宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

武漢ウイルス後の「あるべき世界 あるべき人間」

1. ドン・キホーテが教えるもの


ルネッサンス期に、セルバンテスが書いた「ドン・キホーテ」は、世界史上、最も多く読まれた小説で、その数、何と5億冊。日本でも、松本幸四郎(白鸚)さん演じる「ラ・マンチャの男」はドン・キホーテをもとにしたミュージカルで、これも1300回というロングランを達成しました。






この小説のメッセージが、「あるべき世界、あるべき人間」です。普通、人間は、現実に折り合いをつけ、流されながら生きています。正直、昔も今も、それが私たちの生き方ではないでしょうか。ドン・キホーテは、悪や偽りが渦巻く現実と折り合いをつけて生きるのではなく、本来の「あるべき世界 あるべき人間」を求め、世界に正義を打ち立てようと、世直しの旅に出ました。






人々はドン・キホーテを、遍歴の騎士を気どる、時代遅れの「変人」扱いしました。しかし、この小説を読み進めると、誰しもドン・キホーテの思想と行動に共鳴してしまいます。ドン・キホーテは、「人間は、命のある限り、希望はあるのだ」、「死に臨むこと生のごとし」、「我は裸で世に出た。故に、裸で世を出て行く」などと、人生に肯定的な霊妙な言葉を語りながら、幾多の苦難を乗り越え、立派に志を貫きます。






いったいどうして、この物語がこんなにも人気を博したのでしょうか。奇想天外で面白いだけではないでしょう。おそらく、私たちは皆、日ごろどんなに現実に折り合いをつけて生きていても、心の奥底では、ドン・キホーテのように「あるべき世界 あるべき人間」の理想を強く求めているからではないでしょうか。






2.武漢ウイルス感染症・東日本大震災の恐怖



今年2020年、世界は武漢ウイルス感染症の脅威にさらされました。先進国でも、ひどい人命、経済の犠牲を出し、国民は恐怖を感じ、今までにない不便な生活がつづきました。日本では、志村けんさんなどの有名人も亡くなり、この病気が他人事でなくなりました。緊急事態宣言により経済的に困窮した人もどれほどいたでしょうか。






今まだ、不気味な感染症で世界がマヒしていますが、はたしてそんなものが発生する現実は「あるべき世界 あるべき人間」の姿でしょうか。昔の人は、感染症とは、星座の乱れ、人間の罪の報い、神の怒りなどと信じましたが、現代の私たちはそれを一笑に付すことはできません。高度な文明社会と思っている現代に、こんな感染症が猛威を振るうこと自体が、私たちの世界がまだまだ不完全だということを意味します。そのうえ、感染症を拡大させ、多くの人命を奪った中国は、一切責任を取ろうとしません。それが文明国家と言えるでしょうか。






一方、9年前の2011年、東日本大震災では、15000人以上の人が亡くなりました。国民は、大きな津波が海沿いの街を飲み込む恐ろしい映像を何度もみて、恐怖と悲しみを感じました。あの光景は、日本だけでなく世界が驚愕したのです。






3.人間が宗教を受容した理由



歴史的に、宗教は、感染症が猛威を振るったときや、自然災害の被害を受けたとき、外国の侵略など、人々が苦難を受けていたときに爆発的に伝播しました。人々は苦痛を受けたとき、「あるべき世界 あるべき人間」を求めだし、宗教に帰依したのです。






突然襲った災厄で、心の準備もなく、急に愛する人が亡くなったとき、誰もが深く「死」について考えさせられます。甚大な物質的被害で、今まですっかり頼っていた経済社会というものが、もろく、不確かなものだったと気づきます。そして、人々は、死後の世界や永遠の命の有無、全知全能の神は存在するのか、神と人間の関係など、平常時では考えなかったことを真剣に考え始めます。






だから人間は素晴らしいのでしょう。人間は、自分の力では解決不可能な困難に遭遇したとき、現実を越えた本質世界に目覚め、確かな信仰、信念を得て、苦難から立ち上がり、新しい出発をしました。ですから、今日まで人類は生き残り、発展したのです。






21世紀に入り20年を経た現在、私たちは思ってもみなかった苦難の時代に遭遇しました。この苦難は現代医学、科学の力でも容易に解決できません。今後、武漢ウイルスよりさらに感染力と毒性が強い新たな感染症が流行する怖れもあります。世界は、より厳しい災厄があると想定し、準備しなければなりません。






4.21世紀の試練を克服できる、精神と肉体をつくる



そもそも、全ての宗教は「あるべき世界 あるべき人間」を求めています。それを見いだせれば、恐怖も悩みも、病も、戦争もなくなり、真の幸福を得ると信じます。聖書には、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。まはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものがすでに過ぎ去ったからである(ヨハネの黙示録21章)」とあります。宗教は、死の恐怖や、病気などの苦しみのない、完全な精神と肉体の幸福を求めます。






今年、全ての人が、武漢ウイルスで苦しみました。皆が、現実の苦しみを抱えながら、「正常な世界 正常な人間」、すなわち「あるべき世界 あるべき人間」を目指しました。今は、すこし、安定を得たようにも感じます。しかし、きびしい試練は、これからやって来ると予感します。







一方、この感染症で、誰もが、肉体の抵抗力を強く意識しました。人々は、感染症に打ち勝つことができる食事の摂取や、健康な生活を実行したのではないでしょうか。精神だけではウイルスに勝つことはできません。




未来に訪れる苦難の時代を生きるには、私たちの先祖がしたように、愛と慈悲の源である本質的存在を知り、確かな世界観、価値観を持ち、自然の摂理にかなった生活をして、精神も肉体も強靭になければなりません。ドン・キホーテが目指した遍歴の騎士のように勇敢に、我々が心の奥で強く求めている「あるべき世界 あるべき人間」の姿を求め、21世紀の試練の時代を乗り切らなければなりません。そのために宗教が役立てば、宗教など時代遅れの変人が信じるものという汚名を返上できます。 (永田)