宗教&インテリジェンス(旧harmonyのブログ)

世界−人類−日本、皆が幸福になる知を探究します。

宗教は生存戦略である!

国家の生存戦略とキリスト教受容



中欧のハンガリーとポーランドは、キリスト教国家との熾烈な闘争のなかで、国家生存のためにキリスト教を受容し、大国に成長しました。オットー大帝に敗北したマジャール人(ハンガリー人)の指導者ゲーザは、自分を打ち破った敵国の宗教であるキリスト教を受容し、キリスト教共同体の一員となることで、国家の生き残りを計りました。その子イシュトヴァーンは、改宗を拒む者を武力で抑え、キリスト教を国教化し、紀元1000年にはローマ教皇から王冠を贈られ戴冠し、ハンガリー王国を成立させます。ハンガリーは、ヨーロッパを苦しめた異教徒の蛮国からキリスト教世界の東方を守る要衝国家に生まれ変わったのです。







ポーランドは、966年、首長ミェシュコがカトリックに改宗しました。この改宗により、自らを標的とするドイツ騎士団国家の異教討伐という大義名分を奪い、カトリック国のボヘミアや、ドイツ諸侯国と同等の外交的地位を獲得したのです。その後ポーランドは、ボヘミア、神聖ローマ帝国と友好関係を結び、ドイツ人遠征軍を破って、バルト海沿岸を領有し、強国となりました。








バイキングが建国したデンマーク、スウェーデン、ノルウェーという軍事強国は、10世紀後半から11世紀の初めにかけてキリスト教を受容しました。ノルウェーのオーラブ1世は、オランダ、イギリスなどを訪問中にキリスト教に改宗しました。オーラブ1世は、何と、多神教を信じ改宗を拒否する豪族を即座に殺害したといいます。この三国は、国家統合と王権強化のために、キリスト教とヨーロッパ文明の受容を決意したのです。ヨーロッパを荒らし回ったバイキングは、キリスト教文明に感化され、北欧キリスト教圏を形成しました。








遊牧民との戦いを続けていたロシアでは、988年、キエフ大公ウラジミール1世が、ビザンティン皇帝の妹と結婚し、ギリシャ正教に改宗し、これを国教としました。同時に、ビザンティン帝国の専制君主制と文化を導入し、ヨーロッパ・キリスト教圏を構成する一員となったのです。







以上、ヨーロッパのキリスト教受容の流れを見てきました。諸国はながく、多神教の民族宗教やキリスト教の異端を信じており、本来、改宗は容易に成されるものではありませんでした。しかし、諸国は外からはキリスト教帝国の文化的影響と政治的圧力、また周辺国との生存競争に直面し、内には、王権強化という課題を抱えていました。それらを解決するために、キリスト教帝国と友好関係を結び、国内外に対して、自らの権威と自国の優位を確立するため、超国家的権威を有するキリスト教受容に向かったのです。ヨーロッパのキリスト教受容は、国家の生存、発展戦略として行なわれ、受容主体は王権でした。国家理念の制定と普及は、王権のみが決定、実行し得る事業だったからです。







以上のような背景のもと、10世紀から11世紀にかけて、多くの国がキリスト教化し、ヨーロッパではキリスト教国でなければ、国際社会の成員とは見なされなくなりました。こうしてキリスト教は全ヨーロッパを覆う宗教となったのです。







更には、近世の大航海時代以降、ヨーロッパ諸国の世界進出による、キリスト教文明圏の拡大は、征服、植民地化、それにともなう移民など、一層、直接的なキリスト教帝国による対外活動と影響力の行使によって成し遂げられました。それにより南北アメリカ、アフリカ、オセアニアなどに多くのキリスト教国家が誕生したのです。





イスラム帝国とジハード



イスラム教の歴史は、世界宗教伝播における、帝国の役割と、国家の生存戦略という背景を、キリスト教以上に反映しています。イスラム国家は、砂漠の多いアラビア半島で誕生し、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)とペルシャ帝国という巨大帝国に隣接していました。イスラム国家は、半島を越え、領土を拡張しない限り、どちらかの帝国に従属するしかなく、宗教共同体国家の独立と生き残りのため、自らが帝国となる道を選択したのです。






イスラム教にとってジハード(聖戦)は、説得や統治、また戦いという手段を用いて、イスラム教を伝播する行動です。マホメットは、メッカで宣教を始めましたが、迫害を受けてメディナに逃れ、そこで、政治権力を握りました。






王権を獲得したマホメットは、イスラム共同体(ウンマ)を整え、メッカを攻略し、全アラビア半島を制圧した後、632年に62歳で他界しました。イスラム教が他の世界宗教と異なるところは、教祖の代に、国家建設を成し遂げたことです。






第2代カリフのウマル1世は、周辺帝国に対する大征服を決意し、シリア、エルサレムを攻略し、641年にネハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシャ軍を破り、翌年、ビザンティン帝国からエジプトのアレキサンドリアを奪い、中東から北アフリカにおよぶ大帝国をつくりあげました。






これはマホメットの死後わずか10年のことです。イスラム帝国は、ウマイア朝に至ってさらに領土を拡張します。イスラム教徒にとってジハードは、宗教的理想と国家の生存戦略がひとつとなった宗教的実践であり、それによって建設された帝国は、イスラム教の理想を実現するという明確な目的を持ったのです。






中東のイスラム化は軍事力によるものでしたが、アフリカでは、イスラム教徒の隊商が、教勢拡張に大きな役割を演じました。東南アジアへのイスラム教伝播も、文明力を背景に成され、イスラム帝国の優れた文物が交易によりこの地方にもたらされ、現地の商人や指導層がイスラム教を受容しました。15世紀はじめには、イスラム教国のマラッカ王国が樹立され、国民を教化し、今日の、二億人を越える東南アジアイスラム圏形成の基礎を築いたのです。





宗教は人間の生存戦略



そもそも、より本質的には、宗教は人間の生存戦略です。分かり易くは、「交通安全のお守り」とは何でしょうか。縁結び祈願、合格祈願なども、明らかに、生存、発展のために神に祈る行為です。更には、神の存在、世界の本質、人間とは何か、生・老・病・死の苦しみから逃れる道を求める宗教的問いかけも、人生を生きるための生存戦略でもあります。宗教は、人間にとって、不幸にさせるあらゆる強敵に打ち勝ち、幸福をつかむ戦略を教えるものです。





その中で、人生最大の敵は「死」です。現代文明は、死に対し無防備で、明るさを強調して、死を忘れさせる文明です。日頃、死については考えず、楽しいことを追い求めて生き、むしろ、死について正面から向かい合っている宗教者などは、暗いことを考える不幸せ者としか思いません。しかし、誰しも年老い、死に直面するようになると、苦しみは増し、辛く悲しい死に向かい合わなければならなくなります。






普通は、立派な葬式、ちゃんとしたお墓に入ることが死への準備ですが、おおくの人は、心のなかでは、悲しみと苦しみに満ちた不幸な死を迎えます。人にとって、極楽や天国と無関係な死は悲しみです。宗教をもたない人と、宗教をもち、心から死に向かい合った人の違いは、死の場において大きな違いがあらわれます。






人間は死んだら無になる、という恐怖に打ち勝てる人間など存在しません。私もとうてい無理です。無宗教の人は、途轍もない恐怖と戦いながら死を迎えるのです。反対に、死などという嫌なものと人生をかけ向かい合った、素朴に宗教を信じていた人の死は、何か神々しさがあります。身近な人々の死の有様を見て、率直に感じることです。






宗教の、この人間に対する強い力があればこそ、宗教が、帝国、国家、部族の生存戦略にもなり得るのです。いつの時代にも宗教は、帝国、国家を守り、人に幸福をもたらす役割をしてきました。もちろん、宗教が間違った道を歩んだ時代もありましたが、さまざまな変遷を経て、今なお宗教が生きて働く世界であることをみるとき、生存戦略という人類に対する宗教の役割は変わらないと思います。

なぜ、宗教は広がったのか?

世界帝国のふたつの使命


ここでは、帝国=悪、とは考えません。帝国こそ、文明の守護者で、帝国がなければ、人類の広域文明は形成されませんでした。本来の帝国の役割は、その権力で、領土の治安を維持し、安全な交易を保証して経済を発展させ、国民の生活を安定させることです。





もうひとつ、役割があります。聖人の教えを広げ、人々が正しい人生をおくることによって、平和で幸福な社会をつくることです。宗教の保護、奨励も帝国の重要で、神聖な使命です。





しかし、多くの帝国は、主権者みずから、聖人の教えに背き、腐敗し、暴政をおこない、悪なる統治機構に堕してしまいました。そのため、堕落した帝国は滅び、王朝が代わったのです。現代のグローバリストの世界帝国も、暴利を貪らず、人類の幸福に寄与するならば、問題はありません。





ここでは、人類の精神の発展、すなわち、帝国が世界宗教を拡大、奨励した歴史に焦点をあてます。それにより、世界宗教発展の真実、そして、世界的帝国から独立していた「島嶼独立国家・日本」の、宗教受容における、極めて特殊な様相を知ることができます。


           * * *


全世界に出て行き、全ての造られたものに福音を宣べ伝えよ。

          イエス・キリストの大宣教命令. 『聖書』
  
 

帝国は宗教を伝播する


イエス、釈迦、孔子、マホメットなど、世界宗教の教祖が人類史におよぼした影響は絶大で、どんな世俗の覇者もおよびません。その崇高な精神は、おおくの国々に伝播し、世界史の発展をリードしました。しかし、世界宗教の伝播は「世界的帝国」の活躍を抜きに語り得ません。





世界宗教の伝播は、ふたつの段階があったと言えます。第一は、教祖が布教し、そして、教祖の死後、信徒たちにより宣教が進展し、社会的基盤をつくり、帝国によって宗教が公認されるまで。第二は、その宗教が、帝国の国教となった後の段階です。






世界宗教は、帝国に公認されるまでは、社会の少数者、弱者として宣教する苦難の時代を経て、帝国の国教となった後は、一変し、社会の多数者、強者に転換しました。優れた普遍思想をもつ世界宗教は、帝国統合の理念、国民の信仰となり、帝国自体が、普遍宗教的な国家に豹変したのです。教えの内外への伝播は、帝国の文明力と政治力を背景に推進されました。





世界宗教の歴史は、帝国の役割なしに語ることはできません。そしてほとんどの場合、次の仮説が適用できます。





1.世界宗教はそれを受容した帝国(強国)の影響力が及ぶところでは順調に伝播した。


2.反対に、その世界宗教を受容した帝国(強国)の影響力が及ばないところでは伝播に困難が伴った。




歴史的に、多くの国は自国が帝国であったか、あるいは帝国の影響下にありました。諸国における世界宗教受容のあり方は、ほとんど前者の仮説を適用できます。





しかし、帝国の支配と圧力を受けなかった、「島嶼独立国家・日本」は、後者に当てはまり、日本に伝来した世界宗教は困難に遭遇したのです。古代における仏教伝来は朝廷を二分する大戦争を引き起こし、近世のキリスト教は大迫害を受け、儒教は国家統治理念になるまで長い時間を要しました。諸国の世界宗教受容の歴史と日本のそれを比較すると、日本の特殊性が際立つとともに、国家の世界宗教受容において、何が決定的影響力を持ったかを明らかにします。





迫害される宗教から支配的宗教に



ここではまず、ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史を中心に見てみましょう。




キリスト教は、教祖イエスが33歳で十字架にかけられ生涯を終え、その教えは弟子達に引き継がれました。約300年間、ローマ帝国のきびしい禁令下で信者を増やし、313年にコンスタンチヌス帝によって、ようやく公認されました。当時、キリスト教信者は全ローマ帝国住民の約10分の1を占めていたと言われます。





この公認までの期間こそ、キリスト教にとって長く困難な時代でした。クリスチャンは執拗に迫害され、その凄まじさは総延長560キロにも及ぶローマのカタコンベ遺跡が雄弁に物語ります。ローマ帝国下での迫害は、先に挙げた「世界宗教を受容した帝国の影響が及ばないところでは伝播に困難が伴った」という状況を示します。






しかし、キリスト教はローマ帝国に受容され劇的な変化を迎えます。392年、テオドシウス帝が「国教」とした後は、ローマ帝国の支配的宗教となり、反対に、他の宗教は禁止されました。クリスチャンは弱者として迫害される時代を終え、ローマ社会の強者に変貌したのです。キリスト教と帝国政府は強固に結び付き、奨励、宣教は国家の政策となり、その教えは広大な帝国領と周辺に伝播して行きました。






カトリックによるローマ帝国再建



476年の西ローマ帝国の滅亡により、ローマ・カトリック教会は、後ろ盾を失い、ヨーロッパの新しい主人であるゲルマン民族の中に庇護者を求めました。当時、ゲルマン諸族は生き残りをかけた激しい闘争を繰り広げており、ヨーロッパでのカトリック伝播は、諸国が弱肉強食の生存競争を展開するなかで推進されたのです。






496年、フランク王国のクローヴィス王は、3000人の戦士とともに、アリウス派からカトリックに改宗しました。クローヴィスは、西ゴート王国など、アリウス派を信じる敵国を「異端討伐」という大義名分のもとに征服し、フランク王国の覇権を拡大しましたが、それは同時に、カトリック圏の拡張をも意味しました。




クローヴィスの改宗は、ローマ文明を継承し、高い権威をもつカトリック教会と連合することで、王権と国家の威信を高めるとともに、戦争の名分を得て、隣国を征服するための国家生存、発展戦略と言えました。カトリック教会にとっても、フランク王国との連帯は、教会の安全と布教のための生存、発展戦略だったのです。





732年、フランク王国の宮宰カール・マルテルは、ヨーロッパに進撃してきたイスラム軍をツール・ポワチエ間の戦いで破り、キリスト教世界の危機を救いました。その子ピピンは、ローマ教皇と結びつき、カロリング朝を建て、教皇に広大な領地を寄進したのです。







ピピンの子カール大帝は、さらに領土を拡大し、版図は往年の西ローマ帝国に匹敵するものとなりました。カールは800年に教皇レオ三世により、ローマ皇帝に戴冠され、ここに西ローマ帝国がゲルマン人の手によって再建されたのです。この戴冠の時から「ヨーロッパ」が始まったと言われます。







カールはキリスト教を背景とするカロリング・ルネッサンスと呼ばれる文化事業を推進し、この文化の発展も、キリスト教伝播を後押ししました。こうしてローマ教皇庁とフランク王国を軸に、カトリック圏がヨーロッパに拡大していくのです。






955年、東フランク王国のオットー大帝は、ヨーロッパに脅威を与えていたマジャール人(ハンガリー人の祖)をレヒフェルトの戦いで破り、キリスト教世界の守護者となりました。952年には、教皇ヨハネス12世によりローマ皇帝の冠を受け、神聖ローマ帝国を成立させたのです。この帝国は、カトリック世界の頂点に立つ国家となり、844年の長きにわたり存続しました。






キリスト教宣教の使命は、ローマ帝国滅亡から近代に至るまで、西洋の多くの帝国が引き継ぎました。周辺諸国は帝国の強力な軍事力を恐れる一方、先進的な文明は、帝国の政治的影響圏を越え、広範な地域に光を発し、合理的な統治制度と洗練された文化は人々を引きつけ、諸国の政策決定に影響を及ぼしました。






このような帝国の影響力により、近隣国家は次第にキリスト教を受容し、キリスト教化した国家が、また近隣国家のキリスト教化に影響を及ぼしたのです。






キリスト教伝播に宣教師の役割は重要ですが、宣教師は帝国と教会、すなわちキリスト教世界が派遣したメッセンジャーで、世界帝国の大きな威光を背景に宣教をおこなったのです。キリスト教帝国の影響がおよぶところでは、帝国に敵対する行為である宣教師迫害はほとんど起こりませんでした。反対に、キリスト教帝国の影響圏外の国家では、たとえ多数の信者を獲得しても、キリスト教は禁止され、宣教師が弾圧された歴史があったのです。






フランク王国の影響がおよんだ6世紀のイギリスでは、40人の宣教師によって国家のキリスト教化が成しとげられましたが、キリスト教国家の影響圏外にあった17世紀の日本では、400人のカトリック宣教師が、決死の伝道をして数十万人の信徒を獲得しても、キリスト教は禁止され、宣教師は追放、迫害されたのです。



次回は、国家の生存戦略としての世界宗教受容について引きつづき説明いたします。

宗教は多数者の体験 哲学は少数者の知識

ラファエロ「アテネの学堂」 



宗教と哲学が追求するものは、万有の原因的存在、世界と人間の存在意義、幸福の実現と善の実践などです。追求するものは同じでも、宗教を信じる人は多く、哲学を学ぶ人は少数です。この差は何なのでしょうか。





宗教と哲学のちがいを示す、ルネッサンス期の芸術作品があります。ラファエロの「アテネの学堂」は、プラトンとアリストテレスを中心に、58人の哲学者や科学者が、議論し、あるいは書を読み、文章を書き、思索などをしている姿が描かれています。ピタゴラスやプトレマイオスなど、人類の知的発展にすぐれた貢献をし、人々から尊敬される学者が集っています。






ここにいるのは高い知性をもつ人たちです。普通の人は、彼らの輪に入ってゆくことはできません。これは現代も同じで、哲学や思想について学問的に論じられる人は、千人に一人もいません。彼らはノーベル賞受賞者のような秀でた知能をもつ、極めて希少な人々です。



ダビンチ「最後の晩餐」



一方、ダビンチの「最後の晩餐」は、イエスを中心に12弟子が描かれています。イエスの一番弟子ペテロをはじめ、主だった弟子は漁師でした。その他の弟子もユダヤ社会の指導階層や神学者はいません。むしろ、律法を知らない無学な階層の出身者、人々から嫌われた取税人とその兄弟などで構成されていました。






ここにいるのは普通の人やハンディーを負う人々です。そもそもイエス自身が、罪人として死に追いやられることになるのですから、社会的には全員が、犯罪者に従う愚か者ということになります。ラファエロの「アテネの学堂」の面々とはあまりにも開きがあります。






しかし、この12弟子のあり方は、誰でもイエスの弟子になれるということを意味します。エルサレムの片隅に追いつめられた一群は、今日、22億人のキリスト教信者に拡大し、世界最大の宗教を形成しました。宗教が偉大なのは、すべての人が参加できる、大きな輪であることです。







宗教が、このように多くの人を包括できるのは、信仰というものが、「知」ではなく「体験」で持てるからです。イエスは数おおくの奇跡を行いましたが、奇跡を見た人は驚くべき体験をした人々です。弟子たちはいきなり強烈な体験をさせられました。ペテロや漁師の仲間は、イエスの言葉に従って網を下ろしたら大漁になり、この人は普通の人ではないと思い従いました。高い知性をそなえたパウロでさえ、イエスを信じるようになったのは「教義的知識」ではなく、まぼろしを見、イエスの声を聴いた「宗教的体験」だったのです。





宗教的体験は知を包括 



仏教の知も「悟り」を得るための叡智で、現実的な知ではありません。悟りを得るためには、瞑想、座禅、念仏など、宗教的体験を積み重ねなければなりません。





日本を代表する哲学者西田幾多郎は、「神は我々の自己に心霊上の事実として現れるのである。神は単に知的に考えられるのではない。単に知的に考えられるものは、神ではない」と言っています。西田も宗教を知るため座禅をしました。宗教を真に理解するには、心霊上の事実、すなわち「宗教的体験」が必要なのです。






人類は旧石器時代、死者を埋葬するとき、花などの副葬品を埋めた形跡があり、すでに宗教意識がありました。ですから、文明以前に宗教はあったのです。宗教心とは、森羅万象にそなわる真・善・美に霊性を感じ、生活で遭遇する神秘的体験が加わり、人の心に自然に生まれるものです。文明が開始しても、多くの人々は文字も読めず、信仰とは、神聖なものを拝み、祈り、願をかけるという「体験」の日常化でした。






そもそも、仏教の受容も、仏像の慈悲深い姿を見てありがたく感じたからです。戦国時代のキリシタン信仰も、人々がキリスト教の祈り、聖歌、十字架、ロザリオ、聖像などが発するつよい神秘に打たれ爆発的に広がりました。あの恐ろしい織田信長やしたたかな豊臣秀吉も、カトリックのグレゴリオ聖歌を聞いて感動しました。秀吉は、3度もリクエストしました。これも立派なキリスト教体験です。






人は、体験で親の愛を知ります。同じように、神の愛を知るのも体験なのです。宗教者にとって「知」は、「体験」に包括されます。知は必要ですが、その「知」はむしろ、「知識」で捉えられない「目に見えない霊的価値」を悟ることができる「知」です。僧侶は、経をあげ、あるいは禅を組み、苦行することなどによって信仰を深めました。「体験」がもっとも重要で、「知」は信仰をささえる一要素なのです。





西田幾多郎は、宗教的体験を哲学の上においた 



また、「宗教的経験」は、熱心な人のみができる難しいものだけではありません。仏教者は、人と仏教のささいな出会いも「仏縁」として大事にします。これは小さな体験も貴い種になるという優れた智慧です。おなじように、宗教はさまざまな「方法」を講じ、あるいは「もの」を通じて、信者に宗教的体験を提供します。礼拝などの集会、儀式、祝祭、聖地巡礼、出版物やインターネットなどによる教育や情報提供、また、お守り、置き物、絵画、写真などの「スピリチュアルグッズ」、数えたらきりがありません。






昔も、寺社が発行する「お札」が信仰を育みました。修行をつんだ僧侶や修験者などが各地を巡り配るお札は、霊験あらたかと尊ばれました。一方、円空は、諸国をめぐり自分が削った12万体の仏像を庶民に配ったのです。






お伊勢参りや善光寺参り、初詣、もっと言えば旅行も宗教的体験になります。お寺に足を踏み入れれば、仏教とは何かを感じることができます。教会に入ったら、キリスト教信仰の深みを感じます。




体験は、信仰の初歩であり導き手です。体験をきっかけに信仰をもち、体験を通じて神のはたらきを感じ、神と生きるようになるのが信仰です。






西田幾多郎は「単なる理性の中には、宗教は入ってこないのである」と述べ、宗教と哲学に関しては、「宗教的意識というのは、我々の生命の根本的事実として、学問、道徳の基でもなければならない。宗教心というのは、特殊の人の専有ではなくして、すべての人の心の底に潜むものでなければならない。これに気づかざるものは、哲学者ともなり得ない」と断じました。






宗教的意識は生命の根本であり、すべての人が生まれながら備えています。ですから、すべての人が、難解な「知」ではなく、誰にでもできる「体験」で、宗教という素晴らしいものを手に入れることができます。







人との交流も同じです。「知」で自他を分別したら対話は成り立ちません。他者の「体験」を尊重し、その体験をさせた、愛の神を中心に交流するものです。

教団宗教の停滞とスピリチュアリティーの台頭

宗教意識の変化


私たちは、地球がまるいことを知り、太陽系に属し、更に150億光年という大きさの宇宙空間が広がっていることを知っています。気象変化や地震発生のメカニズムを知り、細菌やウイルスが病気を引き起こすことも知っています。





しかし、科学が発展する前の人々は、そんなことは知りませんでした。そのため、世界を神話的、宗教的に理解するしかなかったのです。一神教圏の人々は、世界は神が創造したと信じ、アニミズム宗教圏では、自然に神々が宿っていると信じました。天変地異は神の怒り、病気は悪鬼の仕業と考えたのです。福の神、怨霊、そして魔女は架空の存在ではありませんでした。昔の人は、現代人には想像できないほど宗教的だったのです。その素朴な宗教心は、高度な教えをもつ世界宗教に発展し、巨大な宗教文明圏を形成するまでに至りました。





ところが、科学の発展のおかげで、生活の安楽や医学の進歩という恩恵を受けるようになると、人々は科学を崇拝するようになり、素朴な信仰心は非科学的なものとして排斥するようになりました。思想的には世俗主義と、宗教をアヘンとする共産主義が広がり、人々の宗教離れが進んだのです。宗教を考えるには、人類史における、悠久の「宗教の時代」と、近代の「科学の時代」を踏まえなければなりません。





しかし、20世紀の70年代頃から、宗教には再び巨大な地殻変動が起きました。科学の限界と発展にともなう弊害が明らかになり、唯物的共産主義も後退し、人々は、次第に、宗教に回帰しはじめたのです。神や仏、死後の世界、輪廻転生、超自然現象を信じる人が増え、いまや「宗教」は、価値観の主流に戻りつつあるかのようです。





スピリチュアリティ―の台頭と教団宗教の悩み



問題は、人の宗教心が復興しても、人々が従来の「教団宗教」に戻ってきた訳ではないということです。「現代の宗教」は、「昔の宗教」とかなり変わってしまいました。スピリチュアリティー、占い、ヨガ、瞑想法、宗教的なテレビ番組、映画、ゲーム、また、妖怪、都市伝説、ホラーなど、今や、社会には「宗教的」なものがあふれています。






人々はこのような「スピリチュアリティ―・広義の宗教」を好み、それで満足しているのです。以前のように、単純に「教団に入信することが宗教をもつこと」ではなくなりました。ここ数十年のあいだに「宗教」のあり方が劇的に多様化したのです。そして、多くの宗教者は、それが何なのか判断できません。宗教者はこの新事態のなかで、現代社会における宗教の位置や意義を見い出せなくなっています。まさにその状況は、宗教者に深刻なアイデンティティー・クライシスをもたらしていると言っても過言ではありません。





正体の知れない「宗教」が氾濫する現代は、唯物主義が強かった時よりも、むしろ伝道が難しい時代になりました。宗教者にとって、科学万能時代に宗教を主張するほうが、反宗教に立ち向かうという二極構図で、やり易かったのです。現代社会は「宗教とはなにか?」が難しいテーマになり、精神の混迷期のただ中にあるのです。





「どこまでを宗教と捉えるか?」は人によって違います。教団宗教以外は宗教ではないという立場もある一方、宗教的なものを含んでいるものは、広義の宗教の一形態と考える立場もあります。ともあれ、私たちは、今まで経験したことのない宗教的環境のなかで生き、精神の救いを得なければならないのです。





スピリチュアリティ―と、科学・東洋思想の融合



現代人を引き付けるスピリチュアリティーの背景には、科学の発達があります。例えば、アインシュタインなど世界的な物理学者が、世界の本質は探れば探るほど、東洋哲学に近づくと言っています。






20世紀を代表する理論物理学者のひとりであるデヴィッド・ボームは、宇宙は目に見える宇宙(明在系)と、目に見えない宇宙(暗在系)からなり、暗在系宇宙は、素粒子が霧のような状態に渾然一体をなしており、そこには、「自他の区別がない」という仮説を立てました。スピリチュアルな理解では、明在系宇宙は現世という自我を持って生きる「仮の住まい」で、この暗在系宇宙こそ、自我を超越した、完全調和の、永遠なる霊的世界だと考えることができます。






このように、現代の科学は、スピリチュアリティーを肯定する傾向があります。先進科学と東洋哲学は、「無」、「空」、「広大無辺な宇宙」、「全ての存在のつながり」などという世界観を共有し、互いに引きつけ合うものなのです。





このようにスピリチュアリティーは、科学的な成果と、仏教や老荘思想などの東洋思想をはじめ、キリスト教や、霊的な宇宙人に至るまで、様々な「宗教」を取り入れています。そして、排他性がなく、他と壁を置かないので、探究者は各種の書籍を自由に読み、ユニークな精神世界をつくっています。巨大なスピリチュアル・ワールドは、入口が多く、性格もさまざまで、系統で分類するのは容易ではありません。あまりに多様なので混沌とした印象も受けますが、おおくに共通するファクターをとりあげ特徴をまとめて見ましょう。




① 現代はアセンションという霊的覚醒の時代に突入し、人々の魂が急速に進化している。



② 人類は、「宇宙の心」(神)とつながらなければならない。



③ 思いは現実化し、引き寄せの法則で、自分の心に合った周辺環
 境がつくられ、自分と似た心を持つ人が集う。



④ 偶然というものはなく、全ての出来事には何らかの意味があ
 り、人は、偶然と思われることの背後にある、シンクロニシ
 ティ(共時性・同時性)に気づくことが必要。



⑤ エゴというネガティブな波動エネルギーを避けなければなら
 ない。



⑥ 宇宙の霊的エネルギーを受容し、明るく積極的な思考を持つ
 べき。




スピリチュアリティーは、人々が、一刻も早く、宇宙精神(神)が、御自身の理想実現に向け世界を導いていることに気づき、この新時代の到来に合わせ、霊性を高めなければならないという、未来志向的な終末思想をもちます。





宗教とスピリチュアリティーは「異母兄弟」



スピリチュアリティーの主張は、教団宗教と重なる部分が多いのです。しかし、宗教間対話のような、教団宗教とスピリチュアリティーのあいだの交流はありません。






両者には大きな違いがあります。まずは「指導者」のあり方です。教団宗教の教祖は、教えを説き、弟子を導いて、必ず「信仰共同体」の形成を目指します。教祖の教えは教団の教義、指針となり、その死後には、生前よりさらに篤い崇拝を受けるのです。






一方、スピリチュアリティーの提唱者は、ひとりの啓蒙者、霊能者で、教団は創設せず多くの人を組織することもありません。しかし反対に、教団を越えた「大衆的影響力」を持つことができます。





教団宗教は、経典を学ぶこと、信仰をともにする教友と交わることが重要です。また、広く薄く、大衆に発信することよりも、外には伝道、内には信仰教育を行い、信仰が子孫に継承されることを重んじます。教団宗教は、「数千年もつづく精神的共同体の形成」をめざし、スピリチュアリティーは、「現代における精神的啓蒙」をめざすものです。





すなわち両者は、「父である宇宙精神」は同一の存在で、おなじ目的をもちますが、「母である提唱者」が、教祖か啓蒙者かという決定的違いがあり、主張の伝播方法も異なるのです。





教団宗教が、大衆的発信力を高めるには、スピリチュアリティーから学ぶことが近道です。それには、宗教者がスピリチュアリティーの人々と交わり、「既成宗教」を越え、スピリチュアリティーをふくめた「広義の精神世界」にまで関心を広げることが求められます。「異母兄弟」のように似ている両者は、宇宙精神から賜った、人を幸福にするという本来の使命を達成するため、旧来の殻を打ち破り、交流と協力を進めるべきです。

宗教性と老人の復権  ー 「千と千尋」と「ハリーポッター」から ー

「千と千尋の神隠し」の宗教的メッセージ



マンガや映画、大衆小説などにも、深い宗教的意味をもつものが多いのですが、ふつう、「ただの娯楽」と捉えてしまいます。しかし、人は知らず識らず「娯楽」から影響を受けます。50年ほど前、「鉄腕アトム」「鉄人28号」は、科学を信頼する世界観を発信しましたが、今日、「鬼滅の刃」「もののけ姫」は、科学への信頼とは逆の世界観を発信しています。





『宗教と現代がわかる本』(平凡社)の、創刊号(2007)のあいさつには、「現代日本人の宗教に対する意識は、狭義の宗教には無関心、組織としての教団には違和感を持ちながらも、広い意味での宗教文化、あるいは精神文化への関心は高まっているようです」とし、毎年「広義の宗教」についてユニークな内容を紹介しています。2015年版特集は「マンガと宗教」で、マンガのなかの宗教性を取り上げました。





異界と過去の世界



驚くべきは、宗教的物語の人気の高さです。昨年大ヒットした「鬼滅の刃」も明らかに宗教的なアニメですが、「鬼滅の刃」に越されるまで、日本の歴代映画興行収益の一位は、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」でした。この物語の宗教的背景とメッセージを考えてみましょう。





まず、道端に多くの石の祠があらわれ、この先が神秘的領域につながることを暗示します。千尋が迷い込む古風な建物は、八百万の神が疲れを癒しにやって来る温泉旅館です。注目すべきは、科学的法則を超越した異界が、未来ではなく過去の世界で、老人がキーパーソンだということです。「ロードオヴ・ザリング」も「ハウルの動く城」など多くの作品もおなじです。





なぜ、不思議の世界が「過去の世界」なのでしょうか。科学が発達する前、世界は進歩が緩慢でした。先祖、自分、子孫の生活は基本的に大きな変化はありません。そのような社会では過去が最大の情報源であり、それをよく知る老人が重んじられます。集まりでは老人の意見が尊重され、未来を担う子供は老人の昔話を聞いて成長しました。「老人」こそ、過去、現在、未来をつなげる役割を果たしていたのです。





また、医学が発達していない時代、人は短命でした。いまは抗生物質などで簡単に治せる病気でも命を落としたのです。歴史的に日本人の平均寿命は30歳代前半だったそうです。子供をたくさん産んでも、幼くして死ぬ子もおおく、20代なかばになれば、自分の知っていた人のなかには、生きている人より、死んだ人のほうが多かったのです。死は常に身近にあり、忘却して生きることはできません。





昔の人々は、宗教的でなければ平安を得ることができなかったのです。現実と死後の世界の境界もあいまいで、死者と通じることができると信じていました。人は死んで夜空の星になると譬えるように、夜は霊的世界につながり、死者と接近できる時間でした。人々はながい夜のあいだ、満天の星空を見つめながら、死者と現在に生きる者、未来の子孫のことを想ったのです。





また、夜の思いや夢を重視し、夢に死者が現れたら死者と会ったということなのです。このように昔の人は、過去・現在・未来、そして死者・生者・子孫がつながっていました。この強いつながりがあればこそ人類は今日まで生き残り、私たちが存在しているのです。そのつながりが、「精神(こころ)の故郷」です。





現代人はそれらを失いました。科学の進歩はあまりに早く、社会は激変しています。自分と父母、そして祖父母の生活はあまりにも変化し、過去を振り返る余裕などありません。有名人ゲストの先祖を追う、NHKの「ファミリーヒストリー」を見て感じるのは、誰もが父母、祖父母のことをよく知らないということです。これが現代人です。今は老人から昔話を聞いて育った人はほとんどいないのです。





今日のスマートフォンの機能は30年前にはSF世界のものでした。今は1年前のモデルは旧式になってしまいます。さらに進歩する30年後のスマホの機能はだれも想像すらできません。人々はこの急激な変化について行くのがやっとです。急速に変化する時代、老人は真っ先に取り残され、技術、情報分野で遅れた存在に転落します。昔のように、過去、現在、未来をつなげる役割など果たしようがありません。





また、医学が発達し、人々は長寿を獲得し、豊かで楽しい生活のなかで、死を思わず生きることができます。死は忘れるべきものと忌避され、死者と通じることなどはオカルトの話しになってしまいました。





現代人の生活は、過去、現在、未来がつながらず、死者、生者、子孫がつながっていないのです。これは、はっきり自覚されなくとも、人間精神に危機をもたらす重大問題で、心の奥には底知れぬ不安と孤立感が存在します。現代人が孤独なのはこれが原因です。不思議の世界が過去であるのは、人が過去に享受した「精神の故郷」を取り戻す試みです。それを取り戻してくれるキーパーソンこそ「老人」で、多くの物語では、老人が救世主のごとき力を持つ存在として、鮮やかに復権するのです。





ゼニーバの愛



「千と千尋の神隠し」のメインテーマは価値観の問題です。ここを支配する湯ババは贅沢な場所に暮らし、すさまじい魔力で君臨する物質的欲望に縛られた権力者です。千尋を助けるハクは強力な魔法を得るため湯ババの手下になった龍、廃棄物で本来の姿を失った神、金塊を魔力で作り出しとめどない食欲をもつカオナシ、カオナシの出す金塊に狂喜するモノノケ達、湯ババのわがままな赤ん坊。まさに欲望が渦巻く現代社会の縮図です。





これらの間違った価値観を変えてくれるのは、過去、現在、未来のつながりを知り、生と死の意味を悟る湯ババの姉ゼニーバです。ゼニーバは、森の中で昔のヨーロッパの農民のような質素な家に住み、魔法に頼らない暮らしをしています。千尋のために、魔法で作ったら意味がないと言い、皆とともに糸を編んでお守りの髪留めを作ってあげます。強力な魔法使いであるにも関わらず、魔法より思いやりと愛情が大切なことを千尋に教えるのです。このゼニーバの働きにより、皆の価値観が変わります。





結局、湯ババは千尋の両親を許し、家族は元の世界に戻ることができます。そして、エンディングに流れる主題曲「いつも何度でも」に、この物語のメッセージが集約されています。





呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢をみたい


かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える


………


さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる


生きている不思議 死んでゆく不思議
花も風も街も みんなおなじ


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう


……… 


はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ


海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから





この歌詞は、「死」をつよく意識しています。ストーリーも生死の境が明確ではありません。異界に迷い込んだ時から死後の世界に入ったようでもあるし、ゼニーバのところに行く電車の様子が死の世界のようです。全ての存在の宿命としての死、精神の故郷を失い傷ついた心、そして愛と思いやりのある存在から教えられ、大事なことを悟り、新たな力を得た喜びを表現しています。





ふたつの知性



知性には「陽暦的知性」「陰暦的知性」があると思います。「陽暦的知性」は、太陽と昼に象徴される、光と熱を受けエネルギーで構成される、目に見える世界を解明し運用する知性で、科学的知性ということができます。自然科学、社会科学、人文科学をふくめ、論理で把握でき、人々に説明できる知性です。人類はこの知性を活用し、驚くべき発展をとげました。





一方、「陰暦的知性」は、月と星、夜に象徴される知性で、目に見えず、論理で把握できず、説明が困難な知性です。満天の星空の下で、祈り、思索して知る、霊的、宗教的知性ということができます。これは、現実に役立つ陽暦的知性と比べ、無意味なものと認識されやすいものです。現代人はこの知性が退化しました。





しかし、夜空に輝く星は何千万、何億光年という彼方にある恒星が放った光で、星空とは天文学的スケールの世界なのです。それは神や仏、永遠、無限を感じることができる世界です。反対に、昼に見える太陽と地球は、夜みえる世界と比べると、大海とコップの水以上の違いがある小さな世界です。





陰暦的知性とは、『星の王子さま』で、「心で見ないと、なにも見えない。いちばん大事なことは、目には見えない」と言っている、目に見えない世界の知性です。この知性は、世界の構造を解明する知性ではなく、世界が存在する意味を教えてくれる知性です。





私たちはふたつの知性があるということを意識すべきです。昔の人は夜空を見て、自然に、陰暦的知性を磨きました。しかし、現代人は都市化と電気の力によって、夜が放つ霊性を覆い隠してしまいました。蹂躙したと言った方がいいかも知れません。





電気をつければ、生活空間は昼のように明るくなり、あえて夜空を眺めません。たとえ夜空を見ても、大気汚染と都市の明るさで星はほとんど見えません。生活のなかで、月と星が発する偉大な霊性を失ったことが、現代人が宗教性をなくした大きな原因ではないでしょうか。よく、夜はマイナス思考になると言いますが、それは本来、夜がもつ強力な霊的パワーを自分たちが遮断し、ただの暗い時間にしてしまったからです。





現代人は、陰暦的知性を回復しなければなりません。それを推進するのが宗教者です。過去、信心深い「老人」が果たしてきた、人間の過去、現在、未来をつなげる精神的役割を果たせるのは、同じように神や仏を深く信じる「宗教者」しかいないのです。





ハリー・ポッターとダンブルドア校長



1997年から2007年にかけ、イギリスのJ.K.ローリング氏が書いた「ハリー・ポッターシリーズ」は、全世界4億5000万部という空前の発行部数を達成しました。映画も大ヒットし、アメリカと日本にはテーマパークもつくられています。





「ハリー・ポッター」と「千と千尋の神隠し」は似ています。ハリーが学ぶホグワーツ魔法学校は、まるで中世の城で内部も過去の世界、キーパーソンもやはり老人です。魔法族の世界では、ヴォルデモートという恐ろしい魔法使いが復活する危機に直面していました。ホグワーツ魔法学校にも、ヴォルデモートに従う者たちがあらわれ、学校を支配するため暗躍します。





ヴォルデモートを倒す秘密を知るのが、偉大な魔法使いであり教育者であるアルバス・ダンブルドア校長です。銀色の長いひげに半月メガネをかけたこの老人は、ハリーがヴォルデモートを倒すことができるように、自分の命を犠牲にし、ハリーに死を乗り越える勇気を持つことを教えます。ハリーがそれを悟り、ヴォルデモートの手により致命傷を負い、死の淵の臨死体験でダンブルドア校長に再開します。このときの校長の話に重要なメッセージが込められています。





「しかも、ハリー、あの者の知識は、情けないほど不完全なままじゃった!ヴォルデモートは、自らが価値を認めぬものに関して理解しようとはせぬ。屋敷しもべや妖精やお伽噺、愛や忠誠、そして無垢。ヴォルデモートは、こうしたものを知らず、理解してはおらぬ。まったく何も。こうしたもののすべてが、ヴォルデモートを凌駕する力を持ち、どのような魔法も及ばぬ力を持つという真実を、あの者は決して理解できなかった」。





愛や忠誠、無垢という精神の価値が、魔法にまさる真の力を持ち、悪に打ち勝つことができると語ります。現代人にとって、「魔法の力」とは、絶大なちからをもつ「科学の力」に置き換えられます。私たちに、科学の力に頼るより、愛や無垢な心が重要だということを教えています。





また、死について深遠な思想を述べます。「―なぜなら、真の死の支配者は、〈死〉から逃げようとはせぬ。死なねばならぬということを受け入れるとともに、生ある世界のほうが、死ぬことよりもはるかに劣る場合があると理解できる者なのじゃ」、「死者を哀れむではない、ハリー。生きている者を哀れむのじゃ。とくに愛なくして生きている者を」。





生きることより、死ぬことがさらに価値ある場合があり、間違った価値観をもって生きることは死よりもはるかに劣ること。そして、愛なくして生きる者は、死者よりも哀れむべき者と語ります。そしてハリーは、最強の杖を手に入れてしまったヴォルデモートに、決死の戦いを挑む決意をします。





ハリーは最後に、「これは現実のことなのですか? それとも、全部、僕の頭の中で起こっていることなのですか」とダンブルドア校長に問いかけます。校長は、「もちろん、君の頭の中で起こっていることじゃよ、ハリー。しかし、だからと言って、それが現実ではないと言えるじゃろうか?」と、意味深長な答えを返します。





現代人は、夢や予感、不思議な体験などは、偶然として無視することが普通です。しかしこのなかに、神が人に伝えたいメッセージが込められているかも知れないのです。とくに宗教者にとって神秘体験は軽く扱うことはできません。神はこれらの現象を通じ、大事なことを知らせようとしているからです。





宗教の先人たちは皆、神秘体験を通して神が自分に与えた使命を確信し、偉大な業績を残しました。神秘体験がなければ、宗教の存在も発展もなかったのです。頭のなかで起こったことが現実を動かす大きな力を秘めているのです。