宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

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〈編Ⅲ〉『鉄のつえの王国』・ダイジェスト (3)

この〈編Ⅲ〉は『鉄のつえの王国』の核心部分になるでしょう。アメリカ国民は、憲法で認められた権利として、全世界の銃の半分に及ぶ、2億5千万丁もの銃を所有しています。国民が銃をどの様な心と理念で管理し扱うか、それによってアメリカ社会の平和と安全が左右させると言っても過言ではありません。〈編Ⅲ〉では、人間が、銃という強力な武器をもつとき、資格として、不可欠な精神、心構えを説きます。





1.ポイマイノの統治



先に述べたように、ギリシャ語のポイマイノ(支配する)は、聖書の黙示録、鉄のつえの一節にある、キリストの支配を指す単語です。鉄のつえの支配は、神が人間を真実の愛をもって保護するポイマイノの支配です。ポイマイノとは文字通り、独裁者ではなく、良き羊飼いとして行動することを意味します。良き羊飼いは、羊の群れを集め、世話をし、守り、導きます。良き羊飼いは、自分の羊を恐怖に怯えさせたくありません。ですから、彼はつえを使って羊たちを危害や危険から守ります。それはすなわち、詩編23章の「あなたのむちと、あなたのつえは私を慰めます」という安心の境地なのです。






ポイマイノの支配は、公正で慈悲深い神を中心とする、思いやりのある支配です。自分の群れを知る万王の王・イエスは、不変の王国の良き羊飼いなのです。聖書は、「イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わることがない」(へブル13:8)と言っています。神様とキリストは、永遠に、悪の勢力が神の子たちを破壊できないように、子供たちが強くなることを望まれ、見守り、守護する父なのです。





世の悪を克服するには、正義を守ることを貫く不屈の人々、善良で道徳的な人々が現れなければなりません。そして鉄のつえは、キリストの追随者に対し、暴君に対し「NО」といえる力を与えるのです。歴史的に、国民は、中央政府、貴族、そして超法規的なエリート階層によって支配され、重税を徴収されるという、苦しい歩みがありました。





しかし、過去の君主制とは異なり、神の王国は逆転した王国です。その政治制度は根本的に異なります。神の王国では、かつて「貧しき人々」であり、奴隷だった人々が、キリストの王国の権威と力を受け継いで、彼とともに共同支配するのです(マタイ5章参照)。キリストは決して全体主義者として独裁的支配をするのではありません。キリストが王として君臨すると同時に、私たち一人一人は王国の共同相続人になるのです。






2.道徳は最高の安全保障



イエスは時代を超越した智慧で、主権をもつ武装した人々の王国にとって必要な精神を教えました。それは、謙遜、思いやり、慈悲、純粋さ、正義などです。これらは神の王国の美徳です。天国は、キリスト教の枠組みのなかで鉄のつえを利用するのです。鉄のつえは、キリスト教を待ち望む道徳的な市民によって、王国を正しく維持するために存在します。チャールズ・キャロルなどのアメリカ建国の父はこのことを理解していました。





道徳がなければ、共和国は存続することはできません。キリスト教道徳は非常に崇高で純粋なのです。キリスト教を非難する人々は、自由な政府の、最高の安全保障である道徳という強固な基盤を損なっています。





鉄のつえは、王国の市民が力を通して平和を維持することを可能にします。キリストの共同相続人は、自制心をもつ強さをそなえ寛大な、王国の保護者になります。武器を所持する人は、高いレベルの規律と警戒心を維持しなければなりません。市民は鉄のつえを持つとき途方もない力を持っているので、自分自身を抑制する方法を学ぶことが不可欠です。弾丸がひとたび発射されると取り返しがつかないからです。






責任あるすべての親は、自分の命を危険にさらすことで自分の子供を保護するという本能をもっています。神の王国は、私たちが隣人の「守り人」になるという精神文化なのです。鉄のつえは、身長の低い人、年齢が高い人、または障害をもつ人にとって、威信ある主権を維持するための最も効果的な方法です。鉄のつえ文化の基本原則は、神を愛し、隣人を愛することです。






3.王国市民の安全のためNОといえる力



武装した市民は、悪人や暴君、悪の勢力によって力を得た者たちに「NО」という力をもっています。武装した市民だけが「NО!私を支配したり、殺したり、奴隷にしたり、レイプしたり、私や同胞に悪を行ったりすることはできない。あなたが私に致命的な力を行使しようとするなら、私は自分自身と私の愛する人々、または私の王国を守るために、致命的な力であなたに対応する」と言うことができます。






神の家族の一部として、そしてキリストの主権を分かち合うという意味で、神の王国の市民は誇りをもって王冠を被ります。私たちの忠誠心は、「キリストの神」に対するものであり、「国家の神」に対するものではありません。これが、イエスが「あなたの冠がだれにも奪われないように、自分が持っているものを堅く守っていなさい」と言った理由です(黙示録3.11)。私たちは王冠を被ることで、すべての神を否定する暴君に反対し、神の王国の市民として屹立できるのです。






18世紀のアメリカの反逆精神には、植民地人はただ一人の君主であるキリストにのみ仕えるという信念に満たされていました。イギリス政府に任命された知事はこう述べています。「アメリカ人に〈あなたの主人は誰ですか〉と聞いたら、彼は〈イエス・キリスト以外に誰もいない、知事もいない〉と言うだろう」





また、イギリス軍のピトケアン少佐がミニットマン連隊の隊員に対し、「解散せよ、この悪党ども、主権者にしてイングランド国王ジョージの名の下にお前たちの武器を置け」と叫んだとき、ジョナス・クラーク牧師は断乎として、こう答えました。「我々は神の他に主権なく、イエスの他に王がないことを認める!」






アメリカはその神聖な根幹から外れてしまいましたが、神はこの特別な国を手放しませんでした。アメリカ人が今も武装する権利を持っているのは、アメリカ革命が崇高な価値を中心にしていたからです。私たちが何かを使用するとき、その目的こそが、神と悪魔のどちらがそれに対して力を持つかを決定するのです。武器は力であり、戦力を倍増させるものです。専制政治からの解放や自由の保護など、義にかなった目的で銃を使用する場合、神はそれらに対し権威をもつのです。






聖書の詩編2章8節で、キリストが地の果てまでも嗣業として私たちに与えて下さるのは、決して、私たちがエゴイストになって良いというのではありません。キリストに代わって責任ある管理を行って良いということなのです。






神の子として、私たちは鉄のつえを偶像化するのではなく、正しく管理することを求められています。神から与えられた王冠と鉄のつえ、これらの装具には感謝しますが、私たちはそれらを崇拝しません。私たちは神を崇拝し、そして神が私たちに与えられた主権と権威に感謝しています。

〈編Ⅱ〉『鉄のつえの王国』・ダイジェスト〈2〉

〈編Ⅱ〉に入る前に、アメリカの思想について述べた方がいいと思います。アメリカは、移民によってつくられた国で、様々な人種、宗教の人々が混在していました。そんな複雑なアメリカを一つに結びつけた精神はキリスト教です。それは、今日でも大統領が就任するとき、聖書に手を置いて神に誓う行為が雄弁に物語っています。しかし、ここ100年あまり、キリスト教精神は、唯物主義、あるいは、正体を隠した共産主義から攻撃を受けています。これは文化共産主義と称することもできます。今日、アメリカの各界に中国共産党の勢力が浸透していますが、それを可能にした思想的土壌をつくったのも文化共産主義です。今回の『鉄のつえの王国』ダイジェストでは、アメリカを侵食する共産主義と、この国の自由・民主主義を守護するユダヤ・キリスト教についての問題を要約しました。





1.アメリカに対する共産主義の脅威



戦後、共産主義者は、メディアを通じ、大衆の注意をナチスドイツによる大量虐殺に集中させました。その一方で、ソ連や中国、ベトナム、カンボジア、キューバでの膨大な死者の数については最小限に見積もりました。






また、共産主義独裁や、社会主義に対して公然と疑問を呈する者は、誰かれ問わず「ナチ」のレッテルを貼りました。イタリアのファシズム研究者アンソニー・グレゴーが指摘するように、キリスト教徒を公言する者、減税を主張する者、政府規制の緩和を求める者、人為的な「地球温暖化」に疑問をもつ者や、「絶滅危惧種」の衰退に関心のない者たちには、決まって「ファシスト」のレッテルが貼られます。






「ナチ」とは「国家社会主義ドイツ労働者党」の党員を指します。その名のとおり、そもそもナチスは、アーリア民族に傾倒した民族主義的な行動をとる「社会主義者」なのです。彼らは国民の生活に対し「大きな政府」の統制と規制を求めるのです。






信じられないかもしれませんが、ニューディール政策を推進した民主党フランクリン・ルーズベルトは、イタリア・ファシスト党のムッソリーニと、彼の中央集権政府による計画と行動を称賛していました。ヴォルフガング・シューベルブッシュは、『3つのニューディール〈ルーズベルトのアメリカ・ムッソリーニのイタリア・ヒットラーのドイツについての回想〉』で、「アメリカ人の進歩派たちはドイツの大学で学び、自由主義原理でない、現代社会を組織する最も効果的なやり方として、強力な国家とプロイセン軍国主義というヘーゲルの理論を評価するようになった」と述べました。






1930年代を通して、アメリカの知識人やジャーナリストは「ニューディールとファシズム、国家社会主義は一致する」とよく口にしました。この3つは、個人主義、自由市場、地方分権という「古典的な英仏の自由主義」に優越するとみなしていたのです。






そして今日、ロナルド・レーガンやドナルド・トランプ大統領などは、国家権力を制限するための多くの政策をとっているのに、主流ニュースメディアはいつも、彼らを新しい「ヒットラー」だの「ナチ」だのと非難します。政敵を安易に怪物に仕立てるため、乱暴に「ファシスト」と決めつける前に、どうして政策の本質について議論をしないのでしょうか。






2.多文化主義という分裂思想



アメリカ建国のビジョンは、国章に刻まれた「多数から一つへ・E Pluribus Unum」です。人種、宗教、国籍が何であり、「生命、自由および幸福追求に対する侵すことのできない権利を有する」という保証のもと、皆がアメリカンドリームへの参加を歓迎されました。ですから、マーチン・ルーサー・キング牧師は「人間は肌の色によってでなく、人格そのものによって評価されるべきだ」という名言を残しました。






しかし左翼は、「多様性」を強調するあまり、国章のモットーを「一つから多数へ」と逆にしてしまいました。彼らの「多文化的な」言い方をすれば、建国の理念は単に「白人男性の特権」を誤魔化すためのものだ、ということになります。彼らの見方では、「アメリカは一つではない」のです。アメリカは多様な人種の集まりであり、増加の一途をたどる、トランスジェンダー・LGBTQの集合体なのです。そして彼らは、政府の権力をつかい「平等」を押し付け、これら「少数の犠牲者」から奪ったお金を再分配せよと要求するのです。






全米の大学で広く使われている言葉に「白人の特権」があります。テキサス州立大学の新聞には「白の死は全員にとって解放を意味するだろう … それが成るまでは、覚えていてほしい。あなたたちは存在すべきでなかった。故に、私は憎む。あなたたちは地球の支配的機構であり、あなたに出会った他のすべての文化を殺す深い淵だ」






しかし、もしも、アメリカが白人優位主義の恐ろしいところなら、何故、多くのアフリカ人、アジア人や、ラテン・アメリカ人が、ときには命を懸けてまでこの国に来ようとするのでしょうか? また、世界のそれらの地域から移民してきた第一世代が、何世代もアメリカで住み続けている平均的アメリカ人より豊かな暮らしをしているのはどうしたことなのでしょう? 少数民族である在米アジア人の平均所得が他の民族を抜いて最高の81000ドルで、白人を33%も上回っている事実をどう説明するのでしょうか?






神様が世界で最も自由で豊かな国として祝福して下さったアメリカを、こんなにもさげすむように教え込む大学に、自分の子供を行かせるべきか否かについて、私はじっくり考えたいと思います。






3.反ファシズム ANTIFA



作家で映画監督のディネシュ・ドゥスーサはこう指摘します。
自称反ファシズムと、ファシズムのあいだの密接な関係は、ANTIFAの主要なスポンサーであるジョージ・ソロスの知られざる一面に見出すことができる。ハンガリー生まれのソロスは、その抜け目ない世界的投資と為替操作で億万長者になった。ソロスのクォンタム・ファンドは世界最初の民間ヘッジファンドのひとつだ。そしてソロスは、200ほどの左翼グループの主要な支援者だ。






ドゥスーサは、1998年CBSの60ミニッツ(アメリカの人気番組)でのソロスのインタビューに注目します。そのなかでソロスは、十代の頃ハンガリーで、同胞であるユダヤ人の資産と所持品を没収するのを手伝ったとき、何の罪の意識も感じることはなかったと語っていました。ドゥスーサはこう指摘します。「ソロスと左翼による、自称反ファシズムは詐欺行為だ。なぜなら彼らが闘っている相手に、ファシストなど存在しないからだ。彼らの活動のなかでファシズムを見つけるとするなら、それは彼らの活動そのものがそれだ」






メディアは、それ自身のファシスト的傾向を曖昧にするために、左翼の主張の自発的な共犯者になりました。ユーチューブは最近、南部貧困法律センターの「ヘイト監視リスト」に入っている他のチャンネルと共に、サンクチュアリ教会のチャンネルを削除しました。






今まで削除されたアカウントのリストには、元大統領候補や、アメリカ合衆国住宅都市開発省長官のベン・カーソンがいます。それに、ソマリア生まれの男女同権主義者アヤーン・ヒルシ・アリは、イスラム世界での女性の権利を訴え、強制的結婚、名誉殺人、子供の結婚、女性器切除に異を唱える人なのです。







これらは、ユダヤ・キリスト教的価値を嫌うジョージ・ソロスや、他の金持ち左翼が資金援助しています。南部貧困法律センターに同調するグーグル、YouTube、フェイスブック、ツイッターなどによる、アメリカ建国のビジョン、すなわち小さな政府のビジョンを支持する保守系団体への攻撃は、自由を愛する者たちの恐るべき脅威です。






4.ユダヤ・キリスト教の基盤はすべての人の自由を守る



16世紀、ハゲ頭の修道僧が、キリスト教徒は神と直接にコミュニケーションをとることができ、人と神を仲介するための教皇を必要としないと主張しました。マルチン・ルターは、まさに殉教者ヤン・フスがその100年前に宣言したものと同様に、信仰に切望される中心的価値は、神の言葉、聖書であると宣言したのです。






すべての信徒が司祭たり得るというルターの信念は、人間と彼らが生きる階層との関係において新しいパラダイムを生み出しました。ドイツのヴィッテンベルクの教会の扉に95箇条の論題をクギで打ち付けることで、ルターはカトリック教会の基礎を個人に移すという霊的な大変動を解き放ちました。ルターの宗教の自由についての考え方は、アメリカ憲法の起草者に大きな影響を与えたジョン・ロックの自由思想よりも、一世紀以上も前に大きく形作られていたのです。






建国の父たちはさまざまな宗教的信念を堅持していましたが、彼らの大多数は王に支配されることを望まないという信念を持っていました。建国の父たちが拒否していたのはイギリス国王の権威だけでなく、中央集権的な権力そのものでした。キリスト教徒であれ理神論者であれ、彼らはみな、聖書の文化とその物語に精通していました。例をあげると、後にアメリカ合衆国の第2代大統領になったジョン・アダムスは、1776年に友人にあてた手紙でこうを書いています。「アメリカ植民地のように非常に強力な組織体を管理するには、ダニエルの勇気に加えて、モーセの柔和さ、ヨブの忍耐、ソロモンの知恵が必要です」






建国者たちは、なぜ権力を行政、立法、司法の各部門に分割することを主張したのでしょうか。彼らは、中央集権的な専制がどのようなものであるかを、身をもって体験していたので、ヨーロッパで一般的だった王の「神聖な」権利を全く望みませんでした。






建国者のある者たちは奴隷を所有していましたが、それはアメリカ史上最も血なまぐさい南北戦争を引き起こした国家的な罪です。しかし、独立宣言で宣言された原則は、奴隷制度の廃止を要求する廃止派が主張したものでした。それからほぼ2世紀後、1963年にマーチン・ルーサー・キングがワシントン記念塔で演説したとき、こう言いました。






ある意味で、われわれは、小切手を換金するためにわが国の首都に来ています。われわれの共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記したとき、かれらは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのです。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束でした。






アメリカの自由は、私たちの性別、肌の色、国籍、宗教に関係なく、あなたと私は平等であるという確信が生まれたユダヤ・キリスト教的価値をしっかりと守らなければ維持できないのです。





アメリカではかつて、モーセの十戒は、すべての市民が従うべき真理として尊敬されました。しかし今日、長く共有されたキリスト教的市民文化から遠ざかってしまいました。私たちはアメリカ統合の目的が破壊されていることに、黙って傍観してはいけません。建国の父の遺産が、この先何年も将来の世代に確実に引き継がれるようにすることは、私たちが子孫に負う重大な責任なのです。

『鉄のつえの王国』・ダイジェスト〈1〉

“ROD OF IRON KINGDOM”  Hyung Jin Sean Moon 2018



先にとり上げた、文亨進師の著作『鉄のつえの王国』の内容を数回にわたり要約して紹介します。これは銃の所持が認められているアメリカで書かれた本であり、銃に対する認識において日本とは異なります。また、歴史、宗教、思想に対する言及は、西洋・キリスト教を背景としています。




推薦文



ラリー・プラット GOA(米国銃所有者協会)設立者、名誉会長


これは修正第2条についての優れた弁証だ。人々が修正第2条、自己防衛、政府権力の制限について語る時に往々にして陥る誤りに対する格好の手引書である。一冊手に入れることを是非お勧めする。



トム・バーク アメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレー)創設メンバー

ヒョンジン・ムーン牧師は本物だ!






1.無名の教会の行事が世界に報道


2018年2月、ペンシルバニアの田舎町ニューファンドランドの小さな教会で、世界のメンバーを招いて、AR15ライフルを携帯し、聖なる祝福式を行いました。式典の計画は半年以上も前に始めました。衝撃的なフロリダ州パークランドの高校での銃乱射事件の影響に対する懸念はありましたが、神様が6か月前に与えた計画が一人の狂人のために変わる訳がない、というのが私たちの信念でした。その後起きるであろう、式典に対する嵐のようなマスコミの報道と世間の注目は予想もつかないものでした。





式典当日、20以上の報道機関から、40名を超えるジャーナリストが2月28日の「生命の書」祝福行事を撮影するために集まってきました。新聞とテレビの放送によって、世界の各大陸に住む10億以上のメディアの視聴者と読者に、「AR15の祝福」という見出しで大々的に伝えられたのです。





しかし、私たちは「銃」、すなわち、われわれのいう「鉄のつえ」を崇拝などしていません。われわれが崇拝するのは私たちをご自身の似姿として造ってくださった神様であり、神様がわれわれ一人一人と個人的関係を持ってくださることを切望しているのです。また、私たちの結婚に神様の祝福を求めるのは、夫婦の愛のなか、親子の愛のなかにこそ、神様が深く住まわれることを信じるからです。このような祝福結婚は、力強い社会と地上天国の基礎になります。






2.神の愛による人類の保護と守り



聖書の黙示録では、キリストは繰り返し「鉄のつえの支配」(黙2:27)について述べています。しかし、「支配」という言葉は本来、「導く、世話をする」あるいは「保護する」という意味のギリシャ語の「ポイマイノ」が語源です。ですから、この聖書の言葉は、神様が鉄のつえで人類を保護するということであり、それは世界の独裁者のようでなく、神様が子供である人間を愛する父として、私たちを護ってくださるということを語っているのです。





式典の14日前に発生したフロリダ州パークランドの銃撃事件の場合、ほとんどの警官は到着が遅すぎて、被害の拡大を防ぐことができませんでした。彼らにできた事といえば、せいぜい負傷者を手当てし、遺体を運び出し、事件の報告書を書くことだけでした。 — 射撃魔から生徒を守るために、体一つで校舎に飛び込んだフットボールコーチのアーロンさんが銃を持つことが許されていたならば、彼の命を含む多くの命を救うことができたでしょう。





真の神の信仰は、妄想の世界のおとぎ話ではありません。神を愛し隣人を愛することの責任を男も女も引き受けるということです。他の人を守るためには、よろこんで自分の命さえ危険にさらす。これは、私の父である文鮮明師が教えてくれたことです。だから私も自分の子供とサンクチュアリのコミュニティにこれを教え、訓練しているのです。





私の父は、自分を拷問し、親族を殺した男たちを許しました。父を迫害した金日成に会いに行き、北朝鮮の近代化のためにと援助の手まで差し伸べました。ー 神様はわれわれに地上天国における、父の共同相続者、共同後継者になることを願っておられるのです。(ロマ書8.詩編2) これが、私が2月28日の祝福式に参加するカップルに、自分の「鉄のつえ」を持参しなさいといった理由です。鉄のつえの目的は人を傷つけることではなく、無垢な命を守ることです。私の父はこう言いました。「保護圏がなければ、命が脅かされます。そして命が脅かされるとき、愛は現れることができません」





3.キリスト教世界の内乱



ニーチェは、信仰という義務から逃れたことを喜びましたが、脱キリスト教化したヨーロッパの未来は困難で、むしろ悲劇的であると予知しました。「キリスト教信仰を捨てるとき、その者はまさに自分の足の下からキリスト教的道徳を引っこ抜く。道徳は決して自明ではない。… キリスト教は一つのシステムだ。一つの全体として捉えられるものだ。その中の、神への信仰という、一つの主要な概念を壊すなら、全体を破壊することになる」。




人々が神への信仰と世俗のイデオロギーを置き換えた場合、何が起きるかについては、20世紀は充分すぎるほどの証言を提供してくれます。民族のアイデンティティーを掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は1930年代に政権を取り、1300万から2100万人の命を奪いました。共産主義イデオロギーは20世紀だけで、推定1億5000万人の命を奪ったといわれます。20世紀の、政府による大量殺人、「ジェノサイド(民衆殺戮)」は国外、国内の戦争で死んだ人の6倍以上の2億6200万人に上ります。





4.全体主義国家は弾圧される人々からまず銃を奪う



政府が好ましくない国民を抹殺したいと思う場合、国民が武装していると厄介であることは言うまでもありません。全体主義の政府は、大量殺戮、ジェノサイドに先立ち、銃器の押収と登録を行うというゾッとするようなパターンを見ることができます。その例は次のようなものです。



・1915年、アルメニア人の大量殺害に先立ち、トルコ政府は銃規制を強めた。



・ドイツは1938年、ユダヤ人に対する銃の販売を禁止した。1939年から1945年まで、総計1300万人の丸腰の武装解除されたユダヤ人と多くの民族が強制収容所に送られ、処刑された。



・1929年、ソビエト連邦は銃規制を開始し、それまで武装していたソビエト市民から武器を押収した。1929年から1953年まで、もはや自衛手段を持たない約2000万人の反体制派が、集められ虐殺された。



・中国の銃規制政策は中華民国によって1938年に開始された。1048年から1952年にかけて、2000万人の反体制政治家が自衛手段も何もない中、共産党政府によって皆殺しにされた。また加えて、5300万人が、大量の餓死者を発生させることになった政府の政策で殺される。



・カンボジアは1956年に銃規制を開始。1975年から1977年に100万を超える国民が西側の価値観と文化、教育に触れることで、それに汚染されたとみなされ、殺された。



・グアテマラは銃規制を1954年に導入し、その後、10万人のマヤ人を殺害した。



・ウガンダでは銃規制政策を1970年に導入。8年間の恐怖政治が終わるまでに数千人のキリスト教徒が殺された。




5.国家の非道



以上のような悲劇は、脱キリスト教イデオロギーとその政治運動に根深い原因があります。この政治運動は、異なる民族、宗教、階層の人々を人間とはみなさないのです。彼らのイデオロギーは、国家とは、異なる思想をもつ者達を排除する正当な機関だ、とみなします。マスコミは政府の計画した大量殺戮に加担しました。国のイデオロギーや大義に賛同しているジャーナリストたちは、国の行為を、どんな手段を用いても良いものとして描き出すのです。






ファシストは気に入らない民族集団の人間性を奪います。共産主義者は、「アンチ・ファシスト」を自認しながら、自分たちの政策に協力しない者たちを「労働者階級の敵」と非難します。この二つのイデオロギーが共に見落としていることは、どんな民族や階級にも、善人も悪人も存在し、それを許容するという事実です。自分たちのグループ、階級、民族を完璧なものとして自己崇拝することは、神を畏れぬ考えであり、その結末は、道義的な人なら誰も望まない血塗られた歴史の跡を残してきたのです。




6.現代キリスト教が受けている迫害



2018年の初めに発表された報告は、「キリスト教徒はいまだかつてない迫害に直面している」と警告しています。「迫害と忘却(Prosecuted and Forgotten)」(訳注:世界各国のキリスト教徒の迫害を調査報告している団体ACNの報告書)では、今のままキリスト教徒に対する暴力が続くなら、多くの国のキリスト教徒は生存できないと警告しています。この報告書は北朝鮮を含む世界各国での「言語に絶する残虐」ぶりを浮き彫りにしています。北朝鮮ではキリスト教信者は強制的な飢餓、中絶、また、報告書によると信仰篤き者は十字架にかけられ火あぶりにされ、工事用のローラーでひき殺される者もいる」といいます。





他のどの宗派よりもキリスト教徒が迫害を受けているだけでなく、非常にむごい迫害を受ける信徒が増加しています。中東での迫害はもっぱらイスラム過激派によるものですが、ナイジェリアでも、イスラム国とも提携するボコ・ハラムによって200万人に近いキリスト教徒が追放されたという報告があります。





一方で、アメリカ人の多くは現在行われている、キリスト教徒や宗教的少数者への残虐行為の事実を全く知らないか、ほとんど知らないのです。大学のキャンパスでは、キリスト教徒や宗教的少数者に対する凄まじい差別よりも、多くの学生は、社会にあるささいな「自覚されない差別」などのために闘っているのです。





人が現実の大きな善と悪が見えなくなるとき、戦う大義として「自覚されない差別」のような「ミクロ」の幻想を思いつくでしょう。これは大規模な差別を行う全体主義者にとっては喜ばしい知らせです。なぜなら彼らの飽くなき野望は、世界中のユダヤ人とキリスト教徒を追放し、ユダヤ・キリスト教的思想を排除することだからです。

コロナ後は「日本の時代」!-日本の覚醒はアジアの大国としての責任自覚から-

1・フリードマンの予測「2020年・中国は張り子の虎」



ジョージ・フリードマン博士は、日本ではさほど有名ではありませんが、アメリカでは、国家戦略を論じる時、彼の予測は必ず考慮されるほど評価の高い学者です。博士の未来予測の的中率は80パーセントといわれ、時に、21世紀のノストラダムスとも称されます。





フリードマン博士は、2009年に『100年予測』を著しました。その5章は「2020の中国 -張り子の虎-」というタイトルです。当時、アメリカを震源地とするリーマンショックが世界を襲い、その克服に中国の果敢な財政出動が貢献しました。まさに、アメリカに暗雲が立ちこめ、中国が浮上する時代が始まろうとしていました。





当時の情勢では、11年後の2020年に、中国が「張り子の虎」になるなどという予測は、まったく見当違いなものに思われました。同2009年にオバマ政権が立ち、8年ものあいだ、無責任に中国を優遇しました。その結果、共産中国は軍事、経済において飛躍的に発展し、「凶暴な虎」になってしまいました。その後、トランプ政権が立ち、米中貿易戦争、そして現在の、武漢ウイルス政局に至ります。フリードマン博士の中国認識は、以下のようなものです。





中国にとっての問題は、政治的な問題である。中国を一つに結びつけているものは、イデオロギーではなく、金だ。景気が悪化して資金の流入が止まれば、銀行システムが収縮するだけでなく、中国社会の骨組み全体が揺らぐだろう。中国では、忠誠は金で買うか、強制するものだ。金がないなら強制するしかない。景気低迷時には企業倒産や失業が多発するため、一般に社会不安が起こる。貧困が広く存在し失業が蔓延する国に、景気悪化の圧力が加われば、政情不安が広がる。




「中国では、忠誠は金で買うか、強制するものだ。金がないなら強制するしかない」、まさに共産中国を的確に表現しました。そして、2020年の中国は「貧困が広く存在し失業が蔓延する国に、景気悪化の圧力が加われば、政情不安が広がる」状況にあります。5章の最後に、〈大方の予想に反して、中国が世界的国家となることはない〉、〈中国の最もありそうなシナリオは、日本をはじめとする強国が中国に経済進出を活発化させるうちに、中央政府が力を失い、分裂する〉という、「世界国家にならず分裂する」未来像を示しました。





よく考えて見ると、昨年の2019年の時点では、すでに米中貿易戦争は始まっていましたが、さすがに、中国を「張り子の虎」と評することは言い過ぎという感がありました。しかし、2020年になり、世界が武漢ウイルス感染下にある現在、中国は、途方もない責任を世界から追及されて、賠償を要求される「張り子の虎」になる運命に直面しています。今や、中国が、世界的国家から地域国家に転落し、共産党は力を失い分裂すると予測しても、決して言い過ぎではありません。フリードマン博士の予測は見事に的中したのです。




2.2020年代、軍事力を増強する日本


一方、2020年の日本に対して、以下のように予測しました。



日本が2020年代になっても、まだ遠慮がちな平和主義国のままでいるとは考えがたい。もちろん、日本はできるだけ長くこのスタンスを維持するだろう。第2次世界大戦時の恐怖が今も国民的記憶として長く残る日本は軍事対決の意思を持たない。その一方で、日本にとって現在の平和主義は、永遠の原理ではなく、適応性のあるツールである。日本の産業、技術基盤をもってすれば、より積極的な軍事方針に転換できるかどうかは、政策転換の問題である。そして今後日本が人口や経済面で重圧を経験することを考えれば、この転換はまず避けられないだろう。




すなわち、2020年に中国が「張り子の虎」になるのとは反対に、日本は、2020年代に、画期的に軍事力を増強する選択をするだろうと予測します。中国は堕ち、日本が上がるのです。




3.武漢ウイルス戦争後、世界は一変する



今、人類を襲う武漢ウイルス感染は、戦争の様相を呈しています。これはまさに第3次世界大戦なのです。世界大戦は国際情勢をドラスティックに変化させます。最も明確な例として、第2次世界大戦を考えて見ましょう。大戦前は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ドイツ、イタリア、そして日本などの大国を中心に国際政治が動きましたが、戦後はアメリカを中心とする自由陣営とソ連を中心とする共産陣営が対立する冷戦構造に変わりました。戦前と戦後では世界は一変したのです。





この武漢ウイルス感染が収拾された後は、諸国で、人命と経済に大打撃を与えた中国に責任を問う動きが起こり、中国は孤立するでしょう。世界において、政治的、経済的に「チャイナ・デカップリング〈中国切り離し〉」が進み、中国の勢力は大きく後退します。





中国が転落すれば、残るのは日本です。日本は、アジアから全体主義中国の影響力の残滓を排除し、自由と民主主義を守る役割を果たさなければなりません。しかし、多くの人は日本がそんな国になることはない、と考えるでしょう。今も、日本政府は、諸外国は中国を批判しているのに、中国に気を遣い、まったく何も言えません。安倍首相は、オバマ時代、世界が親中であった時、中国の拡張政策に「力で現状を変えてはならない」、「法に従うべき」と断固として批判していた姿勢をやめ、なぜか最近は親中国的な発言を繰り返しています。日本は、今こそ、世界の先頭に立って中国を批判してもいいはずです。まったく煮え切らない国です。





しかし、日本の外交は常にそうでした。朝鮮王朝時代、政府は、日本の力を借りようとした金玉均が日本に亡命しても、冷遇し、かえって反日的な朝鮮政府のご機嫌ばかり伺っていました。先の大戦の時も、明確な戦略やビジョンもなく、東条英機も最後まで日米開戦に迷っていました。日露戦争の時も、伊藤博文や井上馨は、対露開戦には反対でした。山県有朋が推進し、伊藤や井上を騙し騙し、開戦にこぎつけました。それが日本の外交です。





山県は伊藤に、ロシアに負けたら、外交に巧みな貴兄に頼むと言って戦争を始めましたが、日本は辛うじて勝ちました。世は一変し、大国ロシアに勝った日本は世界の強国になっていました。更に、日露戦争勝利の9年後に勃発した第1次大戦に勝利した日本は、世界5大国の一つに仲間入りを果たしました。




歴史的に日本の外交は、イギリスなどの帝国主義国家や、ナチスドイツ、共産国家のような明確なビジョンがあった訳ではありません。第2次大戦後の日本は、さらに煮え切らない外交を繰り広げてきました。しかし、幸い、日本は分断を逃れ、大混乱することなく発展してきました。キッシンジャーは、こんな日本の外交を「愚かなことをしているのに、不思議に結果が悪くない」と評しました。




4.アジアから日本を見、大国の責任を自覚せよ!



私事ですが、25年間、韓国や台湾に滞在して感じたことは、アジアで日本は、途方もない大国だということです。中国にとっても同じです。日本は、アジアで先駆けて近代化を成し遂げ、日清、日露、第1次大戦に勝利し、第2次大戦に敗北したものの、急速に経済を発展させ、戦前以上の国家になってしまいました。その間に、国内の大混乱を経ませんでした。分断され、或いは、極度の混乱を経たアジア諸国は、日本を、安定のなかで発展した幸福な国と感じ、羨望の念を抱きます。それに対し、台湾や東南アジア諸国のように日本を称賛する国が多いのです。しかしまた、中国や韓国のように批判を繰り返す国もあります。そこには日本に対する激しいコンプレックスと警戒心が存在します。この心理を理解する必要があります。





日本には、反日的なマスコミがあり、中国や韓国の反日姿勢に同調する人々も少なくありません。一方、保守派も、アジア人の目から日本を見つめることができません。中国や韓国にとって日本は「眠れる獅子」なのです。日本が大国であることを自覚し、それにふさわしい軍事力を持つことを怖れます。





と言っても、中・韓に気兼ねして、日本が自己防衛の権利を放棄している亡国憲法をそのままにし、防衛も弱体なものにしていいと言っているのではありません。むしろ、私たちは、アジアの大国としての日本をしっかり自覚し、その国力に応じた責任を果たすべきだと強調したいのです。





中国や韓国が、日本に対しあらぬ批判を繰り返し、おとしめ、北朝鮮は核とミサイルを開発し、日本を脅す。これらはむしろ、日本が国力に見合った防衛力を持たないからです。アジアの安全を脅かしているのは中国と北朝鮮です。アジアでそれに対抗できる国力をもつ国は日本以外ないのです。ですから、日本が防衛力を強化するのは、その国力にふさわしい実力をもち、中国と北朝鮮を牽制する役割を果たすことであり、それがアジアに対する責任なのです。無責任な憲法を維持し、不充分な軍事力しか持たないことは、日本を危険にさらすだけでなく、アジアを危険にさらす愚行なのです。





日本が国防力を増強しても、アジアの多くの国は歓迎します。反対するのは中国、韓国、北朝鮮だけです。日本国民は、自国の安全を考えるだけでなく、日本がアジアの大国であり、国力に応じた責任があるということを自覚しなければなりません。それが、偽りの無責任な平和主義に陥った日本が覚醒する道だと思います。 (永田)

韓国総選、保守派大敗の理由「勝っても勝ったと言えず、負けても負けたと言えない」

昨日、韓国の保守系サイト「洗脳脱出」の朴ソンヒョン氏が、「勝っても勝ったと言えず、負けても負けたと言えない」と題し、今回の総選挙で保守陣営が大敗北した理由について、興味深い分析をしました。それを要約します。一言でいって、保守派は武漢肺炎で一変した大きな世界情勢の変化を理解せず、的違いな主張を繰り返していたということです。






今回の選挙で保守派が口をそろえて訴えたことは、このまま与党・共に民主党の政治が続けば、韓国は共産化し、中国と北朝鮮の属国になる。また、南米ベネズエラのように、左派の暴力的ポピュリズムの国家になり、経済が破綻すると主張しました。






保守派は盛んに危機意識を煽りましたが、国民はこれを受け入れませんでした。これらの主張は、武漢肺炎以前には言えたことですが、武漢肺炎によるパンデミックで世界情勢は激変し、保守派の主張は見当違いなものになりました。






確かに、文在寅は、中国と北朝鮮に従属することを目指しました。しかし、現在、中国は武漢肺炎の責任を追及され、巨額の賠償をする運命にあり、力を失い、北朝鮮も混迷しています。文在寅が頼りにし、ついて行こうとした中国と北朝鮮両国は、大きく後退し、保守派の「韓国は中国や北朝鮮の属国になる」という主張は根本的に成立しなくなったのです。






また、韓国が、左翼の南米ベネズエラのように、暴力的ポピュリズムの国家になり、経済が破綻するという主張も、国民は過剰に危機を煽っていると感じ、拒絶しました。






保守派は、今の世界情勢のポイントは、アメリカと中国が戦争中であり、その結果として、武漢肺炎をめぐる情勢もある。また、現在、世界は、全体主義と自由民主主義の文明の戦争が繰り広げられ、韓国もおなじ情勢下にある、という保守の見解も主張もしませんでした。すなわち、保守派は危機感だけを煽り、自分たちのビジョンを提示しなかったのです。






要するに、保守派は、武漢肺炎の変化を受け止められず、反対に、一応、武漢肺炎を鎮静化させた文在寅政権が評価されました。今回の敗北は、保守派の情勢判断の誤りと、武漢肺炎により、与党が漁夫の利を得た結果でした。






しかし、中国と北朝鮮が無力化した現在、文政権・「共に民主党」は、全体主義の国家モデルも、従う国家もなくなり、南北の連邦制統一など霧散してしまいました。与党は、自分たちの進む方向性を失い、今回の選挙で「勝っても勝ったと言えない」状況だと分析しました。





反対に、韓国をめぐる情勢は、武漢肺炎で中国共産党が無力化し、北朝鮮も金正恩が姿を消し、混沌としており、大きな流れからみると、韓国保守派の勝利は約束されており、今回の選挙の大敗について、「負けても負けたと言えない」状況なのだと分析しました。






韓国の保守派は、大規模な反文在寅デモを展開し、自由市民の連帯が強化され、組織化も始まりました。また、その運動が保守政党と連帯し始めました。一方、「韓国新保守」の文明論的思想が発展し、受け入れはじめられました。






今、韓国では、「韓国新保守」といえる人々が台頭しています。それについて、今後、ブログで説明して行きます。この動きは現在形成中のもので、明確な形あるものではありませんが、アメリカのトランプ支持派と極めて類似しており、大きな底流をつくっています。これが分からなくては今後の韓国政治の流れを予想することはできません。