶は単なる工人ではなくして霊感を受けたる芸術家であり、彼の職場は至聖所であった。毎日彼は斎戒沐浴をもって工を始めた。もしくはいわゆる、「彼はその心魂気魄を打って錬鉄鍛治した」のである。槌を揮り、湯に入れ、砥石にて研ぐ、その一つ一つが厳粛なる宗教的行事であった。我が刀剣に鬼気を帯ばしめたるものは、刀鍛冶の霊もしくは彼の守護神の霊であったのであるか。 — その曇りなき肌は青色の光を放ち、その比類なき焼刃に歴史と未来とが懸り、その反りは優れたる美と至大の力とを結合する、— 
  (『武士道』第13章 刀・武士の魂 矢内原忠雄訳)






刀鍛冶の日本刀製作の精神、製作の過程そのものが、すでに精神性、宗教性を濃密に内包するものでした。「その比類なき焼刃に歴史と未来とが懸り」とあるように、剣の製造の歴史を武士はよく知っており、刀鍛冶の精神を尊重し、継承しました。ですから、武士が剣を所有し用いるときは、義のため、善のためという観念がありました。その精神も、『武士道』が説得力ある言葉で示します。






武士道は刀の無分別なる使用を是認するか。答えて曰く。断じてしからず! 武士道は刀の正当なる使用を大いに重んじたるごとく、その濫用を非としかつ憎んだ。場合を心得ずして刀を揮った者は、卑怯者であり法螺吹きであった。重厚なる人は剣を用うべき正しき時を知り、しかしてかかる時はただ稀にのみ来る。 (第13章 刀・武士の魂)






このように、武士においては、やたらに剣を振るう者は厳に非難されました。歴史的に、武士と日本刀とのかかわりを通じ、日本人は剣に対する固有の倫理をつくり上げたのです。世が乱れた戦国期は、群雄が割拠し、力と謀略を駆使し、弱肉強食の論理がまかり通る時代でした。しかし、戦国大名も、剣と武士の精神を忘れ去った訳ではありません。武田信玄や上杉謙信、徳川家康も、日本古来の武士の精神を尊重しました。そのため、戦国の世が終焉し、江戸時代に至り、世界にも稀な長き泰平の世を迎えることができたのです。






2.銃を神聖化した大日本帝国


一方、戦国時代、日本は世界有数の銃=鉄砲保有国でした。1543年、鉄砲はポルトガルから種子島に伝来し、早期に国産化し、1575年の織田・武田の「長篠の合戦」には鉄砲が大量に使われました。しかし、当時の日本人は銃を神聖化しませんでした。銃は、西洋に発した強力な武器で、戦国のリアリティーをあらわし、剣とちがい、日本化し、精神性を付与するまでには至りませんでした。泰平の世が訪れ、剣のように武士に愛蔵されることもなく、戦さに備え城の武器庫に保管されました。そのため、改良もされず、江戸時代には銃は全く進歩をみませんでした。銃は死蔵されたのです。






しかし、明治になり、帝国陸海軍が採用した38式歩兵銃には、天皇家の紋章である菊の御紋が刻印され、銃は神聖化されたのです。なぜ日本人は、武器である剣や銃を神聖化したのでしょうか。日本には、穢(けがれ)の思想があり、死や血につながる穢れがある剣や銃を神聖化することによって、穢れを除くという意味があったと思います。






それとともに、武器の神聖化は武器の正しい管理思想という役割がありました。菊の御紋が刻印された38式歩兵銃は、皇国を護持するという、崇高な目的のために用いるという思想を無言のうちに発信しています。このように銃を神聖化すれば、無闇に武器を使わないという思想的抑制力を持ち、個人的衝動による銃の使用を防止する歯止めになります。日本兵は、何のために銃をもつのかしっかり理解したのです。すなわち、武器に精神的価値を持たせることは、武器の正しい管理に重要な意味をもつのです。






3.素晴らしい式典!



現代アメリカにおいて、武器である銃に高い精神的価値を付与する運動が起き始めました。2018年2月28日、文亨進師が主催し、アメリカ・ペンシルベニアのサンクチュアリ教会において、人々が銃(ライフル)をたずさえ式典を行いました。この式典の1か月前、フロリダの高校で銃の乱射事件が起き、アメリカでは銃所持に対する議論が沸騰していました。「教会」と「銃」という結びつきで、大手マスコミが注目し、教会に取材陣が押しかけました。そのため、創立わずか3年の小さな教会で行われた式典が、アメリカのみならず全世界に報道され、サンクチュアリ教会は一挙に世界的知名度を得たのです。







ペンシルベニアのニューファンドランドはまさに片田舎で、今までこんなに注目をあびたことはありません。式典は、「ガンチャーチ」、「銃を祝福」などと誤解され報道されましたが、おおくの銃所持支持者には好意的に受け止められました。特に、フロリダ乱射事件で守勢に立たされた銃所持支持の保守派クリスチャンからは、よくやってくれたと感謝する声が大きかったのです。






文亨進師に対し、多くの保守派メディアからインタビューや番組出演依頼が殺到し、彼らは式典に好意的な報道をしました。数百万の視聴者がいるワンアメリカ・ニュースネットワークは、「あなたは、合衆国憲法修正第1条で認められた表現の自由を発揮し、銃所持を認める憲法修正第2条を守ってくれた」と称賛しました。文亨進師が、多くのマスコミは銃を祝福したと間違った報道をしましたが、私たちは信者を祝福したと言いましたが、むしろ、グレハム・レジャー司会者は、「アメリカは戦前、牧師が兵器を祝福していたので、銃を祝福したとしても何ら問題ない」と言うほどでした。このようにアメリカの保守派クリスチャンには、銃所有の積極的支持者がおおいのです。





サンクチュアリ教会が展開する「鉄のつえ」の運動は、同教会単独で行うものではありません。同じ志しをもつ人々と共に行っているのです。昨年の10月に行われた「鉄のつえ祝典」には多くの保守派の団体が参加し盛況を得ました。







また、サンクチュアリ教会が位置するニューファンドランドは、銃所有支持者が多く住む地域で、式典に大変好意的でした。この地方の90パーセント以上の家庭が銃を所持しており、しかも、犯罪が極めて少なく、住民は銃所有を誇りに感じているのです。銃所持に否定的でリベラルの天下である都市部においてはこのような式典は不可能でした。式典当日、近くにある小学校は、別の場所で授業をしました。それを一部のマスコミは、危険な式典をしたからだと批判しましたが、校長は、マスコミがたくさん集まりうるさいので別の場所で授業をしたと言ったのです。






3.ワシントンポストと銃を携帯した式典



それでは、サンクチュアリ教会の活動に対し、賛意を表する人々は銃所有を支持する保守派に限られるものでしょうか。そうではありません。多くのメディアの報道のなかで、最も驚きだったのは、ワシントンポスト紙の日曜版で、サンクチュアリ教会の特集をしたことです。しかも、何と、極めて好意的な内容だったのです。ワシントンポストの思想的傾向を知る人には、にわかに信じがたいことだと思います。同紙は、リベラルな主張で知られ、もちろん銃所持規制派です。そのワシントンポスト紙が17ページにも及ぶ特集まで組んで、サンクチュアリ教会の活動を好意的に伝えたのです。






記者のトム・ダンケル氏はながくニューファンドランドにとどまり、サンクチュアリ教会を徹底して取材しました。その結果、サンクチュアリ教会に対して多くの知識を得、好意的記事を書くようになったのです。彼は、「宗教=キリスト教」と「銃」に関して関心をもったと話しています。アメリカにおいては「キリスト教」と「銃」の関係は、国家の理念、社会の治安、安全保障などにおよぶ重要な課題とつながるのです。






トム・ダンケル記者は、サンクチュアリ教会のビジョンである天一国憲法を力強いものと称賛し、銃と武道の訓練も公平に伝え、文亨進師の凛々しいポートレートを表紙に載せました。ダンケル記者は、サンクチュアリ教会がすすめる、「Rod of Iron Theory・鉄のつえ思想」と様々な活動は、危険なものでないと理解したのです。それどころか、この思想と活動がアメリカの平和と安全に有効だと判断しました。そうでなければ好意的な記事など書くはずがありません。リベラル派の代表紙で、銃所持規制派であるワシントンポストでさえ、サンクチュアリ教会の新しい銃管理思想の正しさを認めたのです。


次回は「Rod of Iron Theory・鉄のつえ思想」の内容に迫ります。
Two sons of Rev Moon have split from his churchでワシントンポストの記事全文と写真をご覧になれます。

また、Locked and Loaded for the Lord で日本語の関連記事をご覧になれます。